2022.02.27

ドイツ占領下のパリを観光した「日本海軍の軍人たち」…過酷な旅を経て、彼らがやってきた理由とは

神立 尚紀 プロフィール

喜望峰を回り約26000キロの無寄港大航海

6月1日、伊八潜は、108名の乗組員とは別に、「さつき二号」と名づけられたUボート(U-1224。のち呂五百一潜と改名)の艦長・乗田貞敏少佐以下、52名の回航員と食糧、必需品を満載し、呉を出港した。途中、日本海軍の潜水艦基地が置かれていたペナンで便乗者6名を乗せ、燃料、食糧を補給したのち、6月27日、ヨーロッパへ向かう。ペナンから、目的地のビスケー湾までは約14000浬(約26000キロ)。伊八潜の航続力ぎりぎりの距離だった。

このとき、伊八潜に22歳で通信長として乗組んだ桑島齊三(くわしま さいぞう)中尉(のち大尉。戦後、東大医学部を経て、千葉県旭市で産婦人科医)には、平成14(2002)年から19(2007)年にかけ、何度かインタビューすることができた。今回、紹介する伊八潜の訪独時の写真は、桑島さんが持ち帰り、大切に保管していたものである。

「回航員や便乗者のほかになにを積んでいたかまでは、新米士官の私には知る由もありませんでしたが、途中まで伊十潜が随伴し、2度、燃料補給を受けたのは憶えています。とにかく、インド洋の荒波と暑さには参りました。7月7日、回航員の一人だった田島二三男上等水兵が熱帯性マラリアで死亡、遺体を軍艦旗で覆った棺に納め、一人しかいない信号員が吹奏する『命を捨てて』の喇叭とともに水葬しました。悲しい光景でしたね……」

桑島齊三さん(昭和16年、戦艦長門艦上にて)

潜水艦が隠密裏にインド洋から大西洋に出るには、南アフリカの喜望峰沖を通らねばならない。だがここは、「ローリングフォーティーズ」(Roaring Forties 風浪叫ぶ40度線)と呼ばれ、風速40メートルを超えるような西からの強風が常時吹き荒れる、世界屈指の難所だった。

「7月11日、艦は荒天域に入りました。ローリングフォーティーズはすごかった。深度50メートルまで潜航しても艦が揺れるんですから。夜間、浮上して当直に立つと、南半球は冬だからとても寒く、耳がしもやけになりました。以前体験した北太平洋の荒天も大変なものでしたが、冷たい波浪を頭からかぶる点、喜望峰沖のほうがきつかったですね」

 

激浪に叩かれて、左舷(ひだりげん)飛行機格納筒付近の側板が剥ぎとられて大穴があき、上部構造物全体の破損が懸念される事態になった。潜水艦には工作設備がほとんどないので、艦内に積んでいたワイヤーロープ、マニラロープを総動員し、破孔を縦横に網状に縛って補強に努めた。ようやく暴風圏を脱出できたのは、7月21日のことだった。

「10日がかりで喜望峰をまわり、大西洋に入ると、とたんに海が静かになりました。日が燦々と差して暖かくなり、なんてきれいな海だと思いました。敵艦艇や哨戒機への警戒は怠れず、緊張の続く航海でしたが、艦内の雰囲気は和気あいあいとしてましたね。中尉の私にとって大佐の艦長は近寄りがたい人でしたが、なにかの機会に艦長室に入ったら、女優・田中絹代さんのキャビネ大の写真が飾ってあって、親近感を覚えたものです」

その後、フランスまでたどり着いた潜水艦乗組員を待ち受けている過酷な運命については、<【後編】ヒトラーの要望で日仏を往復した「潜水艦乗組員」を待ち受けた“過酷な運命”>にて語る。

定価:1430円(税込)。講談社ビーシー/講談社。 真珠湾攻撃に参加した隊員たちがこっそり明かした「本音」、ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた「大嘘」など全11章の、これまで語られることがなかった太平洋戦争秘話を収録。

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