開幕前の一幕
デザイン修正の方針が決まり、武器弾薬、ではなく布と糸ともろもろの必要物資がそろって、衣装係が恐ろしいスピードで縫い始めたところで、エカテリーナはレナートと共に発声練習と歌の練習へ。
その合間合間に、あらためて脚本をガン見だ。自分で考えた台詞、自分で考えた演出(皆が出した案もいろいろあるが)とはいえ、自分で演じると思って、どう話しどう演じるかを考えながら読むと、全然違う。
なにしろ私は、見た目がまったく悪役令嬢ではなかったオリガちゃんと違って、本物。シン・悪役令嬢!
もう開き直ってガチに徹するしかない。中途半端が一番いけない。
……って結局こうなるのか……。いやゲームと違って劇の主役ではないけどさあ……。出ることにはなっちゃった。
こんなことが起きるから、断罪破滅がありえないってすっかり安心することができないんだよー。ゲームの通りになるなんてありえない、と思ったとたん、そっちに引っ張られる気がする。うえーん。
などと心の中で嘆いているうちに、わずかな時間を使い切って、もう開演直前。
やりきった表情の衣装係が見事に間に合わせてくれた衣装はいったん脱ぎ、上演開始前に観客に事情を説明するため、制服姿でエカテリーナは舞台袖にいた。
舞台の幕は下りていて、その裏側では前のクラスの撤収と、エカテリーナのクラスの準備が急ピッチで進んでいる。
そっと覗いた場内は、みっちりぱんぱんの満席だ。
うわーん、怖いよう。
全員がオリガの歌を聴きにきた人で、説明したとたんにブーイングされるという想像をしてしまって、生まれたての小鹿のように足がプルプルしてくるエカテリーナである。
いつもと違って妙に弱気だが、ゲーム通りへと運命をねじ曲げるかのような、得体の知れない何かへの怯えがそうさせている。
頑張れ自分!前世でも、逆風しかないところで
クライアントの大会議室で、システム障害の原因と再発防止策の説明やった時なんて、クライアントから怒りの嵐、体感で瞬間最大風速五十メートル(大型台風レベル。樹木が根こそぎ倒れたりする)くらいの逆風の中、なんとかやりきったんだから。アレに比べれば余裕だ余裕!
それに、逆風だけじゃない。この中には、お兄様や側近の皆さんがきっといる。もしかしたら皇子も。
『君はとても勇敢だった』
以前、学園に現れた魔獣を共闘して倒した時にミハイルが言ってくれた言葉が脳裏に浮かんで、エカテリーナはちょっとだけ微笑んだ。
皇子……、今回もあとで褒めてよ。あてにしてるよー。
いつもよくしてくれるし、オリガちゃんの件ではすっかりお世話になったから、頼る癖がついちゃったかも。うう、アラサーのくせに十六歳に頼るって情けないぞ自分。ていうか、破滅フラグが怖いのに破滅フラグの化身に頼るって。
私には、お兄様がいてくれる。お兄様は、私がブーイングされたらきっと……。
舞台に駆け上がってきて、助けてくれちゃうな!
観客席を睨み据えて、一喝して、でもって全力で私を慰めてくれるんじゃないかしら。お兄様シスコンだから。
なんなら、こんな所にいなくていい、と言って舞台から連れ出してくれるかもしれない。お姫様抱っこで。お兄様シスコンだから。
ヤバい。
妄想の中のお兄様がかっこいい!
お兄様、背が高いから舞台映えするしー。お声も素敵でよく通るしー。やだーうっとり〜〜〜。
かなり現実から逃避しているエカテリーナである。
いや!うっとりしてる場合か自分!
そんな行動、お兄様の公爵としての威厳にかかわる。皇都の貴族たちに、お兄様が軽視されるなんてことになったらどうする!
いかん。お兄様が舞台に駆け上がってこないように、私は一人でも大丈夫です!って様子を見せなければ。
ブラコンを名乗るからには、それくらいやってみせるんだ自分!
……そろそろ、ブラコンとはそういうものか?と誰かがつっこむべきかもしれない。
しかし残念ながら、これらはエカテリーナの脳内で繰り広げられる一人漫才のため、今後もつっこみが入る可能性は皆無なのだった。
「エカテリーナ様」
「あ……フローラ様」
フローラに声をかけられて、エカテリーナは我に返った。
すでに純白の衣装を身につけているフローラは、愛らしくも聖女にふさわしい神々しさだ。ただ表情は心配そうで、フローラは両手でエカテリーナの手を取った。
「大丈夫ですか」
「ええ、もちろんですわ」
そう言ったものの、エカテリーナの足はまだ震えていて、きっとフローラにも伝わってしまっただろう。
「なにぶん、急なことですもの……きっとご迷惑をおかけしてしまいますわね」
「迷惑だなんて」
きゅっ、とフローラはエカテリーナの手を握る手に力を込める。
「クラスの皆様は全員、エカテリーナ様に感謝しています。私だって、あんなにお稽古したのに劇がなくなってしまうなんて、残念だって思っていました。でもエカテリーナ様が代役を引き受けてくださって、準備やお稽古が無駄にならなくなって、とっても嬉しいです。
エカテリーナ様はお稽古なさっていないんですから、何かあっても当たり前です。迷惑をかけるなんて、絶対におっしゃらないでください」
そして、フローラはくすっと笑った。
「もし、別の方がエカテリーナ様の立場にいらしたら、きっとエカテリーナ様がその方に、何かあっても当たり前だっておっしゃっていたと思います。迷惑なんて思ってはなりません、って。エカテリーナ様はいつも、他の方に優しくてご自分に厳しくて……たまにはご自分に優しくなさってください」
「まあ……」
フローラちゃん。
優しい!
「フローラ様……こんなにお優しい友人がいらしては、わたくし自分に優しくなどする余地がありませんわ」
「ふふっ。私も、そのお気持ちは解ります」
そして、そっとエカテリーナを抱きしめた。
「大丈夫。きっと、うまくいきます」
うん。
そうだね。
こんなに可愛くて清らかなヒロインがいて、頑張ってくれた皆がいるんだもの。
悪役令嬢一人が多少やらかしたって、きっと、ちょっとしたスパイスさ!
「ありがとう存じますわ、フローラ様。そうですわね、きっと、うまくいきますわ」
フローラに抱擁を返す。
足の震えが止まっていた。
準備ができた、と大道具係から声がかかる。
エカテリーナはうなずいて、そっとフローラから離れ、舞台へと一歩を踏み出した。
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