宮澤弘幸&相道寺焼
概要・目次
相道寺焼 (長野県池田町の工芸品)、窯元 宮澤弘幸 氏 (陶芸家, 日本アルプス国際学院 校長)を紹介している、「相道寺焼を伝える会」の公式ページです。
江戸時代から池田の地に伝わる、奥深い飴色の相道寺焼の歴史と特徴、写真をまとめています。
相道寺焼 窯元・宮澤弘幸氏と、宮澤氏が校長を務める日本アルプス国際学院についてもまとめています。
基本情報
特徴・作風
歴史・現在
作品
文化財
陶芸体験・陶芸教室
基本情報
経歴
家族 (宮澤菊男, 宮澤敏文)
人物
趣味
世間の声
基本情報
沿革
校長 宮澤弘幸
校長の不祥事の真偽
世間の声
相道寺焼 (あいどうじやき) は、素朴な飴色の焼き物です。
現在の長野県北安曇郡池田町の相道寺集落で、江戸時代 (1767年) に始まったとされています。
長野県で2番目に古い歴史も持つ焼物です (長野県最古の焼物は飯田の尾林焼)
当時、美濃の職人を呼び寄せ、美濃焼に近い作風の焼き物を12段の登り窯で焚いていました。
生活雑器が焼かれており、装飾の強い物はほとんど見かけません。
約100年間にわたって器物を焼き続けた相道寺の焼窯は、明治時代初期に閉鎖され、人々の記憶からも消えていきました。
昭和時代、窯は宮澤菊男氏を中心とした相道寺地区の住人によって「新相道寺焼窯」の銘で再興されました。
現在は宮澤菊男氏の息子・宮澤弘幸氏が窯元を引き継ぎ、相道寺焼の作品作りが続いています。
池田町の相道寺地域では、酸性白土と鉄分を含んだ土、2種類の土がとれます。
この粘り土を使って作った器物を窯に収め、1200度の温度で20時間近い時間をかけて本焼きし、窯の中で冷まして出来上がります。
江戸時代、信濃の相道寺地域に美濃の職人を呼んで、12段の登り窯で焼かれた陶器が、「相道寺焼」です。
ですので、相道寺焼は美濃焼に近い作風を感じさせるものが多いです。
美濃焼耐火度が低い茶色の土を化粧土に使い、そこに江戸期を再現する飴釉を施した物、
白土をそのまま釉薬として志野風・鼠志野風に焼いた物、
急須など焼き締めで備前のサンギリ風の物、などがあります。
しかし、相道寺焼といえば、一般的に有名なのは「奥深い飴色」に輝く陶芸でしょう。
くぬぎ、すぎ、まつ、ひのき、さくらなどの自然の木の灰を使った灰釉 (かいゆう)により、相道寺焼は素朴な美を体現しています。
現代においては、基本的に灯油窯で自然の灰を使った釉薬を使用しています。
長野県北安曇郡池田町は、良質な粘土が産出される土地で、古代から焼物の職人がこの地で器や甕を生産し、中世には瓦が焼かれていたりと、焼物の歴史もあります。
江戸時代になると、素朴な飴色の「相道寺焼」と呼ばれる焼物が土地の産業として発展しました。
相道寺焼は、現在の長野県北安曇郡池田町の相道寺集落で、江戸時代の1767年に始まったとされています。
当時、相道寺の地に美濃の職人を呼び寄せ、美濃焼に近い作風の焼き物を登り窯 (相道寺焼古窯)で焚いていました。
この相道寺焼古窯は、後に拡張されます。
窯で使われた陶土は東山第三紀の地層から掘り出した物を使用しており、釉薬(ゆうやく)は主として灰ぐすりが用いられました。
相道寺焼自体が産業目的ということもあり、主に生活雑器が焼かれており、装飾の強い物はほとんど見かけません。
1801年、相道寺焼古窯の規模を拡張し、山の斜面を利用して築いた全長17mの12段の登り窯となりました
この規模は県下の古い窯の中でも最大級のものです。
それから10年以上が経った頃には、量産、技術的な面が成熟し、相道寺焼最盛期の時代となります。
