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中国は怖い、でも、日本も…|三木谷浩史

三木谷浩史「未来」 第32回

三木谷 浩史
ニュース 社会 国際

 中国でビジネスをしている知人が以前であれば、少し冗談めかして口にしていた言葉がある。

「あの国では『金』『地位』『名誉』の三つのうち、どれか二つを選ばなければならない」

 でも、最近、この言葉をめったに聞かなくなった。

 中国はこれまで、反資本主義的な思想の中に科学技術を上手く取り入れ、AIやICT、暗号資産、さらには宇宙開発といった分野への投資を後押ししてきた。宇宙開発などはそう簡単にリターンは望めないような事業だけれど、目の前の損得にはあまりこだわらず、「未来」に向けてのビジョンやテクノロジーに投資する。そうした積極的で長期的な姿勢には、意外に思われるかもしれないけれど、時にシリコンバレー的な要素が感じられたのも事実だ。

 加えて、中国の場合、14億人という人口が持つ圧倒的なエネルギーがある。その意味で、「日中の差ってこういうことなんだよな」と感じたのは、ハーバード・ビジネススクールである講座に携わった時のことだった。

 2014年に開校したオンライン教育のプラットフォーム「ハーバードX」。日本人の受講生が100人ほどだったのに対し、中国人の受講生は約30万人にも及んだ。彼らの多くが「AIをベースに社会が変わっていく」といったビジョンを共有しているのだから、中国のエリート層の分厚さというものが分かるだろう。

 そうした国家の強力な後押しもあって、この10年、20年で次々と生まれたのが、アリババ(阿里巴巴)やバイドゥ(百度)といった中国の巨大ベンチャー企業だった。

「金持ちは許さない」

 ところが、ここ数年、中国のビジネスを巡る環境に大きな異変が起きている。

 分岐点となったのは、香港問題だ。2014年に起きた民主化デモ「雨傘運動」以降、中国政府は香港への介入を深めていく。そして2020年6月に「香港国家安全維持法」が施行されると、いよいよ反政府的な動きに対する取り締まりが格段に強化されていった。

香港でデモ隊を排除する警官隊

 時を同じくして、ビジネスによって莫大な「金」を得たアントレプレナーたちへの締め付けも、明らかに厳しくなっている。

 ある中国の知人も、「最近では『金と名誉と地位を一度に求めてはいけない』といった軽口を叩けるような雰囲気は消えてしまった」と声を潜めていた。特に中国のアプリ等を利用したネット上のやり取りは、どこで盗聴されているか分からないという怖さがあるのだろう。

 中国で成功したアントレプレナーたちは今、誰しもが「自分は大丈夫か」「できれば逃げ出したい」などと身の危険をひしひしと感じているに違いない。実際に、中国で最も成功した経営者の一人、アリババの創業者、ジャック・マー(馬雲)はあまり表に出なくなってきているようだ。

 ジャック・マーは1964年9月生まれ。1965年3月生まれの僕とは、日本で言えば、同級生だ。2007年に上場して以降、凄まじい成長を遂げ、時価総額は一時、約8500億ドル(約95兆円)。日本で最も時価総額が大きいトヨタ自動車でも約40兆円だから、その倍以上になる。

 しかし、2020年11月、アリババ傘下の金融会社アント・グループが上場する直前、報道によれば、彼は「忽然と」と言っていいような形で表舞台から姿を消したという。

 史上最大規模になるはずだったアント・グループの上場が中止に追い込まれた事実は、現地でビジネスをする人々にとって衝撃的だっただろう。彼らはこれを、中国政府の「金持ちは断固として許さない」というメッセージとして、受け止めたはずだ。

 そもそも、あらゆる情報をフラット化するインターネットというテクノロジーはオープンで自由な性質が強い。中国のIT起業家たちも根はやはりオープンで自由な人物が多く、だからこそ、共産党の価値観とはぶつかってしまう。中国政府としても、そうした思想を持つ経営者がこれ以上、国内で影響力を保持することを是が非でも避けたかったのだろう。

 この件を受けて、海外のアントレプレナーたちから「ミッキーは日本で良かったね」と口々に言われたことをよく覚えている。

 ただ――、「日本で良かった」と安穏としてばかりはいられない。

 改めて思うのは、今のままでは日本は中国の猛烈な勢いに押され続けてしまうということだ。

日本も70億人を相手に

 確かに、新しい「インベンション(発明)」を生み出す力や、「スマホ」や「自動車」などのR&D(研究開発)については、日本もまだまだ世界的な競争力を維持していると思う。「品質」に対するこだわりも素晴らしいものがあるだろう。

 ただ、その「技術や品質へのこだわり」は、新しいチャレンジを躊躇させる原因にもなる。その弊害にも目を向けなければならない。様々なチャレンジがしやすくなる文化、つまり、失敗が許容される文化を社会全体で醸成していくことが求められる。

 そしてこの国に決定的に欠けているのは、「インベンション」と「R&D」――その二つの間に生まれる「新しい技術を使った世界に通用するサービス」を生み出す力だ。

 海外で成功したビジネスモデルの「日本版」をいくら作っても、そこに生み出される市場は、14億人の人口を誇る中国とは違って、たかだか1億2000万人という規模に過ぎない。そうではなく、これからの日本は、70億人という世界のマーケットを相手に先進的なサービスの発信地になるべきだ。

 確かに、今の中国のような国の在り方は、僕には受け入れ難い。もっともっと自由にモノが言える国に変わって欲しいと切に願う。

 けれど、日本もまた、もっともっと変わっていかなくてはならないのだ。

(みきたにひろし 1965年神戸市生まれ。88年に一橋大学卒業後、日本興業銀行(現・みずほ銀行)に入行。退職後、97年にエム・ディー・エム(現・楽天グループ)を設立し、楽天市場を開設。現在はEコマースと金融を柱に、通信や医療など幅広く事業を展開している。)

source : 週刊文春 2022年2月24日号

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