第5話 ライトレールの半竜

 鹿野区について端的に言い表すのなら、地獄の釜の蓋。燦月区の人々にとってはここが最も近い地下階層への入り口であることから、そう呼ばれる。主な理由は地下は治安が悪いという偏見と、偏見ゆえにそれが現実となったことへの揶揄だ。


 犯罪とカテゴライズされることの多くは偏った考えを押し付けられた弱者の、逃げ場を失ったストレスから生じるモノだと揚羽は思っている。いじめだったり虐待だったり、悪意のない好奇の視線だったり。そうしたものを突きつけられたことへの強烈なストレスへの対抗と適応が殺人による快楽や、何らかの性的倒錯──弱者への性暴力だったり──として表出する。


 ルグレアンが感情の産物であるように、犯罪もまた感情の発露だ。


 鹿野区のエレベーターに乗って、揚羽は地下へ降りる。さまざまな理由を勘案して、一気に地下三層へは降りられない。揚羽が用事があるのは地下一層の燦月区──燦月区B1へ。


 天井のおかげで雨は降っていない。街路樹への水分供給のため、一定時間の計画降雨はあるが、まだその時間ではない。遺伝子操作による改造植物なので、光合成に必要な太陽光も極めて少ない。導光ケーブルが持ってくる曇り空の日光と、スクリーンに投影される実写と見紛うダイアモンド半導体を用いた曇天の作り物の空が上手く噛み合い、違和感のない光景を生んでいた。


 それでも剥き出しな機械部品、柱などが地下であることを物語る。日本列島は災害が多く、特に地震や津波が主な理由でジオフロントに向かない。激しい振動で崩壊して、その上に大量の海水が流れ込んできて生き埋めにされるというのが主な理由だが、ミラージュシステムがそれを解決した。また、掘削と削岩に必要な膨大なエネルギーも、妖力とそれを生む特異な鉱物資源によって、多少は緩和されているのだ。


 爆発的に増殖・・した人間。甚大な被害によって間引かれても、まだ多い。さらに増える。人間至上主義はそれを神の啓示であるとし、妖怪純血主義は害虫の跋扈と言う。思想的にも生物学的にも、そして自己認識においてもどちらでもなければどうでもいいと思っている揚羽には、どちらの意見も幼稚で穴だらけで独りよがりな自慰行為に対する、中学生のような言い訳じみて聞こえていた。どっちが偉いだとか凄いだとか、そういう主義主張の押し付け合いをしている『偉い人』が一番子供っぽいし、馬鹿みたいだ。そうした人種の大半は法を守らない。犯罪者がお手本にしてしまうのもむべなるかなというところである。


 さても第深度地下都市に降り立っている揚羽は、鹿野区B1でライトレールに乗るため駅へ。切符を買い、プラットフォームへ向かう。


 別の路線へ乗り換えるつもりであろう人間の親子が通り過ぎる間際に、こんなことを言っていた。


「ほんとうだよ、おっきい棺桶をせおってたんだ」


「いいから、もう。そんな変な話はやめなさい」


 大きな棺桶を背負う……?


 なんだろうか、敬虔な宗教家か、独特な思想を持つ裏の食肉加工業者か、それともただのネクロフィリアか。


 気になったが、揚羽はケースを抱えて椅子に座る。


 静かな走行音。ほぼモーターの唸りと、パーツの軋みのみ。小音量でもイヤホンか何かをしていれば、間違いなく聞き逃すほどである。揚羽はドアが開いて、乗客を吐き出すのを見計らってから乗車した。無機質な匂いの空間には饐えた体臭と濃い香水、制汗剤のにおい。それらが混ざって、強烈な芳香兵器となって鼻の粘膜を攻撃してくる。耐えかねて揚羽はマスクをリュックから取った。それはゴーグルのないガスマスクで、主な用途は瘴気が濃くなる仕事場で使うモノだが、防臭効果もあるので普段使いもできる。無駄に嗅覚がいい半妖の自分には欠かせない。スイッチひとつでフィルターを切り替えられるので、嗅覚が必要な時には消臭機能を解除することもできる。


 席に座って、後頭部で結った髪の紐を解いた。ばさりと長い髪がおり、指で梳いてからもう一度縛り直す。車窓から見えるのは、地上の浅い地下を走る地下鉄と何ら変わらない光景。近未来を舞台にした映画のように、電灯がレーザーパルスのように駆け抜ける。


 と、隣の車両からガァンッ、と何かが金属に激突するような音が聞こえた。


 そして感じる、肌にまとわりつくねっとりとした生暖かさ。嗅覚ではなく、独特な感覚で理解する甘ったるい……ニオイのような、晩夏の湿気ったトンネルのような。


「最悪だな」


 認証、……解除。タダ働きなどしたくないので、当然後でどこかしらから報酬は貰う。仮にも退魔師なので、この要求は通る。でなければ、オフの日に戦う理由にならないし、ゴネるのであれば今後は絶対に人助けになるような無意味な戦闘などしない。


 が、まだ立たない。


 その理由──悲鳴をあげ、狂乱する乗客がこちらに雪崩れ込んできたからだ。邪魔だし、こんな中で迎撃しようモノならあ揚羽の攻撃で大勢が死ぬだろう。どれほどの損害賠償が必要になるか分かったものではない。


