ACT1 死思の狼
今から四十年ほど前、ある兵器が産声を上げた。戦争の常識を大きく覆すそれは、周辺諸国への極めて強力な抑止力として機能し、コルネルス王国に安寧をもたらした。しかし八年前……厳密にはその数年前から、多くの人々が恐れていたことが起きてしまう。
それは生体拡張反応式星霊武装機構──Vital Augment React Star soul's Armed System、通称
『煌めく揺籃事件』と呼ばれたそれはしばしの間続き、八年前にようやく指導者であったダークエルフの女性、アンリエッタ・リューベンが処刑されたことで終息を迎えた。死者行方不明者は一二二万八千人にも達したとされ、歴史上最悪のテロ事件として国内外で報道された。
悲劇的な大事件。しかし世界はVARSASなしでは存続できず、挙げ句の果てには彼女の遺志を継ぐ多くの不穏因子が発生するに至り、もっとも酷い傷跡となったのは、アンリエッタが落とした星霊パルス爆弾によって多くの星霊機械が無人で動き出す暴走無人兵器へとなってしまったことだろう。
でもそんなこと、レドにはよくわからないことだった。アンリエッタ何某が何を思ってそんなことをしたのかは誰にも分からない。人の意見は他人によって受け取り方が違う。意見や主義主張は受け取る側で大きく意味が変わるのだ。たとえどんなにいいことであっても、都合が悪ければ大勢が適当に事実を捻じ曲げ、滅茶苦茶な暴論に仕立て上げる。なのであのテロリストが伝えたかったことの意見とその真意は、今となってはわからないし、知る術もない。彼女を信心する熱狂的な信者たちの中にも、真意を理解している者は少ないだろう。レドも他人から聞いた意見でしかアンリエッタの物語を知らない。
その人の人生の物語は、当人の口で語られて初めてその人自身の人生となる。それも、たったその一世代限りでのみ。
森林の中を数機のVARSASが歩行していた。平均して一八メートルから二〇メートル前後……人の十倍から十二倍ほどの大きさである人型兵器『VARSAS』は、胸に
コルネルス王国南東のエドナ海に浮かぶワーロッカル島。管轄は海を挟んで北西部に位置するハーデシス領に帰属し、ハーデシス領王に任命されたお偉方がこの島の政治を取り仕切る。確か今はなんとかの大臣と、元大将だとかいう国防長官が来ていたはずだ。なんでも、諸々の視察だと言う話で、政治に巻き込まれたくないレドとしては、あまり関わりたくない話題である。
島の大きさ自体は本土の一つ一つの領となんら変わらないが、なぜかこういった属領的な扱いであった。この島に領王がおらず、独自の政治形態が存在しないその理由は、最悪のテロリストであったアンリエッタの生まれ故郷だからで、彼女の主張を胸に抱く者が多いから、……だろう。つまりここは国にとっては不穏分子の掃き溜めという認識なのだ。実際問題、アンリエッタの思想を標榜する市民はそこまでだが、テロリズムを企てるものはいるのかもしれない。もっとも、そんな連中はいつの時代にもいるし、どこにでも存在しているのだろうけれど。
「いい迷惑だ」とレドは愛機の〈ネメシス〉の胸の中で独言る。上下左右前後、三六〇度に映し出される外の光景。
レド自身の両腕と両足にはスケルトン・モーション・トレース・フレームと呼ばれる金属の輪のようなもので形成された機器を取り付けられ、この金属の輪とコードのフレームが神経信号を読み取ってVARSASの腕部と脚部を動かしていた。手に握る太いコードで繋がれた操縦桿と足で踏んでいるスティックペダルが武装とバーニアを動かし、
「アストラルの反応が近い」
先頭を行く斥候がそう通信を寄越した。樹冠八〇メートルに達する木々で構築された森林を行く、アストロンで稼働する金属の巨兵。手にしている武装は様々で、六機いるVARSASは様々な塗装、迷彩パターンだ。敵対する無人機械アストラルも、生身が動かす敵性VARSASも肉眼による捕捉など滅多にしない。多くがレーダーによる索敵で、色で誤魔化すことがほぼ無意味なのだ。加えてバーニアを使えば噴射炎ではっきりと姿が映るし、熱源探知で容易く捕捉される。レーダーの欺瞞ならまだしも、それ以外における迷彩にはあまり意味がないのだ。
