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いろんな生き方|林真理子

夜ふけのなわとび 第1733回

林 真理子
ライフ ライフスタイル

 多様性たら何たらで、

「いろんな生き方があってもいいんじゃないですかー」

 という言葉がひとり歩きしている。

 確かにそのとおりで、いろんな生き方が認められるのはいいことだ。

 しかしこれにある種の冷たさを感じるのは、私だけであろうか。

 今の世の中、人は断定的な口調を避ける。保守的とどうしたって叩かれるからだ。ああしろ、こうしろ、などという人生訓は前時代的なものになっている。だからたいていの人が、判で押したようにこう言う。

「いろんな生き方があってもいいんじゃないですかー」

 それよりもはるかに、私の心に刺さった言葉がある。テレビに白髪の老人が映っている。「世界でいちばん貧しい大統領」で知られる、南米ウルグアイのムヒカ元大統領だ。

 彼はドキュメンタリーの中で、こう叫んだ。

「若者よ、人生を一人で生きるな。仲間をつくれ、家庭をつくれ」

 ああ、私も昔、同じことを考えたなあと思ったものだ。

 まだ子どもの頃、親が死ぬのが本当に怖かった。私の家は親が高齢だったため、いつも母からこう言われていたのだ。

「マリちゃんが大人になる前に、お父さんもお母さんも死んでしまうんだよ」

 結局母は101歳、父は91歳まで長生きしたのだが、とにかく子ども心にそのことは本当に恐怖であった。母としては、勉強しないぐーたらな娘にはっぱをかけるつもりであったろうが、子どもにああいうことは言わない方がいいと思う。

 そしてその時私が考えたのは、絶対に結婚して子どもをつくろうということ。家族がいれば、親が死ぬ恐怖からは少しは免れられるのではと思ったのだ。

 しかし大人になってから、この考えは大っぴらに口に出来なくなった。なぜなら物書きになった私のまわりにいた人たちは、みんな意識が高くて、それこそ結婚や子どもなどというものに執着しなかったからだ。結婚したいと公言した私など、かなりバカにされたものである。

 それからまた歳月がたった。先日は66歳の男が、母親の死後、親身にめんどうをみてくれた医師を殺害する、という事件が起こった。私は背筋がぞぞっと寒くなった。犯人はほぼ私と同い齢。昭和の家族の価値観を持っている。家族もいないし仲間もいなかった彼は、親が死ぬことの恐怖と孤独に耐えることが出来なかったのだ。

 そして地域医療のために、ひたすら努力していた善意の医師が殺されてしまったのである。

 犯人には全く同情の余地はないが、今後こうした“狂気”に陥る老人は出てくるに違いない。人はひとりでは生きていけない。孤独は怖ろしい妄想を生んでいく、と実感した。

「専業主婦になりたい」

 そんな時に、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」がものすごい反響を巻き起こしていたのである。

 私はもともとこの番組のファンでたいてい見ているが、視聴率もそう高くない地味な番組だ。ところが、最近いろんな人がこの話題を出す。出てきた女性「ミナミさん」は、ツイッターのトレンド入りを果たしたほどである。

 この「ザ・ノンフィクション」は、「コロナ禍の婚活漂流記」というタイトルで、2回にわたって放映された。

 ミナミさん(仮名)は、私大の法学部を出て、飲食関係の会社に入社した。今はホールといって、店内のサービスをしているが、30歳で手取り13万というのに驚いた。正社員でこの金額では、当然一人暮らしは出来ず、親と同居しているのであるが、このコロナ禍で、仕事のシフトは少なくなるばかり。彼女は、

「専業主婦になりたい」

 という夢をかなえるべく、結婚相談所の門を叩くのだ。

 このミナミさん、平凡な容姿だけれども、きちんと育ったお嬢さん、という感じで好感がもてる。が、恋愛経験が全くなく、あまりにも世間知らず。

 相談所で紹介された資産家の男性とおつき合いをしながら、もう一方ではぐいぐいくる介護士のことを好きになってしまう。彼に腰に手をまわされ、

「まだ帰りたくない」

 とか言われると、もうそれだけで舞い上がってしまうのだ。

 この結婚相談所の女性所長さんが、ものすごく強烈で、人生の示唆にとんだ言葉を口にする。

「ここは恋するところじゃないの。結婚をするところ」

 そしてミナミさんをこう叱る。

「あなたね、もっと人間力を身につけなさいよ」

 そうだ、そうだと、多くの人たちが同意する。

「人間的にあまりにも未熟だ」

「思い込みが激しい世間知らずの女性」

 と批判も多いのであるが、なぜかみんなミナミさんから目をはなすことが出来ない。

 なぜなら、テレビに自分をここまでさらけ出し(仮名であるが)、がむしゃらに幸せになろうとしている彼女に、一種の清々しさを感じているからだ。

「結婚相談所なんてフン」

「お金も結構かかってイヤ」

 と言うのはカンタンだ。だけどあなたは何をしているの、という問いをミナミさんからつきつけられるようである。

 所長は今、心配している。コロナのせいで、社会に出たばかりの20代前半の女性が次々と入会してくるからだ。

 若いコにはかなわない。ミナミさん、早く誰かと成立しないと、と所長さんはやきもきしていた。

 ムヒカ大統領(当時)は言っている。

「私たちは幸せになるために、この地球に生まれてきたんだ」

 と。だけど幸せになるのって、なんて難しいんだ。みんながそれぞれの答えを出せるほど強いわけじゃない。仕事とか結婚とかまずはありきたりのことからやってみる。

「いろんな生き方」が見つかる人は、めったにいるもんじゃないんだから。ホント。

イラストレーター=平松昭子

source : 週刊文春 2022年2月17日号

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