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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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イスラエルの核実験場『ニッポン核武装再論』。インドやパキスタンの言い分。被爆写真展を見たパキスタン男性の見解・マックロイ「もし日本が原爆を持っていたら、原獏投下はありえなかった」・シンガポール人百人

1979年9月14日、イスラエルと南アは共同の核実験を行いました。
実はカーター政権時代にそれまで41回も同様の閃光が偵察衛星によって探知されていたのですが、イスラエル絡みなので、ウヤムヤにされていました。

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 日本のマスコミは、確かに外電に勝手なフィルターをかけたり、国民を情報操作しようとしているけれども、出版社が公刊している雑誌・単行本に関しては、日本ほど豊富に「翻訳物」が手に入る国もなかろう。新聞とテレビを除けば「検閲」はないのである。外国の雑誌や新聞を読むことにも、特段の規制はない。
 だからもし、「イスラエルは原爆実験をしていないから(実験不要の)ウラン原爆しか持っていない」という人がいるとすれば、それは日本が情報鎖国であるからではなく、単にそのご当人が、雑誌や単行本によって世界をしろうとする意欲に欠けていたのであろう。
 イスラエルは、フランスやインドと同じように、プルトニウム原爆からスタートしなければならなかった。そして、もちろん、ちゃんと実験を重ねてきている。
 最初の地下核実験は、テルアヴィヴやエルサレム市からたった150kmくらいしか離れていないネゲヴ砂漠で行なわれた(ちなみにディモナの核工場/研究施設となると、さらに行政中心地には近い)。
 核開発は国家の生存のためにするのであって、たとえば惑星探査ロケットを飛ばすというような、興味先行の道楽ごととは違う。必要とあらば首都の近郊ででも核開発をし、核実験をするのは当然である。また、その決意もできないのならば、その国は、核爆弾を必要としていないのか、さもなくば、生存する資格が怪しいのである。
 日本には核実験場がないではないか、と言って核武装に反対する日本人がいるのは、真に驚くべきことだろう。
 これも自我が曖昧で意志薄弱な大衆が「非線形」の問題を自分なりに解こうとしたときに見られる、典型的な「価値崩壊」である。つまり「日本国は生存するに足る共同体であり、そのためには核武装しなければならない」という価値認定および政治的目的の判断が最初になされているのに、「核実験すれば住民が反対するだろう」→「だったら核実験はしにくいだろう」→「だったら核武装という政治目的の方を見直した方がよいだろう」と、少しでも頭を使わずにすむ楽な方へ、自分から落ちていってしまう。そうやって周囲に合わせるだけのあやふやな自我をいつまも肯定したいのである。
 人間の権力競争と社会的正義が両立するためには、崩してはいけない価値、諦めることのできない政治的目的があることが、典型的な大衆には理解できないのは、ソクラテス時代よりこのかた、仕方がないとはいえ、残念である。
 日本には国有地の山もあれば、絶海の無人島もある。フルスケールの爆発実験は、それら国有地の地下で行なわれる。

『ニッポン核武装再論――の日本が国家としてサバイバルする唯一の道』兵頭二十八著
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兵頭二十八著『ニッポン核武装再論――の日本が国家としてサバイバルする唯一の道』の「【巻末付録】核戦争関連年表」によると英国は何度もネヴァダ地下を借りて核実験を行っています。

(一部抜粋)
1982年3月、インドが2度目の核実験をしようとしたが、米国の圧力で中止
1982年4月、英国がネヴァダ地下を借り、核実験

面白いですね。


日本の核武装を理解してくれるかもしれない。
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北朝鮮が核保有を宣言したというのに、日本はなぜ核を持つ決断をしないのか。今の国際情勢からいって、日本はいや応なく10年後には核保有国になっていると思うが、それでは遅すぎる。
パキスタンの「軍統合情報部」の元長官ハミド・グル氏

日本がもし核兵器を持ち、核を使う能力があったら、広島、長崎に原爆は落とされなかっただろう。
パキスタンのシャリフ首相(当時、98年の核実験直後に)