レドの黒と藍色のVARSAS──〈ネメシス〉は、静かに歩きながら手にしたライフルクレイモアを握る。その握っているというフィードバックは、ライダースーツの下に着込んだインナースーツの素子が行い、質感と重量感を伴うリアルな感覚として返ってきていた。
〈ネメシス〉──全高一八・六メートル、本体重量三一・六トン、全装重量八一・六トン。出力は六〇八〇キロワット、推力は約二〇万キログラム。最高時速は毎時二六二〇キロメートル、つまりマッハ二以上で飛行できる。化け物以外の何者でもないが、現在軍で制式採用されている最新鋭のレグルスー82-改2型なども、これとほぼ変わらない機体性能だ。
「レド様、楽曲を切り替えられますか?」
「リピートしてくれ」
PGのヴァンプモデルが訪ねてきたので、そう答えた。作り物の擬似霊魂。偽りの情報知性体。そのくせ人の何倍も接しやすい。本当の名前は、別にある。
「畏まりました。接敵を考慮し、音量は下げておきます」
「助かるよ」
先頭を歩いている斥候機はミザールー51を流用したカスタム機体だ。最初期のVARSASでありながらシンプルかつ頑丈な基礎フレームに、汎用性のある機能とカスタムの拡張性から人気があり、何より安価に手に入るため好まれている。基礎的なスペックでは後続の機体には及ばないが、そのための拡張装備であり、カスタムによってある程度のカバーはできる……らしい。四十年もののロートルであり、未だVARSASの完成系として称賛されるモデルだ。
前方を行くミザールー51から通信。ポップアップされたモニターに、壮年の人狼族の男が映る。音楽が止まって、舌打ち。
「確認した。いるぞ。マカブルプスだ」
レドはライフルクレイモアの安全装置を解除。
と。
パウッ、と青い煌めきが空を駆け抜けた。掠った木の葉が瞬時に焼け付いて炭化。無線に警戒を促す怒号。攻撃命令が出て、レドは手にした武器を構えてレーダーによって捕捉できた敵影へ向けて牽制射撃。
同じく青い閃光が銃口から走った。ビャウッ、と悲鳴のような銃声。アストロンを圧縮して放つビーム兵器だ。それは巨木の幹を吹っ飛ばし、遠くから着弾音。同じように銃器系の武装を持った機体が射撃し、近接型の二機はそれぞれ大剣と戦鎚を握りしめる。
直後、地面をどよもす足音がした。草花や小さな木々を踏み潰し、それらを突っ切って現れたのは狼型のアストラル。元々は敵への切り込みを担当する動物型のVARSASで、星霊パルスによって無人で動くようになったものだ。尺度としてはちょうど人と超大型犬ほどか。戦車をも翻弄して撃滅する、敵にとっては
あらかじめ聞いていたブリーフィングで、相手が工業機械ではなく兵器であると知っていたので驚かないが、相変わらずの機動性にレドは二度目の舌打ちをした。ある種の特化を求めると、その形状は獣などに似通う。野生の生き物はその環境と能力を研ぎ澄ました、到達すべき姿になっているのだから当然だ。
スティックペダルを押し込んでバーニアを点火。加速しつつ後ろへ跳んで、その間も瞬時にマカブルプスへ照準。ビームが次々に一体の機械狼を襲って装甲が焼け付いて赤熱化、溶けて砕け散る。ボゴッ、と爆発。アストロンリアクターが死んだ。
「一体撃破」
冷たいレドの報告。が、敵は合計して七体。一体死んだ今、ようやく数ではイーブン。群れとして振る舞うそいつらの動きは、実物の狼と似通っている。最も装甲が薄い斥候機であったミザールー51へ狙いを定めたマカブルプスは、巧みに背後をとって襲撃。翻弄される斥候は慌てて飛び上がったが、そこへ同じように機械狼が飛びかかる。さながら餌を奪おうとする熊に、群れで撃退せんとする狼そのものだ。圧倒的に違うのは、顎の力が七〇〇キロどころではないことか。
僚機が群がっていく敵へ射撃と打撃、斬撃を行う。二体目が破壊され、しかし斥候機は断末魔を最後に通信が途絶える。コックピットがある胸部は粉々に引き裂かれて踏み砕かれ、噛み潰されていた。オイルではない赤い液体が、さながらVARSASの血のように流れていた。
「くそッ!」
冷静さを欠けば死ぬ。レドは三度目の舌打ち。僚機のもう一機、あの機体のライダーも死んだものとして頭から叩き出し、群れからやや離れている敵へ射撃。数発のアストロンビームが横っ腹を吹っ飛ばしてその体を木々に叩きつけさせた。
