プロローグ 最期の慈悲は、最愛の人の手で
誰も彼もが死に向かって等速に流れる時間の中を進み続ける。時間は不変というわけではないが、脊椎動物にとっての死は誰にとっても平等で、逃れられない。摩耗し続けるテロメアがいつか尽きてしまえば、その人物の命は終わりを迎える。
クレーンで吊し上げられた、青黒い塗装の機体。右腕が肩から吹っ飛び、左足は装甲が溶け落ちて膝まで爆散している。翼を模した二対のバーニアは、左側の二本が粉々に砕けていた。とどめとなった一撃はコックピットを掠めたアストロンビーム・ライフルの一撃か。脇腹を貫通したそれはコックピットに損傷を与えて、装甲を焼け付かせて変色させていた。
国家変革を謳ったワンオフ級VARSAS、〈ニュクス〉は王国軍精鋭部隊、通称『ファランクス騎士団』によって撃墜されていた。
曇り空から覗き込むような陽光が照らす広場。城の前にある広場には多くの兵士が人垣を押さえ、産業革命時代に生まれたランドルフ・エンフィール銃を抱えた騎士が罪人を見ていた。この銃は儀礼的な意味で儀仗兵が掲げたり、こうした場で用いられる。
咎人は目隠しの布が顔に巻かれていたが、その有様はひどい物だった。
右腕がだらりと垂れて、まるで神経が通っていないような有様。右足は大腿部から先が焼失し、全身の皮膚が焼け爛れて変色。大半の部位に包帯が巻かれているが、黄ばんだリンパ液が漏れて血と滲んでいた。生きているのが不思議なほどの、全身に及んだ酷い火傷。それでも撃墜されたVARSASから生きて出てこれたことは奇跡だし、ましてコックピットにビームが直撃したことを考えれば奇跡だ。
機械制御で歩いている英雄機、〈エレボス〉が擱座した〈ニュクス〉を見下ろす。兄妹機であり、対となるように作られた基礎スペックでは全く同じの機体。
執行を担当するのは複数人ではなく一人。普通は「自分の銃からは弾が出ていない」と精神の保全を守るために数人の執行人を用意し、弾丸はその数丁の銃のうち一つにしか装填されないものだ。その方が遺族からも恨まれにくい。ただ、それでも騎士は一人。申し訳程度に兜で顔を隠していた。
その騎士が〈エレボス〉の
星十字聖教の司祭が祈りの文言を口にしようとするが、今まさに銃で撃たれようとする罪人の昏い笑いがそれを遮る。がらがらと痰が絡んでいる、それでも女性とわかる声で、真っ暗な血の底から響くように言う。
「今までの人生で二度も神を信じたことはない。祈りも献身も踏み躙る神の元へ行くつもりもない。さっさと撃て」
「……お望み通り、そうすべきかもしれませんな」
信奉する、彼らにとっては絶対の神を否定された神父の顔にはありありと怒り、そして嫌悪が浮かんでいた。
銃の安全装置を解除し、騎士が銃口を向ける。魔術めいた奇術で声音を変え、問うた。
「言い残すことがあれば、私が聞き、記憶しておこう。手短にな」
「私はこの世界を、……あらゆる全てを平等に憎悪する。世界の全てを呪う」
周りの見物人がヤジを飛ばす。売女、人殺し、悪魔、鬼。掲げられたプラカードと横断幕にも似たことが書き連ねられていた。果てには女性そのものを罵倒する言葉が飛び交う。
「やつらは現実に靄がかかって見えていると思えるな。テロリストの私が言っても、戯言か。お前はどうだ」
「私はいつだって真実を見ている。……お前はやり方を間違えた。私なら正しくやる」
「是非とも、時間を作ってその方法とやらをもっと深く聞きたかった。さらばだ、親愛なる友よ。私の愛おしい、ただ一人の英雄よ」
兜の下で奥歯を噛んだ。がりぃ、と砕けた歯。息を呑んで、それでも目はしっかりと開き、引き金を引き絞る。
パンッ──、という音。星霊銃ではなく、火薬式の旧型ライフルから放たれた八・六ミリ弾が罪人の頭を吹っ飛ばし、壁に弾痕と血糊を刻んだ。
「ああ。さらばだ、我が最愛の友よ。ただ一人の君よ」
執行人の騎士の乾いた声。銃を掲げ持ち、たとえ相手が史上最悪のテロリストであろうとも、その騎士は最後まで騎士であり続けた。敵であろうがなんであろうが敬意を忘れない。奪った命を背負っていく。多くの貴族が忘れた、ノブレス・オブリージュと、そしてそれ以前に持つべき人としての責務。
湧き上がる民衆の歓声。報道されていた異例の死刑現場を前に、多くの国民が湧き立つ。
その日、国を変えんと立ち上がった女が死んだ。その日、彼女と恋に落ちた騎士は誰にも見ることが叶わない涙を流した。
石畳の継ぎ目を流れる血が、騎士の脚甲にたどり着く。
その血は十分後に突如降り注いだ雨に洗われ、流れ落ちていった。
変えてみせるさ。真に正しい、誰にも否定ができない方法で──……。