グラフィックデザイナーとして国内外で活躍した秋山孝さん=2014年、長岡市
グラフィックデザイナーとして国内外で活躍した秋山孝さん=2014年、長岡市
酸性雨をテーマに秋山孝さんが制作したポスターアート「WILD LIFE-HELP」

 新潟県長岡市出身のグラフィックデザイナーで多摩美術大教授の秋山孝さんが1月、直腸がんのため、東京都新宿区の自宅で死去した。69歳だった。環境や災害といった社会問題を、ユーモアを交えたポスター作品で表現し、国際的に高い評価を集めた。地元の宮内地区に自身の美術館も設立。がんと闘いながら長年、制作を続けた。関係者は「心の底から『お疲れさま』と言いたい」と悼んでいる。

 秋山さんは長岡商業高、多摩美術大を卒業、東京芸術大大学院を修了した。柔らかい線と明るい色合いのイラストを得意とし、旅行雑誌「じゃらん」の表紙を担当して人気を集めた。

 社会問題をテーマにしたポスターも多く手掛けた。世界的に酸性雨が注目された1980年代、雨で体が溶け、骨をむき出しにした鳥が飛ぶ姿を描き、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレで金賞に輝いた。2004年の中越地震後は震災、11年の東日本大震災後は原子力を題材に制作。その時々の問題について、強いメッセージを込めながらポップに表現した。

 09年、市民有志と宮内2に「秋山孝ポスター美術館長岡」を開設。地元から芸術を発信した。同館サポーターズ俱楽部の高田清太郎会長(72)は「社会問題に真正面から向き合い、一枚のポスターで世界を動かすという強い思いを感じた」と語る。建築士の高田さんと美術論や館の在り方を熱く語り合い、自分の信念は絶対に曲げなかったという。

 07年に直腸がんが見付かったが、長く苦しい闘病生活の中でも芸術への意欲を失わなかった。病のため手が冷たくなり、しびれてもペンを握り続けた。高田さんは「彼が最も嫌う言葉かもしれないが、『お疲れさまでした』と伝えたい」と冥福を祈った。

 同美術館の館長も務めた秋山さんは、自身の創作にとどまらず、デザインを学ぶ若者や市民向けに「美術館大学」を開催。気鋭の芸術家を招いての対談や、まちづくりについての議論にも力を注いだ。

 長岡商業高の元美術教師で、秋山さんを在学時代から知る木村保夫さん(87)は「美術を志す若者の蒙(もう)を啓(ひら)いてくれた。創造的な意欲、病に負けない精神は、後進に大きな影響を残してくれた」と感謝している。

 秋山さんは1月18日に死去した。葬儀は親族のみで行った。ポスター美術館は休館中だが、新型ウイルス禍の収束後、秋山さんをしのぶ会を催すつもりだ。