黒奈とモデルのお仕事 1
「また来てしまった……」
スタッフさん達が忙しそうに歩き回り、撮影機材の準備などを進めている。
俺は一人ベンチに座って準備が整うのを待つ。
「なーに哀愁漂わせてるのよ」
「うわっ!?」
とんっと軽く背中を叩かれる。
完全にぼーっとしていたので、思わず驚いて声を上げてしまう。
「し、東雲さん!」
「よっす! 久しぶり、黒奈」
片手を上げてにこっと可愛らしい笑みを浮かべるのは、モデルの
「やほー、黒奈くん」
その後ろから、同じくモデルである
「東堂さんもお久しぶりです!」
「おひさー黒奈くん。いやぁ、凄い事になったねぇ」
「本当よ。あんた、大丈夫なの? 記者とかしつこいんじゃないの?」
二人は俺の両隣に座って心配そうな顔をする。
二人が言っているのは、俺の正体がバレてしまった事についてだろう。
戦いが終わって、二人と会うのは今日が初めて。一応、テレビ電話で説明とかしたけど、会って話さないと心配だったのだろう。
まぁ、元気もりもりな訳ですが! 毎日三食食べておやつだって食べてますが!
「大丈夫です! 記者も今のところ来てません!」
記者などは弓馬さんが
「そう。なら良かったわ。けど、何かあったら私に言いなさいよ? 出来る範囲になっちゃうけど、なんとかするから」
「はい。ありがとうございます」
「あ、わたしにも相談してね~? 頑張るから~」
「はい。分かりました」
とはいえ、二人に頼る事はきっと無いだろう。何せ、弓馬さんが後ろ盾になってくれているのだ。弓馬さんでダメなら、他のどんな人でもきっとダメだろう。
けど、二人のその気持ちがとても嬉しい。だから、二人の言葉に素直に頷いてしまう。
「それにしても、またこうして黒奈と仕事が出来るとは思わなかったわ」
「俺もです……まさか、こうも早く仕事の依頼が来るとは……」
「まぁ、当たり前と言えば、当たり前の事なんだけどね~」
そう、今日の俺は仕事に来ているのだ。三人で楽しくお茶をしに来た訳では無い。
事の発端は、一週間ほど前の事だ。
休日の昼下がり。俺は家でぼーっとテレビを見ていた。
花蓮達は桜ちゃんの家で勉強会をするとのことで、その日は家におらずとても暇を持て余していた。
父さんと母さんは家に居たけれど、母さんは家事をしていて、父さんは庭いじりをしている。
俺一人、暇である。
何かする事は無いかと思っていると、不意にスマホが軽快な音楽を奏でる。
「ん、誰だろうか」
ディスプレイを見てみれば、そこには榊さんと表示されていた。
「榊さん……? はい、もしもし、如月です」
『もしもし、榊です。今、お電話よろしいでしょうか?』
「はい、大丈夫ですけど……また何かトラブルですか?」
『そんなしょっちゅうトラブルには見舞われていませんよ。今回は正式なお仕事のご依頼です』
「お仕事、ですか……と、言うと……」
『はい。写真撮影です』
「やっぱり……」
榊さんからのお仕事と言われれば、十中八九モデルとしてのお仕事である。
過去二回お仕事を貰っているけれど、その二回ともモデルとしてのお仕事である。
「え、でも、俺が言うのもなんですけど、大丈夫なんですか? その……俺の正体、日本どころか全世界にバレちゃったわけですけど……」
『だからこそです。今この世界で如月さんを知らない人などそういません。それに、ブラックローズとしての元々の人気もありますし、今回の件で世間のブラックローズへの人気は上昇中です』
「えー? そんなに上昇してますー?」
SNSのフォロワー数は確かに少し伸びたし、よく人の視線を感じるようになったけれど、言ってしまえば目に見えた変化はそれだけだ。
『テレビでもブラックローズの話題が良く出てきます。少年なのに魔法少女という今の時代に一石を投じるような存在ですからね。そんな如月さんが世界を救ったとなれば関心も高まりますよ』
「へー……」
『へーって……』
「いや、すみません。あんまり実感なくて」
今の時代に一石を投じる存在と言われても、良く分からない。
俺は時代のために魔法少女になった訳じゃない。花蓮のために魔法少女になったのだ。時代とか言われても分からない。
『まぁ、今の如月さんは世間が関心を寄せている存在だという事です。だからこそ、もう一度ポスターモデルをやって欲しいのです』
「はぁ、なるほど……」
とはいえ、今はお金に困っている訳では無い。
深紅には目立ちたくないなら当分は派手な活動は控えるように言われているし……今回は断ろうかな。
「あの、今回は……」
『と、いうのは建前です。本当は、私がまた如月さんと一緒にお仕事をしたかっただけです』
事務的な声に少しだけ温かみが宿る。
『前回撮った写真、とても好評です。それはブラックローズが如月さんだと分かった後でも変わりません。如月さんは、ブラックローズの正体が男である事に後ろめたさを感じているのでしょうけれど、それに対して怒っている者は極少数です。その少数のために、あなたが我慢をする必要はありません』
