日本大百科全書(ニッポニカ)「利子」の解説
利子
りし
interest 英語
Zins ドイツ語
intérêt フランス語
資金を一定期間貸し付けることに対する報酬。貸し付けた元金に対する利子の割合を利子率という。利子は利息、利子率は金利ともよばれる。
[原 司郎・北井 修]
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利子や金利は資金の貸借に応じて成立するから貨幣的とみられがちであるが、実物的な側面にたって利子や金利の資源配分に果たす役割を重視した見方も古くから唱えられてきた。たとえば、ベーム・バベルク、K・ウィクセルやI・フィッシャーたちがこの立場にたっている。すなわち、利子は、家計にとっては将来の消費に備えて貯蓄する一種の時間選好に対する報酬であるとする。現在の消費を犠牲にするのであるから、これに対して報酬(利子)が支払われるが、この利子率が高ければ高いほど、家計は貯蓄水準を高めようとする。また、企業は現在の生産を減少させても、一定の設備を増加させて将来の生産性を高めようとする。この結果、利益(利潤)が得られるので、この設備を増加させるための資金に利子を支払おうとする。これを企業の投資行動とよぶが、企業は投資行動に基づいて一定の利潤を得ることとなる。市場で資金を借り入れて支払う金利よりも投資に対する利潤率が高ければ、企業は投資を行うこととなる。家計の時間選好に基づく貯蓄と企業の投資の水準を決めるのは、前者が供給、後者が需要という関係で成立する市場での金利の高さで、この金利は実物的な利子率とみなすことができる。
金利のもう一つの見方は貨幣的利子率であって、代表的な説明としてJ・M・ケインズの流動性選好説があげられる。すなわち、利子率は、人々が流動性という長所をもつ貨幣を手放して、債券のような利子を生む金融資産を保有することに対する報酬であると主張する。金利が高くなればなるほど、人々は貨幣をより多く手放して債券を保有しようとする。ケインズはこうして成立する貨幣利子率と資本の限界効率(設備投資を一単位増加させたときの期待収益率)の水準が一致するところで投資が決定されると主張した。
利子率の決定理論としては、貸付資金説があげられる。貸付資金説は、貸付資金市場の資金需給関係によって成立する金利と、貨幣市場において貨幣の需給関係によって成立する金利との一般均衡によって金利水準が決まると主張する。
なお、金利には名目金利と実質金利とがある。名目金利からインフレ率を差し引いたものが実質金利である。将来インフレ率が上昇すると市場が予想するときは、名目金利は上昇することとなる。
以上述べてきたように、利子率は金融市場における需要と供給によって決定されるが、金融市場は、そこで取引される金融資産の多様化に応じていくつもの市場に分かれている。金融資産の満期という観点から分類すると、長期金融市場(資本市場)と短期金融市場(貨幣市場)とに大別されるが、それぞれの市場はさらに取引される金融資産ごとに細分される。そしてそれぞれの市場で金利が成立するから、現実の市場金利も多様である。この各種の金利の間にある種の規則性が存在するのではないかという見方がされるようになり、これを金利構造または金利体系とよんでいる。
金利構造には、取引される金融資産の市場性の度合いやリスクの度合いによって各種金利の関係をとらえる見方もあるが、もっとも著名なものとして、金利の期間別構造がある。これは金融資産の満期に伴う各種金利の関係をみようとするもので、横軸に満期、縦軸に金利をとって、各種金利をつないだ利回り曲線yield curveが用いられる。利回り曲線は、流動性選好説によれば、長期資産のほうが流動性を手放す期間が長くなるので金利は高くなり、したがって右上がりの曲線となるが、将来の予想を重視する期待理論ではかならずしもそうはならない。すなわち、将来市場金利が上昇すると予想するときは、貸し手は短期資産の需要を強めるし、借り手は長期資産の供給を高める。そこで短期資産の価格は上昇し、利回りは低下するが、長期資産の価額は低下し、利回りは上昇する。この結果、短期資産の利回りが長期資産の利回りより低い右上がりの曲線となるが、市場が将来金利が下がると予想するときには反対に右下がりの曲線となる。
金利の決定を自由化して市場にゆだねるとこのようにさまざまのタイプの利回り曲線が描けるが、政府や中央銀行が金利を規制すると多く場合は右上がりの曲線となる。日本では、第二次世界大戦後コールレートを除いてほぼすべての金利を規制してきた。また、人為的な低金利政策がとられてきた。この結果、資金の配分は金利ではなく、金融機関などによる信用割当てで行われてきた。そこで1980年代に入ると、先進各国よりは後れたものの、一連の金利自由化措置がとられた。1994年(平成6)10月の流動性預金の金利自由化により、現在では当座預金(付利禁止)を除く、すべての預金金利が自由化されている。貸出金利についても、1989年1月から各銀行が資金調達コストをベースに金融環境などを総合的に判断して決定する短期プライムレートの新方法が導入された。長期プライムレートについても、1991年4月から短期プライムレートに連動する長期変動貸出金利が導入されており、市場における資金の需給関係によって金利が決まるマーケットが形成されている。
[原 司郎・北井 修]
