就職先の倒産を乗り越えてプロゲーマーに 徳島出身たぬかなが歩んだ軌跡
日本で2番目に女性プロゲーマーとなったたぬかな選手。攻めに徹したプレースタイルで多くの実績を残しており、大会やメディア出演などで幅広い活動をしています。彼女が地元・徳島でどのような生活を送っていたのか。そして、なぜプロゲーマーの道を選んだのかを聞きました。
日本で2番目に女性プロゲーマーとなったたぬかな選手。攻めに徹したプレースタイルで多くの実績を残しており、大会やメディア出演などで幅広い活動をしています。彼女が地元・徳島でどのような生活を送っていたのか。そして、なぜプロゲーマーの道を選んだのかを聞きました。
――まずはたぬかな選手の出身や子供のころの話を聞かせてください。
私は徳島出身で、もともと運動するのが好きだったので姉や弟とよく外で遊んでいました。小中学校のころは部活でテニスやサッカーをやっていたんですよ。
――小さいころからゲームは遊んでいたのでしょうか?
お父さんがゲーム好きで、スーパーファミコンとかプレイステーションをよく遊んでいたんです。私もお父さんや弟とよく一緒にゲームを遊んでいたので、ゲームに触れる機会が比較的多かったとは思います。
――どんなタイトルをプレーしていたんでしょうか?
最初にプレーしたゲームは、姉といっしょに遊んだ「ドラゴンクエストVI 」です。ほかにも「ヨッシーアイランド」や「スーパードンキーコング」をやっていた記憶があります。
そのうちにプレイステーションが発売されて、お父さんが「バイオハザード2」を買ってきたんですけど、夜になったらリビングに家族で集まって、お父さんがプレーするのを「がんばれー」って応援しながら見ていたんですよ(笑)。
まるで映画みたいで「最近のゲームはすごいな」と感じたことを今でもよく覚えています。
――当時は対戦格闘ゲームをプレイしていなかったんでしょうか?
お父さんは「ストリートファイターII」を遊んでいたのですが、そのころの私はまだ小さかったので、難しくてできなかったんです。「鉄拳」に出会ったのは高校生のときですね。
――どのようにして「鉄拳」に出会ったのかをお聞かせください。
住んでいたのが田舎だったので、遊ぶところがゲームセンターかカラオケぐらいしかなかったんですよ。
学校が終わったら友だちとゲームセンターに行くことが多かったんですが、そこで出会ったのが「鉄拳」でした。
学校の男子たちがハマってて、それを見ていたら私もやりたいなって思うようになったんです。
――最初のころから強かったんでしょうか?
ゲームに慣れてはいたから、ほかの女の子よりは上手かったんですけど、最初はやっぱり弱かったです。
初めて3か月くらいは基本のコマンドも出せなくて、普通に遊べるようになるまでは1年くらいかかりました。
他のプロの方と比べると遅い方じゃないかな?
一緒に遊んでいた同年代の男の子たちの中に、ちょうど同じくらいの強さのライバルがいたので、「こいつに勝ちたい!」と頑張っていたら、気づいたら高校の中では一番強くなっていました(笑)。
――それはすごいですね!
同じクラスの男の子が「鉄拳強いらしいやん。俺が勝ったら付き合ってや」と言い出したので、ボコボコにしたら悲しい顔をして帰っていったこともありました(笑)。
もともと建築士になりたくて工業高校に入ったので、男子が多くて格闘ゲームはみんな好きでしたね。
――そのころ、たぬかな選手以外にも女性プレーヤーはいたんでしょうか?