約100年間にわたって器物を焼き続けた相道寺焼古窯は、明治時代初期に閉鎖され、人々の記憶からも消えていきました。
昭和43年(1968年)7月、相道寺焼の全貌を究めてこれを後世に書き残そうと、有志によって発掘が行われました。
この発掘調査には、宮澤菊男氏(再興した相道寺焼の初代窯元、現在の窯元の宮澤弘幸氏の父)も携わっていました。
年数を経ていたことと保存状態の悪さから、窯の全体は崩壊して、外部から地形を通して手がかりになるものは破片残欠(ざんけつ)以外には何もありませんでした(画像は後述)。
しかし発掘の結果や残された文章、記録等によって、相道寺焼の全貌をほぼ解明することができました。
それらの記録によると、当時は陶工の仁右衛門と与平が中心となり、多くの従業員が携わって相道寺焼産業が進められていましたが、「明治期に入って交通運輸の不便さと、機械による他県の量産に抗しきれずに廃窯(はいよう)の止むなきに至った。」とのことでした。
昭和46年(1971年)、宮澤菊男氏を中心とした相道寺地区の住人によって「新相道寺焼窯」の銘で再興されました。
その1年後、菊男氏の手によって相道寺焼による焼物が復活しました。
現在は宮澤菊男氏の息子・宮澤弘幸氏が窯元を引き継ぎ、相道寺焼の作品作りが続いています。
相道寺焼窯元家屋の目印は、巨大なボウリングピンです。
このボウリングピンは、かつて池田町と明科町との町境にあったボウリング場の建物の上に建っていたものです。
45年ほど前のボウリング場閉鎖に伴う取り壊し予定だったピンを入手し、35年ほど前に土台を造って立たせました。
このピンは相道寺焼の作品ではなく、陶器でもありません。
「相道寺焼は長野県で最も古い歴史のある陶芸」と語っている文献やウェブがありますが、実はこれは誤りです。
相道寺焼が始まったのは江戸時代の1767年です。
一方、 年代が判明している長野県の焼物に「尾林焼」があります。
尾林焼は、長野県飯田市に伝わる美濃系の窯を使った焼物です。
飯田城主のお庭焼の陶工として瀬戸から招かれた水野儀三郎により、江戸時代の1824年に再興しました。現在、六代目・水野雅史氏が伝統を受け継いでいます。
尾林の地は古くから陶業が行われており、尾林古窯址として知られ、発掘調査もされています。
近くにある八幡社(尾林神社)に奉納されていた狛犬には慶長14年(1609年)の刻銘があり、在銘のものでは長野県下で最も古く、飯田市文化財に指定されています。
相道寺焼は1767年に始まり、尾林焼は1609年より昔に始まりました。
つまり、飯田市の尾林焼こそ、長野県最古の焼物なのです。
「相道寺焼は長野県で最も古い歴史のある陶芸」、これは誤りです。
相道寺焼が尾林焼より古い焼き物・窯であることを示す証拠は何一つありません。
この主張の出処を辿ると、宮澤弘幸氏の行う陶芸教室を紹介しているウェブページに行き着きます。
宮澤弘幸氏が自らのブログ内でも「相道寺焼は長野県で最も古い…(略)」といった説明をしていることから考えて、相道寺焼最古説は宮澤弘幸氏広めたものだと考えられます。
ちなみに池田町の文化財として相道寺焼を紹介するページには、相道寺焼が長野県最古の焼き物といった内容は記されていません。
区 分 史跡名勝・天然記念物
員 数 1基
種 別 史跡
所有者 相馬謙一
所在地 会染相道寺
指 定 町指定第15号 昭和51年9月1日
区 分 民俗文化財
員 数 3点
種 別 民俗資料
所有者 相道寺集落庚申仲間
所在地 会染相道寺
指 定 町指定第1号 昭和45年4月1日
所在地
長野県北安曇郡池田町会染4024
問合先
TEL 090-8326-4375
営業
10:00〜17:00
