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2013.11.05
書く力を本当に倍増する、容易くはない5つのトレーニング
書くことはどのようにして学ぶことが、いや鍛えることができるのか?
書くことによって、というのが唯一正しい答えである。
書くのが苦手な人は書くことをできるかぎり回避する。そうして苦手意識をつのらせる。さらに書くことを回避する。この悪循環を断ち切るには、嫌でも書くしかない。
対して、書くことを楽しむ人は、放っておいても何か書く。書き続ける。
アメリカのミステリー作家ローレンス・ブロックは、Writing Digest誌の連載コラムで、最悪の長編小説を3つ書き上げた男の症例を紹介している。
最初の1篇は、ブロックが最大限の親切心を動員しても一句たりとも良いところがない、それどころか直すことさえ不可能なくらいひどかった。なのに男は次の本を書き始めた。
完成した2つめも最悪といっていい出来だったが、1作目を知る数少ない人たちには大きな改善が感じられた。男はまた次の本を書き始め、書き終えた。
これまたひどかったが、しかし今度はとにかく長編小説の体をなしていた。
つまり男は、最悪のものを3冊分書き上げることで(多くの人はここまで続けられない)、長編小説を書くすべてのスキル(友人を失い孤独で極度の貧困に陥っても何とか生き延び書き続けることを含む)を身につけたのだ。
書きたいものをとにかくがむしゃらに書く以外のやり方がまったくないかといえば、そうでもない。
しかし以下に示す5つのトレーニング法の効果を実感するには、まずはとにかく書いてみて、トレーニングした後にまた、書いてみるしかない。
いずれの方法も、とにかく書くことより必ずしも楽な訳ではない。しかし、とにかく書くことは、時に「何をどうやって書いたらいいのか分からない」というデッドロックに突き当たる。
以下はトレーニング法であるだけに「何をどうしたらいいか」だけは明確である。踏み迷うくらいなら〈言葉の筋トレ〉でもした方がまし、という時には役に立つはずである。
1.縮約
ある文章を、その文章の表現だけを用いて、その長さを縮める。
作業手順としては、
(1)必要なところを抜き出し、
(2)長さを調節して、
(3)連続性を整えることになる。
30日で達人級の実力がつく日本語トレーニング〈縮約〉はこうやる 読書猿Classic: between / beyond readers で以前紹介したときには、毎日一定の長さのテキストが得られることから新聞社説を対象としたが、相手にするのは何だっていい。自分が書きたいものが決まっているなら、そのジャンル・分野のテキストを対象にしよう。論文を書くなら、他人の論文を縮約してみるのだ。
重要な部分を選択することや、(次項にある)原文を書き写すことなど、文章上達に必要なトレーニング要素がいくつも盛り込まれた言葉のサーキットトレーニングであり、今回紹介するものの中ではもっとも軽く取り組みやすい。
2.写書
とはいえ創作表現系の文章には縮約は向かない。何故なら、すでに切り詰められた文章(であるはず)だからだ。
創作表現系の文章の場合、何を書くかとともに何を書かないかが重要である。そうした空白(文の間)を含めて自分の体を通すためには、1篇をすべてまるごと書き写すことが望ましい。
ただ読むだけでは味わえない細部や、ときには書いては削りを繰り返した書き手の息づかいすら感じることができるだろう。また、この経験は、これ以降の読みのレベルを底上げする。どんなものにしろ書くことになる人は、できるだけ早いうちに書き写しを行っておくのがよい。
とはいえ、慣れないうちは、そっくりそのまま写すだけのことがかなり難しく感じられるだろう。その負荷こそが写す者を鍛えてくれるのだが。
最初はできるだけ短いものを(掌編小説はねらい目だ)、しかし写すに足りるものを選ぼう。繰り返し読むに耐え、自分が書きたいものを自分には逆立ちしても書けないぐらいの高みで達成しているものがよい。
注意事項が3 つ。
(1)なるべく見て覚えて、一度アタマに入れてから、見ないで書き写すこと
(2)ちゃんと書き写せているか、写したあと必ずチェックすること
(3)写し間違いを消さないこと。むしろマーカーなので目立たせること
書き写す/人文学(ヒュマニティーズ)の形稽古 その1 読書猿Classic: between / beyond readers
3.要約再生
ベンジャミン・フランクリンの文章修行法(自習法)である。ほんとこの親父はセルフヘルプに関することなら何でもやってるな。
まず元の文章の要約をつくる。そして細部を忘れるくらいの時間を空けた後に、要約だけを手がかりに元の文章を〈再生〉する。そして、元の文章と比較する。
どこが抜け落ちているか、あるいは自分の主観のような余計な何かが付け加わえてしまっているか、といった点はもちろんチェックする。
単調になりすぎた自分の表現に比べて元の文章が豊かな表現を用いているなら、そこからも学ぶことができる。自分でどうしようかいろいろ考えて書き出した後だからこそ、他人の文章から得られるものはより多い。
