大使館ニュース
2008年8月コーカサスでの事件から10年、ロシア外務省報道局によるコメント
10年前、2008年8月7日から8日にかけての夜半、グルジアのミヘイル・サアカシヴィリ政権はグルジア・オセチア紛争の平和的解決に関する国際的合意を踏みにじり南オセチアに対する本格的な軍事作戦を開始した。
この紛争の当事者として認知されているツヒンヴァリへの侵攻は、外部による挑発を受けなされたものではない。南オセチアの安全保障は、1992年にロシア・グルジア間で結ばれたソチ合意に基づきロシア、南オセチア、グルジアの三部隊による合同平和維持軍(JPKF)が担ってきた。グルジア政府は幾度となくソチ合意の見直しを求めてきたが、2008年南オセチアにおける軍事衝突勃発当時に現地に駐留していたロシア平和維持部隊は、法に基づきかつ国際的に承認された紛争解決メカニズムの枠組みにおいて配置されたものであった。同様に、1992年以降南オセチアには欧州安全保障協力機構(OSCE)の監視員も駐留していた。
アブハジアについては、国連安全保障理事会の各種文書において紛争当事者として公式に認知されている。この問題をめぐる最新の決議のひとつである安保理決議第1808号においてもこれは認められている。アブハジアでは、CIS平和維持軍と並んで国際連合監視団も活動を行ってきた。
8月7日夜半、グルジア軍はツヒンヴァリへの大規模な大砲攻撃を開始、砲撃は翌朝まで続いた。グルジアのテレビ放送に登場したマムカ・クラシヴィリ司令官は「グルジアは、南オセチアに立憲秩序を打ち立てるため軍事作戦に着手した」と述べた。グルジア軍はロケットランチャー『グラート』を使用してツヒンヴァリの街を全面攻撃した。激しい砲撃は、軍事施設であるか住宅地域であるかを問わず行われた。8月8日、グルジア軍の戦車と装甲車、グルジア内務省特殊部隊がツヒンヴァリに侵攻した。
これと並行してグルジア軍はロシア平和維持部隊基地への急襲を行った。その前夜、グルジア軍監視員らは平和維持軍合同本部及び監視所から密かに抜け出していた。グルジア軍による平和維持部隊への攻撃は、8月8日から10日にかけて少なくとも5回行われた。ロシア平和維持部隊兵士10人が死亡、約40人が負傷した。平和維持部隊基地内の建物、設備はほぼ完全に破壊された。
グルジア軍の攻撃により甚大な被害を受けたのは、ツヒンヴァリも同様である。住宅の多くが全壊または部分的に破壊された。ガス・水道・電気といった公共サービスや重要なインフラ設備、産業施設にも損害が生じた。被害はツヒンヴァリ近郊の複数の村落にも及んだ。
南オセチアに居住するロシア市民の生命が直接的な脅威に晒されている状況に直面し、ロシア連邦指導部は平和をもたらすための作戦をグルジアに対して開始することを決定した。
最初に攻撃を始めたのがグルジアであったということは、その後公式に確認されている。EUの決定に基づき設置され、スイス出身のハイジ・タリヤヴィニ氏が議長を務めた『グルジア紛争原因究明国際委員会』の報告書でもこの事実は認められている。報告書は2009年秋に発表された。
グルジアによる南オセチア攻撃に対するロシアの軍事参入は、合法的に、かつ国連憲章第5条の規定する自衛のための権利を行使する形で行われた。ロシアが下したこの決断は法的根拠を有しており、グルジア政府の同意の下に南オセチアに駐留していたロシア軍平和維持部隊に対してグルジア軍が大規模な攻撃を行ったことの帰結であった。自衛権を発動するにあたっては、ロシアは国連安保理に対して国連憲章第5条に則った通知を行っている。
ロシアが軍事行動を行った唯一の目的は、グルジア軍による攻撃を止め、再びこのような事態が起こることを予防することであった。軍事作戦はグルジアによる脅威の大きさに厳密に比例するよう計画・実行された。軍事作戦完了後、2008年10月ロシア軍はグルジア領土から撤退した。この撤退は、メドヴェジェフ露大統領とサルコジ仏大統領とが策定した(しばしば『停戦協定』と誤って呼ばれる)『紛争解決のための諸原則』と、これを受けて合意した2008年9月8日付協定に基づき実行されたものである。
2008年8月26日、国連憲章条項、『国家間の友好関係及び協力についての国際法の原則に関する宣言(友好関係原則宣言)』、1975年ヘルシンキで採択された『安全保障及び相互協力に関する最終文書』、その他関連する国際文書に基づき、ロシアは南オセチアとアブハジアの独立を承認した。南オセチアへの侵攻及びアブハジアへの同様の侵攻計画は、グルジアが長年にわたりこの地域の住民に対して行ってきた力による政治の極みと言えるものであった。この点を鑑みると、南オセチア、アブハジアの住民が自らの安全と生存権を確保していくためには、独立国家として自己決定を行う以外に道はない。
南オセチアとアブハジアの独立を承認したロシアは、その安全保障のみならず、両国が近代民主国家として社会・経済面で発展していくために、然るべき責務を果たすことを自らに課した。2008年9月9日ロシアと両共和国との間に外交関係が樹立され、9月17日には活発な相互関係を構築していくための礎となる『友好協力相互援助条約』が締結された。
2008年9月8日、メドヴェジェフ露大統領とサルコジ仏大統領は8月12日に合意した和平案の実現に向けた文書に同意した。これは紛争解決のための6項目の和平案を具体化するものである。この同意事項に基づき同年10月15日にはジュネーブにおいて、南コーカサス問題に関する新たな国際フォーマットとして『外コーカサスの安定と安全保障問題に関する国際会議(ジュネーブ国際会議)』が開催された。この会議では、グルジアによる軍事侵攻後に当該地域で生じた政治的・法的状況を新たな現実として確認する作業が行われたが、異なる見解を示す代表団も一部にはあった。ジュネーブ国際会議には、南コーカサスの安定と安全保障に関心を持つ紛争解決の直接当事者として、アブハジア、グルジア、南オセチア、EU、OSCE、国連、ロシア、米国が相互合意に基づき平等な立場で参加している。また、EU、OSCE、国連の3つの国際機関の代表は、参加各代表の同意に基づきジュネーブ国際会議の共同議長を務めている。
2008年に起きた悲劇的出来事は、国際紛争や国家間の衝突を力によって解決しようとすることがいかに無意味で非生産的であるかを示す教訓となった。民族間の関係という複雑でデリケートな問題が関わる場合は、ことは一層むずかしくなる。このようなケースにおける暴力的な力の行使は、最も悲惨な、時として取り返しのつかない結果をもたらすことになる。グルジアとアブハジア・南オセチアとの間に対話を取り戻し有意義な交渉を再開すること目指し、近年ロシアは努力を続けている。双方による武力不行使協定の調印は、そのための第一歩となるはずである。最後には良識が打ち克つことを期待したい。