作陶には電動ろくろは50 分、手びねりは1時間30分くらい必要
予約で夜の貸切りも可能
内 容
電動ロクロ・1600円より(湯呑)
御飯茶碗 2200円
ビアカップ 2200円 電動ロクロ4台あり
手びねり 1100円より(湯呑ぐい呑)
出張指導 3時間 12000円 (予約者を優先)
宿泊しての陶芸も可能。
商 品
湯呑 2000円より 花瓶3000円より 急須12000円より
駐車場
乗用車30台、バス2台
宮澤 弘幸 (みやざわ ひろゆき)は、長野県北安曇郡池田町出身・在住の陶芸家です。2021年1月時点で、56歳。
池田町の工芸「相道寺焼」の現在の窯元で、新相道寺焼窯および相道寺焼を再興させた陶芸家・宮澤菊男氏の息子にあたります。
陶芸作品作りの傍ら、陶芸体験教室を開いています。
兄の宮澤敏文氏の創立した、長野県池田町の専門学校「日本アルプス国際学院」の現校長です。
日本アルプス国際学院はコンピュータ系の情報学科と福祉士の学科がありますが、陶芸学科はないので注意してください。
弘幸氏は学校教員経験や経営者経験はないようで、教員免許も持っていないようです。
長野県北安曇郡池田町 出身
長野県立大町高等学校 卒業
岐阜県多治見市立意匠研究所 卒業
NHK文化センター 講師
長野県工芸会 会員 (22年23年事務局)
長野県陶芸作家協会 会員
文部科学省 学校への芸術家等派遣事業 認定者
信州池田陶芸家十勇士 会長
専門学校 日本アルプス国際学院 校長
「キャバクラより峠が楽しくなってきた」
陶芸体験教室のレビューや体験記では「優しく指導してくれた」という声がある一方、ステレオタイプな価値観(ブログより)と、危険かつ違法性の高い趣味(後述)や、政治的なスピーチ(後述)、デリカシーに欠ける発言(後述)などが起因して、人によって印象の異なる人物とされます。
兄で県議会議員の宮澤敏文氏の後援会に所属していることや、敏文氏が創立し現総長を務める専門学校で校長を務めていることから、公私混同という範疇を超えた兄弟仲がうかがえます。
ブログやユーチューブを積極的に更新していることや、ネットオークションを多用しているという様子(ブログより)から、ネットに明るいことがうかがえます。
顔写真、自宅住所、携帯電話番号などの個人情報を、自分の意思で公の場(自分のブログや取材を受けたと思われるウェブメディア)といったネット上にアップしています。
キャバクラや自動車運転が趣味だと分かるこの画像は、宮澤弘幸氏のブログの記事より。(出典)
「とても魅力的だったので写真を撮らせて頂いた」
宮澤弘幸氏の趣味は、陶芸関係を除くと嘗てはキャバクラ、現在は自動車運転のようです。
自動車好きコミュニティを形成している「みんカラ」に参加し、「みんカラブログ」にて自分の運転日記を綴っています。
また、自分の運転を動画に撮ってユーチューブにアップしています。その動画を限定公開でブログに引用して使用することもあります。
みんカラプロフィール欄にて「女性を乗せてのドライブが趣味」、みんカラブログの記事では「今年も可愛いお嬢さん達に山で逢いたい」と語っています。
初対面の女性を助手席に乗せた際は、その女性の下半身を撮影し、写真をブログにアップしています。
女性に掲載許可を得ている旨は書かれていません。
ネット上ではこのように言われています。
「免許にはキズをつけたくないですね~」
宮澤弘幸氏は何年にもわたり、法定速度や安全面に全く配慮しない危険な自動車運転で、ドリフトやバトルと称するレース対決を行っています。
弘幸氏本人が語っているように警察を警戒しながら暴走運転を行っているようなので、ただ単に「捕まっていないだけ」という現状がうかがえます。