これとは別だが、冒頭でも登場したローレンス・ブロックは作家志望者のトレーニングとして、他人が書いた長編小説について数百語程度の短い要約をいくつも作ってみることを薦めている。自作の売り込みにいずれ必要になるからという実用的な理由の他に、他人の作品からその〈背骨〉を抜き出して自分の前にいくつも並べることは、自分の作品の〈背骨〉の作り方を学ぶ一番の近道だというのである。
4.異種変換
前項は、文章→要約→文章という変換を行うことだったが、スタートを文章以外のものにすれば、この異種変換になる。
風景を前に画家が筆をふるうように、目の前のものを言葉で写しとるというのもそうだが、マンガから文章を起こすのもいい。
最初は20ページもやるとヘトヘトになるから、4コマ漫画くらいからやってみる。セリフを書き抜いて並べたり、内容を説明するだけだとすぐできるが、面白くもなんともないものになるだろう。説明から描写を増やしていきながら自分なりの〈作品〉に落としこむ。その過程で内容が多少変わっても問題ない。
映画やドラマを相手にしてもできるが、慣れないうちにやるには少々ボリュームが大きい。なので、作業を分解する。すでに内容を知っている映画/ドラマを相手に、おおざっぱなストーリーを(1つ、2つ…目の山、クライマックスなど)箇条書きにしておく。時計を片手に、箇条書きの項目がそれぞれ開始から何分後に来るかを具体的に測る。タイムをメモする際に気付いたこと追加してもいいが、初回はあまり無理しない。何回かやってみると、ドラマの時間間隔が身につく。するとシーン構成やその他細かいことにも感度が増してくる。
5.添削
添削は文章教育のほとんど唯一の手段だった。
自分の書いたものを誰かに添削してもらうのはもちろん役に立つが(しかし自分なりにぐちゃぐちゃに悩んだ上で決断し書き上げてからでないと効果は薄い)、そうした相手が見つけ難いなら、自分の書いたものを添削=推敲することになる。
これは書く以上当然の行為だが、添削は受けるばかりでなく行う側の技量も高めることはもっと注目していい。
だったら誰かの文章を(頼まれなくても勝手に)添削すれば、自分の経験値になることになる。
目にした文章が目に余るなら、押しかけ的に添削してみる。もちろん別に相手に送りつける必要はない。こっそり自分の手元に留め置くなら、誰のどんなものであろうと添削ストックとして利用できる。トラブルも皆無だ。
相手は自分より下手な者に限る必要はない。むしろプロとか文豪相手に勝手に添削してもいい。に挑み、自分以上の文章とガチンコで格闘する添削は、熟読し、さらに写書した上で行えば、熟読・写書の効果と経験値が得られるだろう。
(参考文献)
・ローレンス・ブロックのWriting Digest誌の連載コラムをまとめたもの
・ベンジャミン・フランクリンのいつものソース
書くことによって、というのが唯一正しい答えである。
書くのが苦手な人は書くことをできるかぎり回避する。そうして苦手意識をつのらせる。さらに書くことを回避する。この悪循環を断ち切るには、嫌でも書くしかない。
対して、書くことを楽しむ人は、放っておいても何か書く。書き続ける。
アメリカのミステリー作家ローレンス・ブロックは、Writing Digest誌の連載コラムで、最悪の長編小説を3つ書き上げた男の症例を紹介している。
最初の1篇は、ブロックが最大限の親切心を動員しても一句たりとも良いところがない、それどころか直すことさえ不可能なくらいひどかった。なのに男は次の本を書き始めた。
完成した2つめも最悪といっていい出来だったが、1作目を知る数少ない人たちには大きな改善が感じられた。男はまた次の本を書き始め、書き終えた。
これまたひどかったが、しかし今度はとにかく長編小説の体をなしていた。
つまり男は、最悪のものを3冊分書き上げることで(多くの人はここまで続けられない)、長編小説を書くすべてのスキル(友人を失い孤独で極度の貧困に陥っても何とか生き延び書き続けることを含む)を身につけたのだ。
書きたいものをとにかくがむしゃらに書く以外のやり方がまったくないかといえば、そうでもない。
しかし以下に示す5つのトレーニング法の効果を実感するには、まずはとにかく書いてみて、トレーニングした後にまた、書いてみるしかない。
いずれの方法も、とにかく書くことより必ずしも楽な訳ではない。しかし、とにかく書くことは、時に「何をどうやって書いたらいいのか分からない」というデッドロックに突き当たる。
以下はトレーニング法であるだけに「何をどうしたらいいか」だけは明確である。踏み迷うくらいなら〈言葉の筋トレ〉でもした方がまし、という時には役に立つはずである。
1.縮約
ある文章を、その文章の表現だけを用いて、その長さを縮める。
作業手順としては、
(1)必要なところを抜き出し、
(2)長さを調節して、
(3)連続性を整えることになる。
30日で達人級の実力がつく日本語トレーニング〈縮約〉はこうやる 読書猿Classic: between / beyond readers で以前紹介したときには、毎日一定の長さのテキストが得られることから新聞社説を対象としたが、相手にするのは何だっていい。自分が書きたいものが決まっているなら、そのジャンル・分野のテキストを対象にしよう。論文を書くなら、他人の論文を縮約してみるのだ。
