最愛の男を独り立ちさせるため、自ら身を引く女。そんな「大人の別れ」の歌に異邦からやって来た歌手の声音が、見事にマッチする。語り継がれる名曲『ラブ・イズ・オーバー』大ヒットの秘話。
最初はB面曲だった
菲菲:伊藤薫先生に作詞・作曲していただいた『ラヴ・イズ・オーヴァー』で私がオリコン1位を獲得したのは'83年のこと。もう40年近く前だと思うと、時の流れの早さを感じます。
富澤:キャッチーでメロディアスな曲調に、強い意思を感じさせる菲菲さんの歌声。第一声の少しくぐもったフレーズから強烈に引き込まれて、一度聞いたら忘れられないインパクトがある。森進一さんや美空ひばりさんをはじめ、数え切れないアーティストにカバーされてきたのもうなずけます。
でもこの曲、最初の発売の'79年には『うわさのディスコ・クイーン』という曲のB面扱いで、目立たなかったんだよね。
伊藤:そうなんです。エレックレコードで吉田拓郎さんや泉谷しげるさんのレコーディングに携わり、当時はポリドールにいた名物ディレクターの故・萩原克己さんから「欧陽菲菲に2曲作って欲しい」と頼まれた。
「A面は花火の上がるような明るい曲で、B面はそれとは逆のしっとり聴かせるバラードにしてほしい」と。それで出来上がったのが、『うわさの〜』と『ラヴ・イズ』でした。
菲菲:実は私は、最初にレコーディングしたときから、『ラヴ・イズ』のほうが好きでした。スタジオで聴かせてもらったとき、鳥肌が立ったの。「サムシングフィーリング」っていうんでしょうか。言葉ではうまく言い表せないんだけれど、身体が震えるような魅力を感じたんです。
富澤:それまで、菲菲さんは136万枚を売り上げた『雨の御堂筋』を筆頭に、『雨のエアポート』『恋の追跡』といったアップテンポの曲をファンキーに歌いあげるのが持ち味だった。だから、バラードというのはなかなかの冒険。『うわさのディスコ・クイーン』のほうをA面に持ってきたレコード会社の判断はうなずけます。
菲菲:当時はディスコブームも起こっていたし、『うわさのディスコ・クイーン』が推されたのは自然な流れでした。