残り四体。
一機の大剣型がもう一体のマカブルプスへ攻撃。下段から擦り上げるようにして放った切り上げが敵の薄い腹部装甲を切り割って、追撃の袈裟斬りが首を落とした。が、冷静さを欠いていた戦鎚持ちは二体の狼に食い荒らされて沈黙。
残りは三体と、四機。数では勝っている。だが人にはどうしても心理がある。たとえたまたま組むことになった他人であれ、何かしらの感情移入や情が入れば冷たく振る舞うことは難しい。だからレドは他人とは余計なコミュニケーションを取らない。時間の無駄でしかない、というのも理由の一つだ。
ライフルモードからクレイモアへ。アストロンの供給部位が変化し、チェンバーではなく刃が青く輝いた。スティックペダルを踏み込んで傾けると、バーニアが火を吹いてレドの足の動きをスケルトンフレームが読み取ってトレースし、〈ネメシス〉の脚部を動かす。高速で走り出した機体がマカブルプスへ体当たりを決めて、吹っ飛ばして倒したところへ剣の切っ先を頭に突き刺す。ギャリリリリッ、と金属音。アストロンエナジーが敵装甲を食い千切り、血飛沫のようなスパークを巻き上げる。
砲撃型のVARSASがミサイルを放ち、轟音と爆炎を辺りに振り撒いた。あいつには、フレンドリーファイアという言葉の持ち合わせが存在しないのだろうか。ため息をついて、残り一体のマカブルプスへレドが剣を向けて駆け出した。彼我の距離を一気に詰めて肉薄し、左の拳で下顎をかち上げる。火花が散って二十トン近い狼が打ち上げられ、〈ネメシス〉が放った横薙ぎでそいつの胴体が斬り飛ばされる。泣き別れになった金属の肉体が転がって、断線したコードからばちばちと火花を散らした。
全敵を撃滅。あちこちから聞こえるスパークの音。虫と鳥のささやかなユニゾン。似つかわしくない晴れ渡った空が、遥か高くの葉叢の隙間から見えた。
静寂が返ってきた森林で、四機のVARSASは無言だった。信心深いライダーが星十字聖教団の動作にならって十字を切り、別の誰かが弔砲の代わりか上空へビームを放つ。
それを尻目にレドは周囲を走査するが、敵影はない。現状、ステルス性の高い兵器は存在しても、完全にレーダーは欺瞞できない。一〇〇%のステルス性能の実現はほぼ不可能とされていた。無論、距離によってはレーダーなどが誤魔化されるが、仮に見逃した撃ち漏らしがいたとしてもそういった敵がいる可能性を言わなかった依頼主が悪いのであって、これが理由で報酬をゴネるようなら、顔に二、三発拳を叩き込めばいい。傭兵にとって拳とは、立派な『交渉手段』である。
「お疲れ様です。当機〈ネメシス〉に損害はなし。それでもメンテナンスは行うべきであるとご報告いたします。回路へのダメージが見受けられます」
「わかってる。みんなうるさいからな。でもオーバーホールは母艦でやる。事情を知らない奴に俺のお姫様をいじられたくない。予備回路に切り替えておいてくれ」
「そういうと思い、既にダメージコントロールのための予備回路へ切り替えています」
「流石だな。お前が相棒でよかった」
「ええ。私はデキる女ですから」
「そのセリフはキャリアウーマンの専売特許だろ」
ヴァンプモデルが「言った者勝ちです」と応じる。
「女心はよくわからないな」
「心理学書を読むより、恋愛を経験する方が手っ取り早いと思いますよ」
レドは静かに擱座した僚機を見た。二機の損失。数字でしか認識しないのは、冷徹でいなければいつか自分が死ぬからだ。甘さは躊躇いを生む。生殺与奪は強者の特権であり、有象無象の傭兵に過ぎないレドには情けなどというものは、到底無縁の考え方だ。そんな冷え切った自分に、人並みの恋愛など無理だろうし、興味もない。
「残党と思しき敵影はなし、か。ならもういいよな。僚機に無線をつなげ」
「了解、周波数を合わせました。どうぞ」
「〈ネメシス〉より僚機各位。残骸はあとで回収班が集めてくるでしょう。すみませんが、俺は帰らせてもらいます。通信終了」
くるりと背を向けてバーニアを起動。肩部と腰部、脚部のスラスターから噴射されるそれらが反作用でゆっくりと機体を持ち上げて、加速させた。
上空へ消えた〈ネメシス〉を見上げていた誰かが、オープン回線で吐き捨てる。
「……凶星め」