もちろんいましたよ。
いつも女子高生3人で制服着たままゲームセンターに行ってたんですよ。
まだ「鉄拳」を続けている子もいて、今でも連絡を取ってます。
――それは目立ちますね(笑)。
女の子がキャーキャー言いながらプレーしていたので、けっこう目立っていたみたいです。
格闘ゲーム界隈の掲示板に「女子高生3人が格闘ゲームやってる」と書かれていて、ちょっと有名だったらしいです(笑)。
当時は一緒に「鉄拳」やっている人は年上のおっちゃんが多くて、弱かったときも「ここはこうしたらいいよ」と色々教えてくれたりして、楽しくやらせてもらえましたね。
――高校を卒業してからは就職したそうですね。
卒業後は建築士になったんですが、仕事が本当に忙しくて終わるのが夜の11時くらいだったので寝不足になり、体調を崩してしまいました。
ゲームとの両立も厳しくなっていたんですが、しばらくして会社が潰れてしまったんですよ。
仕事が忙しすぎて鬱っぽくなっていて、抜け毛もすごかったので、この機会に別の仕事に就くことにしました。
次に就職したのがユニクロさんで、最初はアルバイトだったんですが試験を受けたら合格して社員になれたんです。
そのころから余裕を持った生活ができるようになりましたね。
店長もゲーム好きで、「土日に大会があるんです」と伝えたら「すごいな、それなら応援するよ」と言ってくださったので、ゲームと仕事を両立できるようになりました。
繁忙期はものすごく忙しかったんですが、お給料もよかったし、役職もいただいていたので充実していました。
――充実した生活から、なぜプロゲーマーになろうと考えたのでしょうか?
「CYCLOPS athlete gaming」がプロゲーマーを募集していたときに、かなり軽い気持ちで応募したのがきっかけでした。
交通費を出すので面接に来てくださいと言われて、実際に面接を受けたときに初めて「プロゲーマーやってみてもいいかもしれない」と思うようになったんです。
大阪への移住がプロになる条件だったんですけど、私は田舎者なので都会に憧れがあったのも大きいです。
もしワンチャン上手くいったら都会に出る夢も叶うし、ゲームでお金をかせぐこともできる、いいじゃん! というノリで決めてしまいました(笑)。
あとやっぱり、女の子の応募はすごく少なかったみたいなんです。
わたしはバンダイナムコエンターテインメントさんから誘われて「鉄拳」の海外イベントに行かせてもらった経験などもあってそこそこ有名だったというのもあり、プロとして採用いただけたんだと思います。
――女性プロゲーマーはあまりいませんからね。
かなり少ないですね。日本だと私とゆうゆうさん、みぃみさんの3人が目立っていると思います。
――なぜ少ないと思われますか?
格闘ゲームにおいてはそもそも、女性ゲーマーの数が少ないんです。
今、プロになっている方は15年くらいプレーされている方が多くて、通信対戦より前の時代から、ゲームセンターでプレーしていないと厳しい世界なんです。
でも、ゲームセンターって女の子だけだと入りづらいので、そもそもの競技人口が少ないのは仕方ないかなと思います。
――くじけそうになったことは?
もちろんあります。
私はもともと19歳くらいのころが一番反応が良くて、発生が速い技も見てから対応できたんですけど、23~24歳くらいから反応が落ちて、できなくなってしまいました。
でも若い子は「こんなの絶対見えるやろ」と言っていたので、あのときはくじけましたね。
――そこから立ち直れたのはなぜでしょうか?
私よりも強い人たちが、30代半ばでも若くて反応がいいプレーヤーを経験でねじ伏せて勝っているからです。
反応はそれほど良くなくても、経験の差や対処の丁寧さで勝つ姿を見せてもらったことが大きいです。
私は攻めて攻めてというタイプなので、強い人に勝つこともあるけど、弱い人にも負けたりすることもあるんです。
韓国のKnee選手のような、守り重視ですべてを受け切ったうえで勝つ、安定した強さに憧れていますね。
徳島県出身。プロeスポーツチーム「CYCLOPS athlete gaming(CAG)」に所属する「鉄拳」プレーヤーにして、レッドブルアスリート。男性が圧倒的に多い格闘ゲーム界の中で数少ない女性として活躍し、数々のタイトルで上位入賞を果たしている。
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