支那など他の核保有国との長期的な安定関係のために、核兵器は必要だった。
インドもパキスタンも核保有の能力があるのかないのかわからない状態より、双方が核実験をして、核開発能力があると認識しあった方が、より安全な環境だといえる。
元インド陸軍参謀長のV・P・マリク氏

科学者の探求心はだれにも止められない。どの国も核兵器を開発する権利を規制されるべきでない。
核兵器の科学的信頼性を高めるため、もっと実験が必要だ。
インドのアイエンガル博士
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以下は、kabu2kaibaさんのブログ
「松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG」
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/41156737.html
より、一部抜粋

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被爆者を水戸黄門の印篭にした日本の非核・反核運動の神通力の崩壊。このことを考えるとき、いつも私はあるTV番組を思いだす。1998年。インド・パキスタンの核開発動向が世界を揺るがしていたときの画像。NHKのニュースだったか特番だったか私にとって印象的なシーンが放映された。

反核を訴える日本の大学生がパキスタンとインドで廣島-長崎の被爆写真展を開催し、インドとパキスタンの市民に直接反核を呼びかけた活動の紹介。私はその時のパキスタン人の男性のコメントが今でも忘れられない。

悲惨ですね。
この(被爆して背中一面に火傷を負った)男の子はどうなったのでしょうか。
この、死んだわが子を抱きかかえた婦人はどんな気持ちだったでしょう。
私は核武装には今まで賛成ではなかったのですが、この写真展に来て気持ちが変わりました。私は自分の家族をこんな目にあわせたくはない。ですからパキスタンは核を持つべきだと思います。第二次世界大戦の時に日本も核兵器を持っていたら、こんな悲惨な目にはあわなかったでしょうからね。今日はどうもありがとう、と。

このコメントを聞いていた東京から来たボランティアの女子大生は、自分の主張や世界観が世界のそれとあまりにも隔たっている現実を突きつけられ泣くこともできず、しばし呆然と立ち尽くしていた。

でもね、先進国の都会から来た大学生のお嬢さん、このパキスタンの方の感想が世界の常識というものだよ。蓋し、核兵器に善悪を問うのは間違いなのである。少なくとも、日本の反核論者の「核兵器=悪」の価値判断は普遍的ではない。
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参考1

「なぜ北の核に沈黙するのか」78ページ「諸君!」2003年1月号より

評論家の加瀬英明さんはかつて「トルーマン政権による原爆投下の決定に参画した」ジョン・マックロイさんにこう尋ねたそうです。

加瀬氏
「日本がもし原子爆弾を一発でも持っていて、アメリカのどこかに落とすことができたら、日本に核攻撃を加えたか」。

マックロイ氏
「もし、日本があの時に原爆を持っていたとしたら、使用することはありえなかった」








参考2

rasenganblue(東南日本人)さんのブログ
「星州・DUCK? BY 東南・日本人」

シンガポール人百人に聞いた日本の核武装
http://blogs.yahoo.co.jp/rasenganblue/4711908.html
より、一部抜粋
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北が核武装した場合の日本の核武装を肯定 43% わからん 47% 駄目10%
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最悪の場合、実験なしで開発、製造、保有しておくというのも1つの手だ。

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核爆弾製造 「技術的には可能」
 プルトニウムを使った核爆弾の製造には、高度な技術が求められるが、現在のコンピューター・シミュレーション技術などを活用すれば、北朝鮮にも爆弾製造は可能というのが多くの専門家の一致した意見だ。
 (略)
 仮に核爆弾開発に成功したとしても、核実験が不可欠とされるが、この点について、米の科学国際安全保障研究所のコレイ・ヒンダーステイン上級研究員は「設計で狙う100%の威力が出なくても合格とするなら、核実験なしでも核爆発はほぼ確実に起こせる」と指摘。広島や長崎に落とされた爆弾のたとえ数分の一の爆発力でも「大変な被害になる」と、北朝鮮の核があなどれないことを強調している。
2003年4月25日付 読売新聞







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