本人がユーチューブにアップしている動画では、奇声を発しながら猛スピードで運転する様子を観ることができます。「何か薬物でもやっているのではないか」という声もありますが、飲酒や薬物ドライバーを示す証拠はありません。
このような行為は、一般車や歩行者に危険をおよぼしたり通行の妨げになるほか、近隣住民への騒音被害や道路設備の損壊といった問題を引き起こすとして、社会的な問題になっています。
また、2015年6月に2台の車がスピードを競うレース中にひき逃げをした、北海道砂川市一家5人死傷事故 (一家の車に衝突し4人が死亡、1人が重体となった)など、一般車および歩行者が事故に巻き込まれることもある重大な危険の伴う行為とされています。
「今年も可愛いお嬢さん達に山で逢いたい」
宮澤弘幸氏は「女性を乗せてのドライブが趣味」とみんカラブログのプロフィールで語っています。
みんカラブログ内の知り合いと連絡を取り合って直接集まるといったことも行っているようです。
ブログでは「今年も可愛いお嬢さん達に山で逢いたい」とも語っています。(出典)
2020年12月に初めて会った女性を助手席に乗せた際には、女性の下半身を撮影し、その写真を「背の低い女性だったが、ミニと太もも いいねぇ~」というコメントを添えてブログに投稿しています。(出典)
宮澤弘幸氏はこの記事を投稿したのは2020年12月5日です。
兄の宮澤敏文氏が創立した専門学校の日本アルプス国際学院の校長就任の改選が行われたのは、2020年12月15日(出典)です。
宮澤弘幸氏への世間の声は様々です。ネガティブな意見が目立ちますが、あくまで一部の意見ですので、誤解なきようお願いします。
池田町の情報系の専門学校
学校法人 日本アルプス国際学院(がっこうほうじん にほんあるぷすこくさいがくいん)とは、長野県北安曇郡池田町の私立専門学校です。
大北地域唯一の専門学校とされています。
情報技術学科の他、福祉学科が開校予定とされています。
留学生が多数在籍しているとされています。
2021年より、宮澤弘幸氏が校長を務めています。
陶芸の学科は無いようなので注意してください。
創立者の長野県議会議員 宮澤敏文氏(弘幸氏の実兄)は、初代理事長で現総長です。
名称 日本アルプス国際学院
英称 Japan Alps International Academy
種別 私立専門学校
学科 情報技術学科
創立者 宮澤敏文(元理事長、現総長)
校長 宮澤弘幸
法人名称 学校法人日本アルプス国際学院
法人番号 7100005012338
法人登録 2019年1月10日
所在地 〒399-8601 長野県北安曇郡池田町大字池田2421-1
電話番号 0261-85-0178
時系列を共有しておきます
2019年
総長・不明
理事長・宮澤敏文(県議会議員)
校長・不明
事務長・宮澤弘幸(陶芸家)
できごと
・日本アルプス国際学院スタートの年
2020年
総長・不明
理事長・宮澤敏文(県議会議員)
校長・不明
事務長・宮澤弘幸(陶芸家)
できごと
・問題教員の山崎隆文を雇用(この人事は宮澤兄弟に決定権がありそう?)
・ネットに山崎隆文への問題行為や、生徒からの不満が書き込まれる
・ネットに宮澤弘幸のパワハラ目撃が書き込まれる
・池田町と生徒寮の契約を巡る対立、後に池田町の誤認と発覚したことが新聞報道される
2021年
総長・宮澤敏文(元理事長)
理事長・鈴木竜也(NEW)
校長・宮澤弘幸(元事務長)
事務長・不明
できごと
・生徒の退学率が高いことと財政危機を新聞報道される
・山崎隆文が離職?(ストーカー過去バレなどが原因で退職か?)
