ファンシールームで逢瀬
このお部屋は娘を育てたことが碌にない爺(職業:公爵当主兼軍人。今も現役なうえ滅茶苦茶多忙。三世代渡るティーナたちを溺愛)と娘がそもそもいないオッサン(職業次期公爵兼伯爵当主。シスコンと姪コンを拗らせている)が、女の子が好きそうなイメージを煮詰めて煮詰めて煮凝りどころか焦げ焦げになった代物。
レイヴンはちょっときょとんとして首を傾げます。可愛い奴め。愛い奴めー! その仕草が黒い子猫ちゃんなのですわ! やはり背が伸びても中身は可愛いレイヴンのままなのです。
再教育でレイヴンがつんつん尖るギザギザハートやすれっからしになってしまうのではと少し心配しましたが、可愛いレイヴンのままですわ。
「ミカエリス様は姫様の髪が跳ねていようが、頬にシーツの跡が付いていようが気にしませんよ」
「わたくしが気にするのですわ。時間が少なくとも、レディとして身嗜みを出来るだけ整えてお会いしたいの」
でも、長く待たせてしまうのは良くないわ。
あの部屋はファンシーピンクな私室なのよね。一人寝用のお部屋というか、何故か寝室になる部屋が二つもあるのよね。
あまり考えたくないけれど、ここは房事用であちらが共寝を拒否するときに使う部屋? ベッドサイズがね、こっちの方がすごく大きいの。
だけどわたくしがこちらを使い続けるのは、最初に気絶した時からずっと使い続けてこちらの寝台に慣れてしまったから。そして、わたくしの眠りの共にチャッピーとハニーとランダムなぬいぐるみたちがいるのです。お供たちと寝るためには、あのベッドは狭いのですわ!
あと! あの乙女仕様過ぎるお部屋はちょっと……あ、でもそれをレイヴンに休息用に使っていいと勧めてしまいましたわね。だって碌にベッドで寝ていないって言うから、つい。
そもそも、この離宮のリフォームはフォルトゥナ公爵家が中心に行っている。アンナから窺って、ある程度わたくしの趣味は反映されているけど……あの部屋は違う。
「つまり、あの乙女チックなお部屋は熊公爵か髭伯父様の趣味?」
………
…………
……………え?
あの厳ついグリズリー系筋肉老人かカイゼル髭イケオジがあんな可愛らしいピンクとファンシー溢れるフリル&レースの空間をプロデュースしたというの? 時々地味にリニューアルを繰り返しても、あのメルヘン空間は劣化した気配はない。
あの部屋は主にベラが手入れをしている――だけれど、趣味は兎も角あの調度品は使用人クラスが用意できるものではありません。間違いなく、貴族でもそれなりに贅沢できるような立場の人間だからこそ作れるグレードです。
なんだか、いけない秘密を知ってしまった気分ですわ。
わたくしの呟きを拾ったのか、目をぎょっと見開いたレイヴンが硬直していました。
たった一言だけで、レイヴンは真意を読み取ってしまったようです。もしくは、レイヴンも疑いがあり、あのお部屋にちょっと物申したい気持ちがあったのかしら?
なんとなく、ミカエリスをあのピンキーメルヘンなお部屋に置いておくのは申し訳なくて、急いで部屋に向かいました。
一方、やたら乙女趣味な一室で待たされていたミカエリス。割と冷静にこの部屋を分析していた。
一目見てアルベルティーナやジブリールくらいの可憐な少女たちには似合いそうな部屋だと思ったのだ。
淡いピンクと白レースの壁紙には、花をメインにテディーベアのような子熊や、兎と言った森の仲間たちが描かれている。天蓋付きのベッドを彩るたっぷりのフリルやレースはどれも一級品だ。ぬいぐるみや人形が並んだベッドやチェスト、照明器具やタペストリーと様々にあるが、どれも系統が一緒だ。恐らく、同じ職人や工房に纏めて頼んだのだろう。艶やかなウォルナッツの柔らかなブラウンはどれも色合いが同一。同じ地方の木材を使い、長年一つ一つ誂え、揃えてきたのが分かる。
フォルトゥナ家には若い女性はいない。
次期公爵クリフトフとパトリシアの子供は男であるし、孫も男児だったはずだ。
きっと、この調度品たちはずっとフォルトゥナ家で眠っていた。
いつか来るかもしれない、来てほしい一人の少女のために集められていたのだ。
(しかし、あまり使われた形跡はないな。アルベルはシンプルで上品なものを好むから、ここまでロマンティックな部屋は……)
この部屋を趣味でないと一刀両断し、再度リフォームしていないだけましだろう。
空気も埃っぽくないし、こまめな換気や掃除がされていると分かる。
ふと我に返り、この乙女趣味な部屋に無骨な自分がいるという事実がだんだん恥ずかしくなってきた。ミカエリスの中で、謎の羞恥心が芽生えてくる。
レイヴンにここで待っていて欲しいと言われたから居るだけだ。非公式の訪問であり、人目を忍ぶのは仕方がない。隠し通路はアルベルティーナの許しを得ているからこそ、使用できている。何も悪いことなどしていない
気づけばつらつらと理由を並べ、反芻するような思考になっていた。ミカエリスは言い訳がましい自分に嫌気が差してくる。
その時、小さな音と共に気配が近づいてくるのが分かった。
狭い歩幅に、ゆったりとした衣擦れ。軽い足音は小柄な男性か女性であると伝えてくる。姿は見えなくとも、ミカエリスの脳裏には、既にそれが誰であるか浮かび上がっていた。
「お待たせいたしました。ミカエリス、入ってよろしくて?」
待ちに待った声は相変わらず鈴の音より可憐で、愛おしさがこみ上げてきた。
潜めるように声が小さいのは、周囲を気にしてだろう。
気配に敏いアルベルティーナに配慮し、護衛は遠くに配置されている。しかし、世話役のメイド用の控室は近いのだ。
「ええ、勿論」
ずっと逢いたかった。体調はどうか。何か変わったことはなかったか。
そんな言葉が喉奥に痞え、絡まる。
口の中が妙に乾いて、鼓動が早まるのが嫌でも分かった。
ミカエリスが許可を出すと、そうっとドアが開く。ちょっと体を傾がせながら、窺うように入ってきたのはアルベルティーナだ。
ミカエリスの姿を確認すると、ぱっと顔を綻ばせる。
その稚く、少し悪戯っぽい仕草が堪らなくミカエリスの胸を焦がす。
アルベルティーナの貴族令嬢や王太女としてガチガチに固めた姿でなく、素の無邪気な姿を見せているのだ。それだけ、アルベルティーナはミカエリスに心を開いている。
アルベルティーナはストールとナイトガウンをしっかり身に付けている。しかし、ガウンの裾からネグリジェらしき白い薄布がひらひら揺れている。ほっそりとした白い足首が無防備に晒されていた。流石に裸足ではなく、柔らかい布製のルームシューズを履いていた。
読んでいただきありがとうございました。