2022.02.27

ドイツ占領下のパリを観光した「日本海軍の軍人たち」…過酷な旅を経て、彼らがやってきた理由とは

神立 尚紀 プロフィール

占領下のパリは平穏そのもの

じつは、日本の潜水艦がドイツに派遣されたのはこれが初めてではない。前年の昭和17(1942)年3月、ドイツで不足している雲母(うんも)や生ゴムなどの軍需物資や、航空魚雷、航空母艦の設計図などを満載した伊号第三十潜水艦(伊三十潜)が、ドイツへ向け出港している。

アラビア海からアフリカ大陸東岸を南下し、マダガスカルに至る英軍拠点の偵察任務につきながら、南アフリカ・喜望峰沖をまわって大西洋を北上。5ヵ月近い航海を経て、8月6日、フランス・ビスケー湾のロリアン軍港に入港した。

 

伊三十潜で砲術長を務めた当時21歳の竹内釼一(たけうち けんいち)少尉(のち大尉。戦後、伊藤忠商事勤務)は、筆者のインタビューに、次のように答えている。

「ロリアンに入港するとき、岸壁は黒山の人だかりで、ドイツ占領下とはいえ、オープンな歓迎に驚きました。ドイツ海軍は、潜水艦隊司令長官・デーニッツ大将、占領軍司令長官・シュルツェ大将が出迎えに来ていて、期待の大きさを実感しましたね。

それから艦長・遠藤忍中佐以下、士官4名はベルリンに招待され、艦長にはヒトラー総統からホワイトクロス勲章が授与された。ほかの乗組員約100名は、二手に分かれて観光旅行です。占領下のパリは平穏そのもので、のんびりと市内見物を楽しみました。

パリでは当時、日本の行進曲『軍艦』(軍艦マーチ)の旋律が流行っていて、行く先々で聴かせてくれましたよ。有名なシャンゼリゼ通りのキャバレー『リド』に入ったとき、それまで演奏していた曲を止めて軍艦マーチを演奏してくれたのにはびっくりしました」

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