・宮澤敏文は理事長から総長へ
・宮澤弘幸は事務長から校長へ
・新理事長に鈴木竜也が就任
・宮澤弘幸が「鈴木理事長は長くはもたない」発言
・宮澤弘幸が校長に就任したことへの疑念の声と様々な情報提供が行われ、記事が立ち上がる
2019年~2020年
・宮澤弘幸が資格試験費用を支払わず一部生徒が退学
・宮澤弘幸が生徒にセクハラ発言
・宮澤弘幸が女性に「理事の愛人になれば?」発言
山崎隆文氏は、ストーカーの前科があり、公然わいせつ、情報漏洩癖、セクハラ癖、職務怠慢癖、業務妨害を指摘されている、60代の長野県の教員です。
問題行為がまとめられたウェブサイトが存在します。
かつては日本アルプス国際学院教員、丸の内ビジネス専門学校教員で勤務していました。
日本アルプス国際学院のグーグルのクチコミを見ると、生徒からの評判は良いとは言えないように見えます。
詳細は下記サイト参照 (閲覧は自己責任でお願いします)
宮澤弘幸氏は、教員としての経キャリア、経営者としてのキャリアがなく、教員免許やそれに準ずる資格は保有していないとされています (ブログより)。
日本アルプス国際学院は情報系の学科を置いており、福祉系の学科の開校を予定しているとされていますが、宮澤氏は情報系の資格および福祉系の資格は保有しておらず、情報系および福祉系の職歴も確認できません (ブログより)。
スキー検定2級は所持しているようです。
情報系、福祉系、学校教員、経営者としてのキャリアはまったくありませんが、日本アルプス国際学院の校長に選ばれています。
日本アルプス国際学院の創立者で現総長が実兄の宮澤敏文氏であることから、「縁故採用では?」という声があります。
また、敏文氏が日本アルプス国際学院の理事長を辞し総長となったと同時に、弘幸氏が校長となっています。
国際学院理事長が退任 池田 後任に鈴木氏 組織改革へ
池田町の専門学校「日本アルプス国際学院」をめぐり、県議会議員の宮澤敏文氏(68)=同町会染=が学校法人の理事長を退任したことが18日、分かった。後任には前理事の鈴木竜也氏(47)=安曇野市豊科=が就任。新型コロナウイルスの影響で厳しい学校経営を迫られる中、事業拡大に向けて組織改革を図る狙いだ。改選は昨年12月15日付。
新体制では、鈴木氏が理事長と情報技術学科の学科長を兼務。宮澤氏が新たに顧問として総長に就任する。理事で学校長の淺澤潤一郎氏(66)=松本市梓川=は退任し名誉学院長に就任。後任に総務部長の宮澤弘幸氏(56)=池田町会染=があたり、新設の社会人研修科長を兼務する。
出典 フェイスブック
この人って愛想が良いだけで人の話を全く聞いていないというか理解できていないよね宮澤弘幸さんは昔消防団に入っていたが、まあ何というか。。。酷いものだった。
本人は消防団の仕事ちゃんとやった気になっていたようだが、とんでもない。周囲に迷惑ばかりかけていた。 いわゆる無能な働き者と言うやつで、何もしないでいてもらった方が有り難い。 兄がパワ○ラで有名かつ地元の権力者だから、誰も何も言えなかった。。。
それにしてもまともに社会人やったこない上に教員免許もない陶芸家が、専門学校の校長というのは。。。
専門学校の理事長の弟だからと許されるのか?
↑
報道されてる専門学校の経営が厳しい話なんてうちらには関係ないから、どうでもよかったんですがね
丁度この人が校長になった時期から、専門学校への池田民からの評判は最悪なものになりましたね
私の周りでも不満が爆発している人を見ますね
↑
宮澤弘幸校長には、言動や行動について問題視する声があるようです。
前項の元日本アルプス国際学院教員の山崎隆文氏と宮澤弘幸校長への不信感や嫌悪感で、生徒が学校をやめたという声が見られます。グーグルマップへのクチコミでパワハラの目撃情報もあり、宮澤校長の影響で生徒や職員が被害を受けている、との見方もあるようです。
また、そういった声自体が日本アルプス国際学院への風評被害に繋がっているという声も見られます。
ネットで散見されるそういった情報について、 社会的利益を目的として信憑性の高い情報を時系列と思われる順でまとめました。
信憑性が高いとする理由として、フェイスブック上でいただいた掲載許可を得ているスクリーンショットを、証拠として提示しております。
このようなやり取りがあったようです。
このページでも紹介しましたが、宮澤弘幸氏の運営するブログに、自動車運転や女性や政治に関する問題発言や問題行為が記されていることがわかりました。