 人がはけ始めた頃、ようやく揚羽は立った。恐らくはルグレアンが湧いた車両には生者はいまい。これで気兼ねなく戦えるが……前と後ろの車両に生き残りがどれくらいいるかが問題だ。最悪、どちらかを見捨てるとなった際、傍目には非道でも数字で天秤にかけるのが、一番『人道的』と思われる判断だ。トロッコ問題でも、揚羽は平然と一人の方を切り捨てる。なぜなら半妖である少数派の自分は、絶対のこの社会において『数が少ないから切り捨てる』対象にあるからだ。


 イグニッション。引いたそれが機関に火を入れ、機械仕掛けの刀の投信が青く輝く。短銃を切り離し、左手で握ってグリップセーフティを握った。


 直後、


 爆発的な勢いで触手が雪崩れ込んできた。


「くそっ」


 切り払い、射撃。強引に逃げ場を作る。叩き切った勢いで天井まで跳躍して金具を掴む。手すりがひしゃげ、吊り革が巻き込まれる。揚羽は上の棚のパイプを抱き寄せるようにして逃れた。


「ふざけた威力だな」


 ずるるる、と引きずり戻される触手。なんだこの化け物は。なんで突然、なんの予兆もなく生じた?


(一番は後部車両を切り離すことだ。俺じゃこいつを仕留められない。絶対に無理だろうな。全員死ぬか、少しでも生き残りが……俺が生存できるかどうかだ)


 冷たい判断。自己保存。個体維持本能。


 そこへ、先頭車両から一人の少女が出てきた。黒髪に、喪服のようなパンツスタイルのスーツ。背負っていたのは、斜めがけにした彼女より大きな棺桶。


「そこのナマケモノのような君、山分けでいいかな」


「……協力する」


 表現には腹が立つが、助かる。


 揚羽は下に降りて、とにかく銃撃。狙いも何もない。撃つ。その間に少女は棺桶を置いた。がん、と音を立てて、そして開く──露わになる、それ。


 ぎちぎちと軋る鎖を噛んで、それが解き放たれた。手錠を引きちぎり、──半人半竜が目覚める。


「クラム、その男の子は食べちゃダメ。食べていいのは化け物」


 半竜は何も言わないが、命令には従うらしく揚羽から視線を外し、隣の車両にいるルグレアンを睨んだ。


「弾切れだ。来るぞ」


「ええ。下がってもらえるかな」


 命令されるのは苛立つが、今は従う。色々と捻くれている自覚はあるが、希死念慮はない。どちらかといえば、タナトフォビアだ。


 揚羽が下がると同時に、またあの攻撃がきた。溢れる触手の渦。大量の肉が渦を巻いて、流れ込んできた。


 クラムと呼ばれた藍色の半竜が唸り、そしてその全身で受け止めた。豊かな乳房が、そこに張り付く甲殻がバキッ、と鳴る。青白い生肌に傷が刻まれ、揚羽は瞬時にリロード。


「伏せろ!」


 半竜が頭を下げる。唸る触手に弾丸が突き刺さり、そして少女は内心驚いていた。


 拘束していなければならないクラムが、他人の命令に従った……?


 揚羽は機械刀を腰へ。低姿勢から加速、次の一歩でさらなる加速。そして、振り抜く一閃。青い光芒、そして血飛沫。触手を切り払って、半竜が攻撃をねじ込む隙間を作った。


 クラムが右の拳を握り締め、咆哮。車両が悲鳴を上げるような踏み込み、直後爆発に近い打撃がルグレアンを貫く。触手の塊が粉々に砕けちり、血飛沫が舞う。それらは死んだルグレアンがそうなるように霧散して消え、半竜クラムにべっとりと付着していた血も同様だ。


 どうみでも人外である外見のクラムは頭部から生える青い髪を揺らして揚羽を見た。薄桃色の目が彼を眺め、それから無言で前を向く。ルグレアンはまだ死んでいない。けれど、体力は大きく削れていた。


「グルルルル」、と喉を低く鳴らすクラムが歩き出す。垂れていた触手を掴んだと思うや否や、それを力任せに引き込んで敵をこちらに引っ張り込んだ。そうしてタコのような外見の本体へ、全力で拳を叩き込む。べぎんっ、と音を立てて床が陥没。タコ……スラックトパスよりはるかに上級のその化け物は、クラムの一撃で完全に消滅した。


 揚羽は短銃の安全装置をセットして、クラムを見て、少女に視線を向ける。


 同業者なのは確かだろうが……それにしては、随分と変わった仲間がいるなと思った。クラムはじーっと揚羽を見て、顔を近づける。人の頭など平気でくらいついて噛み砕ける。そんな感じだ。とても無理というわけではないが、それでもこれを前にしていると冷静を装うのが難しくなる。


「お前の主人は、あっち」


 クラムは少女を見る。そうしてまた揚羽に向き直った。


「オマエハ、ナカマダ。ワタシトオナジ、マザッタヤツダ」


「……人前では言わないでくれ」


「スマナイ。ヤクソクスル」


 緊急停止した列車の振動で体が揺らぐ。ぐしゃぐしゃに歪んだ手すりを掴んで耐えた。


 クラムはその間もずっと、揚羽を興味深そうに繁々と観察していた。

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吼戒のディラーガ 葉月蕾雅 @Thukinohra0707

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