第2話 狩人
「と、このように公式へ代入していきます。ここまでできてしまえばあとは手順に従い、計算をするだけですすね。反復練習して、手順を学びましょう」
数学教師がそう言ってブラックボードをタッチスティックで示す。液晶ボードには数式とアルファベットが乱舞し、揚羽には頭が痛くなるような数式が綺麗に並んでいた。駄目だ、意味がわからない。なんで数字の計算にアルファベットだのなんだのがしゃしゃり出てくるんだ。
と、救いの手のチャイムが鳴った。
「では、本日はここまで。なお、スクリーンショットはノートの内容としてカウントしませんからね。挨拶を」
「起立、礼」
四十がらみのスーツの教師が出ていった。理知的な黒縁メガネの女性で、若々しい見た目はどう見ても二十代。このクラスの担任で、年上好きの男子には熱烈な視線を向けられている。
「灰原くん、職員室へ」
「……はい」
傍目には「居眠りなんてするからだ」という呆れと、「羨ましい」という感じか。多分、六割は後者だろう。
職員室は二階。階段を上がって窓の外を見ると海が見えた。命の始まり。その向こうのメガフロートと巨大なビル。姫宮重工の居城だ。
思考を捨てて職員室へ。席に座る数学教師──
「居眠りのバツ。しっかり目を通しなさい」
「先生、早退しても? 具合がとても悪いので」
「わかったわ。気をつけて」
揚羽は一礼した。特筆事項には「生まれつき体が弱い」と書いてあったため、周りも揚羽の早退には特別な感情はない。この高校は出席日数などほとんど考慮しない。気まぐれな妖怪を主な生徒としており、出席で進級云々を考えていると誰も卒業できなくなるのだ。なので提出物とテスト結果だけが単位の全てである。
職員室を出てトイレの個室へ。封筒を開いて資料を見る。
『ルグレアンの発生。燦月記念病院跡』
「ふん」
揚羽は封筒を折りたたんでポケットへ。教室に戻ってリュックを掴んだ。クラスメイトは「またか」という顔。揚羽が丸一日高校にいたことなど片手で数えられるくらいである。
さっさと校舎を出てヘルメットを被って、グローブをはめる。ぐっとグローブを引き、それからバイクに跨った。エンジンを起動、アクセルを開いて加速。
これがアルバイトである。命の危機と隣り合わせで、故に超高額の。
燦月区の東から北西へ。メインストリートを走って、森へ入った。麓の道の駅でバイクを停めて、ヘルメットを座席に置く。後部のマウントバッグから箱を二つ取り出して、森へ入っていった。
人目から離れたところで箱を解錠。バイオメトリクス、ミラージュメトリクスによる認証。生体情報と妖力情報を揚羽と認識し、箱が開いた。圧搾空気が抜け、内部に眠る機械パーツを組み合わせる。
出来上がったのは一振りの段平な機械刀。
動力を起動。イグニッションを引いて機関へ妖力を供給。伝導コードから注がれたエネルギーがエフェクターを刺激し、刀身が青い輝きを放つ。
「記念病院……」
森の奥、フェンスで封鎖された廃墟があった。燦月記念病院だ。大震災後に建てられたが、商売が傾いたのかどうかは定かではないものの、諸々の理由で閉鎖されている場所だ。
「重役出勤ね」
フェンスの前に立っていた高慢そうな少女が鼻を鳴らした。
「表向きには学生なんだ。無茶を言うな」
「辞めればいいのに」
「大学を出れば馬鹿をカモにして食っていけるだろ」
「ムカつくガキ」
彼女は妖狐だ。尻尾の数は四本。真っ白な体毛と、紫の毛先。耳も尻尾も髪も、先端に向かうにつれ紫色のグラデーションに彩られている。
「もう狩ったとか?」
「だったらとっくに帰ってるわよ」
彼女が手にしていた脇差でフェンスを切って、強引に引きちぎって穴を開ける。
「器物損壊」
「ついでに不法侵入ね。罰金は?」
「さあ。事務所がどうにかする」
妖狐の腰には六本の鞘。全て脇差の同一モデルの葬具で、彼女は二刀流で戦う戦士だ。
朽ちた建物はいつ倒壊してもおかしくない。冷房も暖房もないまま放置されれば、建物は寒暖の差を思い切り受けてしまい、亀裂が生じる。そこに雨水が溜まって膨張と収縮を繰り返してさらにヒビを広げてしまうのだ。
病院跡は蔦に覆われ、わけのわからないアートのような有様だ。妖怪、そして半妖のタフネスなら多少生き埋めにされても死なないだろうが、いくらなんでもこんなアルバイトが命懸けであると言うのは少々疑問である。
「そういえば報酬は?」
「三〇万。山分けよ。いいわね」
「わかってる。それが一番喧嘩の少ない方法だし」
廃墟に足を踏み入れた。ショートブーツの分厚いソールが割れた窓ガラスやコンクリを踏み砕き、バリバリと音を立てる。剣の柄を引き、連結されていた短銃型装具を分離。左手に握り、警戒する。
「大変ね、術式がないのって」
「その分妖力と基礎的な能力には恵まれたよ」
神経を研ぎ澄ませる。散漫な集中という、あらゆる方向へ警戒と感覚を研ぎ澄ます状態。多くの退魔師に求められる技能であり、これを得られないばかりに実戦を諦める者が大半という技術だ。
上。
揚羽は短銃の引き金を引いた。ボッ、と音を立てて術式回路で生成された妖力の波動弾が撃ち出される。天井に張り付いていたヘドロでできたタコのようなルグレアンを撃ち抜いて落下させる。死体が霧散し、隠れることをやめたルグレアンが出てくる。
「スラックトパス、ね。こんなレベルのやつに二人も呼ぶかな」
柊は脇差を握った手首をくるりと回し、飛びかかってきた
短銃を撃ち、弾切れ。妖力弾は核となる弾丸なしには放てない。一旦リロードをやめて短銃を刀に連結。揚羽は両手でしっかりと保持した機械刀──〈クラゼヴォモル〉を振るった。青い残光が軌道を描き、星の煌めきのように彩るそれが真っ赤な血を舞わせ、タコを切り払う。
背後に回ったルグレアンを屈んで回避し、前に飛び出す形になったそれに切っ先をねじ込んだ。足に触手を絡み付かせたタコを、くっついたまま足を振るって壁に叩きつけた。ベシャッと音を立てて潰れたそいつを無視し、左で力を溜めていたスラックトパスへ逆風切り。切り上げられたそいつは真っ二つになって、チリとなって消えた。
脇差に細切れにされたタコがサイコロステーキのようにバラバラになって消え、柊は尾を硬化してスラックトパスを
最後の一体だったタコが柊の斬撃で切り伏せられる。静寂が戻り、霧散するルグレアンの独特の死臭が充満していた。
「どっかに大物がいる」
「言われなくたってわかってるわよ。再装填しておいたら?」
「そうだな」
腰のマガジンを取り出した。短銃を分離、銃身を折って根本の筒を抜く。その筒状マガジンに弾丸が挿入されているのだ。それを交換し、空のマガジンをホルスターに。右手に剣、左手に短銃。さながら獣を求めて歩き回る狩人のような。
黒い蝶と白い狐は、この場に巣食う大物への警戒を強めていった。
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