重要な部分を選択することや、(次項にある)原文を書き写すことなど、文章上達に必要なトレーニング要素がいくつも盛り込まれた言葉のサーキットトレーニングであり、今回紹介するものの中ではもっとも軽く取り組みやすい。
2.写書
とはいえ創作表現系の文章には縮約は向かない。何故なら、すでに切り詰められた文章(であるはず)だからだ。
創作表現系の文章の場合、何を書くかとともに何を書かないかが重要である。そうした空白(文の間)を含めて自分の体を通すためには、1篇をすべてまるごと書き写すことが望ましい。
ただ読むだけでは味わえない細部や、ときには書いては削りを繰り返した書き手の息づかいすら感じることができるだろう。また、この経験は、これ以降の読みのレベルを底上げする。どんなものにしろ書くことになる人は、できるだけ早いうちに書き写しを行っておくのがよい。
とはいえ、慣れないうちは、そっくりそのまま写すだけのことがかなり難しく感じられるだろう。その負荷こそが写す者を鍛えてくれるのだが。
最初はできるだけ短いものを(掌編小説はねらい目だ)、しかし写すに足りるものを選ぼう。繰り返し読むに耐え、自分が書きたいものを自分には逆立ちしても書けないぐらいの高みで達成しているものがよい。
注意事項が3 つ。
(1)なるべく見て覚えて、一度アタマに入れてから、見ないで書き写すこと
(2)ちゃんと書き写せているか、写したあと必ずチェックすること
(3)写し間違いを消さないこと。むしろマーカーなので目立たせること
書き写す/人文学(ヒュマニティーズ)の形稽古 その1 読書猿Classic: between / beyond readers
3.要約再生
ベンジャミン・フランクリンの文章修行法(自習法)である。ほんとこの親父はセルフヘルプに関することなら何でもやってるな。
まず元の文章の要約をつくる。そして細部を忘れるくらいの時間を空けた後に、要約だけを手がかりに元の文章を〈再生〉する。そして、元の文章と比較する。
どこが抜け落ちているか、あるいは自分の主観のような余計な何かが付け加わえてしまっているか、といった点はもちろんチェックする。
単調になりすぎた自分の表現に比べて元の文章が豊かな表現を用いているなら、そこからも学ぶことができる。自分でどうしようかいろいろ考えて書き出した後だからこそ、他人の文章から得られるものはより多い。
これとは別だが、冒頭でも登場したローレンス・ブロックは作家志望者のトレーニングとして、他人が書いた長編小説について数百語程度の短い要約をいくつも作ってみることを薦めている。自作の売り込みにいずれ必要になるからという実用的な理由の他に、他人の作品からその〈背骨〉を抜き出して自分の前にいくつも並べることは、自分の作品の〈背骨〉の作り方を学ぶ一番の近道だというのである。
4.異種変換
前項は、文章→要約→文章という変換を行うことだったが、スタートを文章以外のものにすれば、この異種変換になる。
風景を前に画家が筆をふるうように、目の前のものを言葉で写しとるというのもそうだが、マンガから文章を起こすのもいい。
最初は20ページもやるとヘトヘトになるから、4コマ漫画くらいからやってみる。セリフを書き抜いて並べたり、内容を説明するだけだとすぐできるが、面白くもなんともないものになるだろう。説明から描写を増やしていきながら自分なりの〈作品〉に落としこむ。その過程で内容が多少変わっても問題ない。
映画やドラマを相手にしてもできるが、慣れないうちにやるには少々ボリュームが大きい。なので、作業を分解する。すでに内容を知っている映画/ドラマを相手に、おおざっぱなストーリーを(1つ、2つ…目の山、クライマックスなど)箇条書きにしておく。時計を片手に、箇条書きの項目がそれぞれ開始から何分後に来るかを具体的に測る。タイムをメモする際に気付いたこと追加してもいいが、初回はあまり無理しない。何回かやってみると、ドラマの時間間隔が身につく。するとシーン構成やその他細かいことにも感度が増してくる。
5.添削
添削は文章教育のほとんど唯一の手段だった。
自分の書いたものを誰かに添削してもらうのはもちろん役に立つが(しかし自分なりにぐちゃぐちゃに悩んだ上で決断し書き上げてからでないと効果は薄い)、そうした相手が見つけ難いなら、自分の書いたものを添削=推敲することになる。
これは書く以上当然の行為だが、添削は受けるばかりでなく行う側の技量も高めることはもっと注目していい。
だったら誰かの文章を(頼まれなくても勝手に)添削すれば、自分の経験値になることになる。
目にした文章が目に余るなら、押しかけ的に添削してみる。もちろん別に相手に送りつける必要はない。こっそり自分の手元に留め置くなら、誰のどんなものであろうと添削ストックとして利用できる。トラブルも皆無だ。
相手は自分より下手な者に限る必要はない。むしろプロとか文豪相手に勝手に添削してもいい。に挑み、自分以上の文章とガチンコで格闘する添削は、熟読し、さらに写書した上で行えば、熟読・写書の効果と経験値が得られるだろう。
(参考文献)
・ローレンス・ブロックのWriting Digest誌の連載コラムをまとめたもの
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