日本の親が子どもを「モノ」扱いしてしまう、根本的な理由スピン経済の歩き方(4/7 ページ)

» 2018年06月12日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

「子どもを虐待してはいけない」と言い始めた背景

 日本では親が子どもの将来を案じて、命を奪うのは悪いことではないとされている――。そんな風に米国人が受け取ってしまうほど、「親に甘い社会」なのだ。

 当初、検察は計画殺人として米国刑法にのっとって厳罰に処する方針だったが、日本同様に「執行猶予」となったのである。「三万余の嘆願書と日本人心情が米裁判官を動かした」(読売新聞 1985年12月16日)のである。これは裏を返せば、米国の司法が、「親子心中」は他国が口を挟んではならない日本人特有の「文化」だと認めたに等しい。

 確かに、「親子心中」は日本独自の現象かもしれないが、それが「子どもを親の所有物としてとらえる国民性」のせいだというのは暴論だ。そんな声があちこちから飛んできそうだが、日本の児童虐待史を振り返れば納得していただけるのではないだろうか。

 最高視聴率62.9%の国民的ドラマ『おしん』(NHK)を想像してもらえば分かりやすいが、近代の日本で「子ども」とは、間引く、殴る、働かす、売り飛ばす、が当たり前の扱いで、それらの虐待を乗り越えた者が「立派な大人」になれると信じられていた。

最高視聴率62.9%を記録した連続テレビ小説『おしん』

 欧州ではフランス革命のあたりから「子どもの権利」がうたわれ、米国でも1909年にホワイトハウスで第1回全米児童福祉会議が開催されているが、日本ではそういう動きは起きなかった。

 国が「子どもを守れ」とようやく言いだしたのは昭和8年(1933年)、「児童虐待防止法」が制定されてからだ。この年は、満州国をめぐって国際社会で孤立が始まり、陸軍が少年航空兵制度を始めた年でもある。つまり、「子どもは大事なお国の戦力」となって初めて「親であっても殺すほどいじめちゃダメだろ」という声があがってきたのだ。

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