それは、桜ちゃんや碧にも言われた事がある。乙女にだって、この間言われたばかりだ。
ブラックローズの正体が俺だと分かって、けれど、ブラックローズの人気は落ちていないのだと。
けど、多分、我慢をする必要が無いと言ってくれたのは、榊さんが初めてだ。
……確かに、遠慮をしている部分はあった。ブラックローズにまた変身できるようになったけれど、前以上に進んで変身をしようとは思わなくなった。
それは、皆がブラックローズの正体を知ってるからだ。
どんな目で見られるのか、それが怖いのだ。
だって、俺は花蓮のために魔法少女になったのだ。花蓮のためなら他の全てを投げうってでもブラックローズに変身するけれど、もう花蓮にブラックローズは必要無い。それが分かってしまえば、俺が変身をする理由も途端に無くなってしまったのだ。
勿論、誰かが困っていれば変身して助けに行く。けれど、誰かに変身を請われても俺は進んで変身をしようとは思えない。だって、変身をする理由が無いのだから。
ブラックローズの正体を知ってショックを受けている人が居る事も勿論知っている。その人達に気を遣っているのも自覚している。それ以上に、変身をする事で向けられる反応が恐ろしいのは自分でもよく理解している。
……いや、違う。俺は、ブラックローズがもう求められていないという事が怖いんだ。
だって、俺はブラックローズだから。俺がブラックローズである事は、切っても切れないものだから。
これでもう一度ブラックローズになって写真を撮って、不評ばかりだったら? 誰も求めていなかったら?
もしそうなってしまうのならば、俺は多分耐えられない。もう二度と、ブラックローズに変身できない。そんな気がする。
だから、まだ逃げ道があるなら……。
「あの、榊さん……今回は、断らせてください……」
この仕事を断れば、そんな不評を貰う事も無い。俺は、まだブラックローズでいられる。
『……理由をお伺いしてもよろしいですか?』
「……少し、ブラックローズとしての活動は控えようかなって思ってまして。深紅にも、目立ちたくないなら少しの間は活動を控えた方が良いって言われてて……」
『ああ、なんだ。そんな事でしたか』
「え?」
俺の言葉に、榊さんは安堵したような声音でもらした。
『あれ、言ってませんでしたか? 今回の依頼はブラックローズ宛てではありません。そもそも、私は以前からブラックローズではなく如月さんに仕事の依頼を出してます。如月さんがブラックローズだと分かったのも、前回の仕事の最中でしたし』
「えっと、つまり……」
『如月黒奈さん。私は、ブラックローズでは無く、貴方に仕事の依頼を出しています』
「ですか……」
つまるところ……早とちりだった訳だ……。
思わず、深く溜息を吐いてしまう。
そんな俺の反応に、榊さんは柔らかい口調で言う。
『如月さんの現状を考えれば、ブラックローズとしてのお仕事を断ろうと思うのは当然の判断だと思います。ですが、私は如月さんだからこそポスターモデルにスカウトしたのです。ブラックローズだったなんて、私にとっては後付けの理由でしか無いですよ』
「すみません……完全に早とちりをしてしまって……」
『いえ、お気になさらず。それで、どうしますか? 撮影依頼、受けていただけますか?』
如月黒奈としての撮影。
女性のふりをする必要も無く、男である俺のままでお仕事をする。
「って、それってお店的に大丈夫なんですか? 男の俺がポスターモデルって……」
『大丈夫ですよ。今回は如月さんにはメンズ衣装を着ていただく予定ですし』
「そうなんですか?」
『はい。と言っても、メンズでも着られる可愛い系の服になります。メンズの方にも広げていこうかなと思いまして』
メンズとしての撮影。
それは、ブラックローズとしてでもなく、女性を装ったりする必要も無い、純粋に如月黒奈として挑める仕事だろう。
前の撮影は楽しかった。それは、紛れも無い事実だ。
正直な話、受けてみたいとは思う。
人目にさらされるのは怖いけれど、それでも、ブラックローズじゃ無くて、俺が必要なら……受けてみたいと思うんだ。
『因みに、東雲さんと東堂さんも今回の撮影には参加します。卑怯かもしれませんが、お二人とも如月さんと是非一緒に撮影をしたいとおっしゃってましたよ』
「え、東雲さんと東堂さんが……?」
電話では、俺がブラックローズである事を東雲さんには明かして、その後で謝った。言わなかった事に怒ってはいたけれど、ちゃんと許してくれたし、今度メンズの服を選んでくれるとも言ってくれた。
東堂さんも、以前と変わらない付き合いをしてくれている。
思わず、力の抜けた笑みを浮かべてしまう。
「榊さん、それはずるいですよ……」
『ええ、承知しています。ですが、私だってそれだけ本気なんですよ?』
にこりと、電話の向こうで榊さんが微笑んだような気がした。
「受けさせていただきます、そのお仕事」
『その言葉を待っていました。よろしくお願いします、如月さん』