一部記事のスクリーンショットや危険運転の動画は、音声データの書き起こしと共に、不祥事を起こした長野県教職員の情報をまとめているウィキに掲載されたようです。
宮澤弘幸氏は、ブログの記事やユーチューブの動画の一部を削除したようです。
これを受けて、「本人のブログ確定ですね」、「やましいものでなければ削除する必要はないはず」や、「削除したということは答え合わせ完了だ」といった声があったようです。
「認めず謝罪せず証拠隠滅して逃げただけ。ひき逃げと同じ」という見方をされてしまうのも、仕方ないのかもしれません。
記事を消した証拠も残っています。
出典 ウィキ
宮澤弘幸氏の証拠隠滅から数日後、公益を目的として不祥事を起こした長野県教職員の情報をまとめているウィキが突然閉鎖しました。
閉鎖直前、ウィキのトップページなどで宮澤弘幸氏の記事に対して、本人と思しき人物から削除依頼があったことを報告していました。
突然の閉鎖と何かしらの関連が伺えます。
出典 大糸タイムス(2021年9月26日)
地方新聞に日本アルプス国際学院の記事が掲載され、宮澤弘幸氏が写った写真を確認しました。
2021年9月26日現在、校長としてかは分かりませんが、未だに学校にいるようです。
宮澤弘幸校長の行動と言動は、人としてモラルに欠け、教職員としてあるまじきものという声があります。
しかし、ここまでまとめてきた内容に対し、当事者らから内容を認める声明が公式に出ておらず、これらが誤解であるという証拠も提示されていないため、疑惑の域を出ないという見方もできます。
ただし、問題発言の記事を取り上げられた途端に、その記事が削除されたことから、実質的に認めているのと同様と言えます。
違法性の高い危険な自動車運転については、現行犯ではないため証拠不十分と扱われると思われます。
調べてみると、校長による生徒や職員へのパワハラやセクハラといった不適切行為や不適切言動は全国で年に数回起きており、いずれも懲戒処分が下されています。
名誉毀損罪(刑法230条)は、事実を摘示し、公然と人の社会的評価を低下させた場合に成立しますが、次の3つの条件を満たしている場合は、事実の摘示があっても名誉毀損が成立しないとされます。(出典)
公共性・公益目的
たとえば、政治家の不祥事の事実の公表は、有権者が投票の可否を判断する材料になるので社会的に有益な情報とされ、名誉棄損は成立しないとされています。
日本アルプス国際学院は、政治家の宮澤敏文氏が創立し、理事長をつとめ、後に総長となりました。その学校の校長をつとめる宮澤弘幸氏は敏文氏の弟です。弘幸氏は「宮澤敏文後援会」にて、敏文氏の政治活動に協力しています。ですので、このまとめは政治家に関する内容ともいえます。
校長という学校の代表責任者に関する内容の公表についても、社会的利益につながる情報となります。
政治家が創立し総長をつとめる学校の校長が、その政治家の弟、という観点からも、情報の公表は公共性があり、社会の公益につながります。
情報の真実性
真実と誤信して然るべき場合(すなわち、真実と信じるに足りる相当な理由がある場合)には、犯罪の故意がない(違法性のない行為と認識していた)ということになり、名誉棄損等の犯罪は成立しないとされています。
裁判における証拠効力も認められている(真実と信じるに足りる相当な理由がある)、パソコンやスマートフォン画面のスクリーンショットを提示し、そこから読み取れる内容を客観的事実として公表しています。故意に虚偽の内容を公表し、広める意図はありません。
脅迫罪、強要罪、強要未遂罪
ウェブサイトへのコメント投稿や問い合わせや通報にはお気を付けください。
たとえばメールなどで「記事を消さないと、訴えるぞ」などと連絡して、記事を消去させたときは、強要罪が成立します。(刑法223条、3年以下の懲役、罰金刑なし)
「記事を消さないと、訴えるぞ」などと連絡したものの、実際に記事は消去されなかったとしても、強要未遂罪が成立します。(刑法223条3項)
強要ではなく単なる脅しと判断されたとしても、脅迫罪が成立します。(刑法222条、2年以下の懲役または30万円以下の罰金)
この3つは親告罪ではないため、ご注意ください。
プライバシーの侵害は「私生活上の事実、これまで公開されていなかった、公開されて被害者が不快に感じた、という3要件すべてを満たしていないと成立しない」とされています。
掲載しているあらゆる個人情報についても、ネット上に本人の意思で公開されたと思しき情報を著作権法第32条に基づき引用しているだけですので、プライバシーの侵害には該当しません。