「西城秀樹伝説」輝き増す…ファンもメディアも愛した“レジェンド”の偉大な功績
「ヒデキさんは、小学生の頃から洋楽を聴いていて、そのバックボーンにはロックがあります。マイクスタンドをひっくり返すパフォーマンスや、紅白で初めてスモークを使い、視聴者を驚かせたのも、海外のロックアーティストのステージを研究していたからです。大阪球場で10年連続コンサートを行ったのも伝説のようになっています。男性シンガーが単独で球場コンサートをやるのは前代未聞だった上、クレーンに乗って歌ったり、ド派手にして大掛かりな演出で観客を沸かせた。それらが、のちの大規模ライブの見本、参考とされたのは言うまでもありません。ロックのテイストを歌謡曲のジャンルにいち早く取り込み、数々のヒット曲を通じて、一般に浸透させていったことといい功績は計り知れません」
■カバー曲も自分のスタイルで歌う
大ヒット曲「ヤングマン」が、米ディスコグループ「ヴィレッジ・ピープル」の1978年のヒット曲「YMCA」のカバーだったのは有名な話。レインボーにナイトレンジャー、KISSなどの楽曲を幅広く歌い、ワム!の「ケアレス・ウィスパー」を「抱きしめてジルバ」として、リリースすると、郷ひろみがそれに倣えと、歌ったりしていたという。