にもかかわらず、右足首捻挫のことまで「黙っているべきだった」と四の五の文句を垂れている人たちはあまりにも自分勝手過ぎやしないだろうか。羽生は自らの言葉の中にもあるように「事実」だからこそ明かしたまでの話であり、おそらく万全の状態で4Aの壁に臨めなかった悔しさが胸の内をさらけ出すきっかけにつながったのであろう。

無理やりにでも批判する必要があるのか

 スーパースター・羽生結弦だって言いたいことを言ったって別にいいじゃないか――と思う。彼の大会中の言動がまさか人様に何らかの迷惑をかけたわけでもあるまいし、ましてやアスリートとしての尊厳をどこかで踏みにじったわけでもない。そういう意味において今大会はむしろ羽生結弦という稀代のスーパースターが「素」の感情をむき出しにし、本音も露わにした貴重な舞台であったとも筆者は解釈している。

 それから最後になるが、一部の週刊誌系メディアの中には世間からの「羽生批判」を煽るかのような論調を展開する記事も見受けられた。これにも強い違和感を覚えざるを得ない。要は「今の日本では羽生批判を許さないような雰囲気になってしまっている」という趣旨の内容であったが、そんなことなどあるまい。特に批判されるべき要素がない羽生をなぜ無理強いでバッシングする必要性があるのか。全く持ってナンセンスだ。

 偉大な功績を残し、その行動も人々の模範的な対象となっているアスリートに称賛を送れず逆に蔑む。たとえ一部とはいえ、この羽生結弦に対する過剰なバッシングを見聞きする限り、日本には段々と歪んだ見方をする人たちが増えつつあるという危機感を覚えずにはいられない。