フジテレビ出身のフリーアナウンサー長谷川豊氏が話題のニュースに関する見解を「教えて!goo」で毎週コラムとして配信中。

今回は産経新聞に掲載された曽野綾子さんのコラムについて長谷川氏が持論を展開します。

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あぁ…なるほどなぁ…と。そんな印象です。
産経新聞2月11日のコラムに、曽野綾子さんが載せたコラムが少しだけ話題になりました。簡潔に言いますと、曽野さんは昔、南アフリカを訪れて現場で見聞きした経験から「人種・文化・風習などが違うもの同士が一緒に住むのは結局は難しいのではないか?」と提言し、日本に労働者として移民を受け入れるに際しても、場所だけでも別々に住むのもアリではないか、と提言したわけですね。

で、それに対して各方面から猛反発。これはもう皆さんの方がご存じの通りで。南アフリカの方々からは「アパルトヘイトを賛美するかのような発言だ!」と怒られ、抗議文なども送られたそうです。掲載した産経新聞や曽野さんは謝罪要求を拒否。曽野さんは改めてラジオなどで、
「私はアパルトヘイトを称賛したわけではない」
とあくまで個人の一意見であると主張。アパルトヘイトを認めるのではなく、チャイナタウンのように、文化や風習の違う人はその人同士で住むこともありではないか、という持論を再び主張したのでした。

さて、この曽野さんの話、2点考えられると私は見ています。

まず、1点目。『謝罪するかどうか』に関しては、曽野さんや産経新聞の主張が正しいとみます。所詮、ただのコラムです。いろんな意見があるのは当然のこと。それを載せたからといって、毎回謝罪してたらきりがありません。個人的には「論」には「論」で対するのがいいと思いますので、産経新聞は代わりといっては何ですが、曽野さんに反対する意見のコラムでも掲載したらいいのではないかと思います。「論」には「論」で。「意見」には「意見」が一番健全な形です。
個人的には曽野さんのコラムは間違っていると思いますし、ニューヨークで生活した経験からもその理由はいくらでもあげられるのですが、長くなりすぎます。なので、現在、南アフリカに住んでいる日本人、吉村峰子さんのコラムを紹介しておきます。曽野さんの意見を完全に論破されてますけれど、私は大体この吉村さんと同じ意見です。そうです。曽野さん、多分、

話、作ってます。ええ。まぁいいけど。

(『南ア永住の日本人より曽野綾子さんへ』  
http://www.huffingtonpost.jp/mineko-yoshimura/ayako-sono_b_6704152.html

さて、もう一点ですが、私はこの曽野さんのコラムを読んで「あぁ、差別ってこういう人がするんだなぁ…」と感じました。そうです。「差別とは何か?」という観点から読み解くと結構面白い気がするのです。
恐らく、曽野さん、「私は南アフリカの方を差別なんてしていません!なのであくまでただ一人の意見なんです!」って思ってらっしゃるでしょう。そうです。曽野さんって…

天然ですよね。完全な。

多分…「自分は差別主義じゃないー!」だから「差別に当たらない~!」「区別だ~!」とか独自の論を展開してる人だと思うんですが、差別ってですね…

意識してするものじゃないですからね。

例えば、太ってる人に「太った?」。結婚していない女性に対して「結婚しないの?」「背の小さい人に「ちっさく可愛いね~」。
全部「悪気」はないです。曽野さんも、「文化や風習の違う人は別々に住んだ方がいいんじゃない?」って言ってるだけなので、きっと本人は悪気はない気がします。でも、

悪気のない中にも人を傷つけるものはあります。

そこに気付いていないんだと思います。そもそも、「文化や風習が違う」のなら、それらを学び、受け入れ、「いろんな人のいろんな文化があってもよいのだ」と受け入れる心こそが、差別をなくす平等の心です。その努力をしないことこそ、差別の温床なのです。

どうせ、在日朝鮮人なんでしょ?
どうせ、関西人なんでしょ?
どうせ、黒人なんでしょ?イエローモンキーなんでしょ?
どうせ男でしょ?
しょせん女でしょ?

関西人でも在日の人でも、そもそも色んな人がいるのです。全部「勝手な決めつけ」と、「色んな人がいる世界を理解しようとしない」精神構造からくる考え方です。これこそが差別の温床なのです。きっと、曽野さんは悪気がないために、このことに気付いていないのでしょう。そして、これからも気付かないタイプだと思われます。

今回、曽野さんのコラムには多くの反対意見が寄せられたそうです。健全なことだと思います。昔の日本人って結構こういう人が多いような気もしますが、逆に言えば、良い人ぶってないで曽野さんのように忌憚なく意見を述べてくれる人がいるからこそ、じゃあ間違っているなら何が違うのか、真剣に考えられるきっかけにもなると思います。

ニューヨークで、僕の3人の子供は現地校に通っていましたが、その間、ほとんど差別のような行為を受けませんでした。世界では差別は本当に「最低な行為」として受け止められます。日本以上に。あのコラム、いったい何がいけなかったのか、みんなで考えるいいチャンスのような気もします。

長谷川豊Hasegawa Yutaka)

【長谷川豊】差別ってこういう人がするものなんでしょう ~曽野綾子さんのコラムについて~