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貨幣は、資本主義生産のもとでは、貨幣それ自体の規定のほかに、自ら増殖して平均利潤を生む価値=資本という使用価値をもつ商品となる。利潤をもたらす能力をもつこの貨幣を貨幣所有者が他人に譲渡すれば、後者は機能資本家となり、資本として機能する貨幣の使用価値に対して生産された利潤の一部分を支払う。これを利子という。もし貨幣が譲渡されないならば、機能資本家は利潤を生産できず、貨幣所有はその所有者に利潤の特定部分である利子の取得を与えない。したがって利子は、譲渡によって利潤を生むという使用価値をもった資本としての商品の価格、資本の価格として現象する。そしてその分量を規定するのが利子率である。
[海道勝稔]
利子率とその変動
利子率は、貸付可能な貨幣資本に対する利子の比率を表す。利子は機能資本家の平均利潤の一部であるから、その最高限は平均利潤そのものであり、最低限は無限にゼロに近い。利子率はこの限界内で貸付可能な資本に対する借り手(機能資本家)と貸し手(貨幣資本家)の需要・供給の関係のみで決まり、それ以外に利子率を決定する内的法則というものはない。
産業資本、商業資本の平均利潤の現実の運動は、利子率の変動にその限界を与える以外には、利子率の変動とはなんの関係もない。つまり利子率は、担保の有無・種類・等級、貸付期間など借り手・貸し手の需要・供給に作用する要因によって相違し、時間的、場所的に絶えず変動する個々の市場利子率があるのみで、それがおのずから落ち着く自然利子率なるものはまったく存在しない。利潤率の個別的変動と違い、貸付可能資本に対する需要・供給が、総量として、相互に区別できない均一の形態として、また信用業の発達・集中に促進されて、同時大量的運動をとるからである。したがって利子率は、利潤率のような平均化傾向はもたず、はっきりと日々の経験のなかで直接にどの瞬間でも固定的につかまえられる大きさとして現れる。平均利子率、中位の利子率は算定されるのみであり、時間的には産業循環過程の利子率の変動の平均を算定し、場所的には資本が長期的に貸し出されるような利子率を算定することから得られるにすぎない。それは、生産過程・流通過程で貸付可能な資本の性格がなんの役割ももたないからである。利子率の決定は、需要・供給、習慣、法的伝統という偶然的、純経験的なものにすぎない。
利子率は、不況期には、利潤率とともに一般にきわめて低い。好況期には、機能資本の意欲で漸次上昇し、繁忙期には、産業資本の投機的拡大で騰貴し、過剰生産になるや、利潤率は資本の還流が失われて急落し貨幣資本供給は減少するのに対し、金融はかえって逼迫(ひっぱく)するため、利子率はいっそう高騰する。恐慌時には、貨幣資本供給は激減するが、機能資本は自己の債務のため貨幣資本を求め、利子率は最高に急騰する。このように、産業循環の局面を決める利潤率に対して利子率の変動は同一ではない。
[海道勝稔]
利子と企業者利得
以上のように、利潤の一部を利子にするのは、資本家の貨幣資本家と機能資本家とへの社会的分裂によってだけである。したがって、借入れを行った機能資本家の平均利潤は、まず、貸し手の貨幣資本家に支払う利子と彼自身の分け前となる利子を超える超過分とに量的に分割される。
ついで、両者の質的分割が始まる。機能資本家が貨幣資本家に支払う利子は、貨幣資本家が生産過程・流通過程で活動していないにもかかわらず、資本所有のゆえにそれに備わったものとして貨幣資本家にもたらされる果実、すなわち資本所有が直接生んだ部分と観念される。これに対し、平均利潤のうち機能資本家に帰属する利子を超える超過分は、彼の生産過程・流通過程での資本機能、すなわち企業者としての能動的役割におのずから備わり、そこから生ずると観念され、その果実として現れる。こうして同一の源泉でありながら、本質的に異なる二つの源泉から生じたように相互自立的現象をとる。
この分裂が社会的に確定すると、借り入れない自己資本のもとでも、平均利潤を、一部は資本所有による利子とし、他は資本機能による企業者利得とする質的分割が生じ、そう観念されるようになる。
こうして貨幣資本家は、機能資本家と対立して賃労働とは対立しない。なぜなら、利子は資本の生産過程の現実の機能から生まれたにもかかわらず、そこから離れた資本所有の産物であるとされ、剰余労働の産物としては現れないからである。他方、企業者利得も賃労働とは対立せず、利子とのみ対立するように観念される。なぜなら、平均利潤が与えられていれば、企業者利得の大きさは、労働によって、規定されないで、利子の大きさによって規定されるからである。さらに企業者利得は、資本機能そのものの所産として、すなわち、機能資本家の指揮・監督の機能としての「労働」の所産として現れる。かくして企業者利得は、さらに「監督賃金」の表象をとる。資本機能が、剰余価値、不払い労働の取得という資本主義的性格にあるのに、いつの時代にもみられる指揮・監督という抽象的機能に置き換えられてしまうのである。
このようにして、利子と企業者利得への相互自立化による質的分割は、同じ剰余価値なのにそれを隠蔽(いんぺい)し、資本主義的生産の本質をまったく見失わさせ、利子もそう観念される。
[海道勝稔]
『信用理論研究会編『講座・信用理論体系』Ⅲ(1956・日本評論社)』▽『F・A・ルッツ著、城島国弘訳『利子論』(1962・巌松堂)』▽『阿達哲雄著『金利』(1975・金融財政事情研究会)』▽『原司郎編『テキストブック金融論』(1980・有斐閣)』▽『富塚良三他編『資本論体系6 利子・信用』(1985・有斐閣)』▽『岩田規久男著『テキストブック 金融入門』(2008・東洋経済新報社)』▽『K・マルクス著『資本論』第3巻第5篇第21~23章(向坂逸郎訳・岩波文庫/岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫)』