渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ピースメーカー 〜MGC 1968年製モデル〜

2021年03月13日 | open
 


私は小学校3年の1969年12月からモデルガン
を購入し始めた。
当時1丁3,800円で現在の約4万円弱ほどし
た。お年玉含めた小遣い貯めて購入した。
必死で貯めたお金はすべてモデルガンに
費やした。

MGCというモデルガンメーカーは、私が
生まれた頃に世界初の「モデルガン」と
いう、非鉄金属の亜鉛ダイカストの鋳造
で模型の銃を作ったメーカーだ。
MGCというのはモデルガンコーポレー
ションを略したものだ。世界初のレプリカ
ガンは、世界一銃規制が厳しい日本で
発明されたトイガンだった。
MGCの後に別な玩具メーカーが業界に
参入した。
1960年代は、ハリウッド→マカロニという
西部劇の空前絶後の日本での大人気発生
により、ウエスタンが大流行した。
世の中、拳銃といえば、リボルバー。
それも当時から100年近く前のウエスタン
リボルバーだった。
これは、日本人が時代劇で100年前の
江戸時代のサムライアクションを好んだ
のと同じく、人気爆発。大人も子どもも
こぞってサムライアクション、忍者活劇、
そしてアメリカの西部劇だった。
そうした世情の中で日本のモデルガンは
誕生した。
最初はチャチなアメリカの児童むけの
西部劇用玩具銃が輸入されていたが、
本格的な実銃採寸によってMGCという
メーカーがピースメーカーを作った。
空前絶後の爆発人気となった。

このMGCピースメーカーは、その第一号
の金型のモデルだ。
万博がある年の前年の暮れに購入した。
なぜ金色かというと、1971年10月の
極限銃刀法改正により、所持できなく
なるために、合法的に金色に塗装して、
銃膣を完全閉塞させたからだ。
1971年規制の時には、涙があふれながら
も、すべて所持しているモデルガンの
銃膣に鉛を溶かして流し込んで閉塞し、
そして、本体を金色にハケで塗装した。


MGC初期モデルの3スクリューだ。
これは1971年規制の後、MGCピーメ
では簡略化されて、一つギミックに
省略された。この初期モデルは、実銃
と同じく、3本のネジが機能している。


当時、輸出も積極的に行われていた。
MGCのみならず、日本のモデルガン
業界の6割以上の収益は海外輸出に
よるものだった。
その殆どは、映画製作等のステージ
ガンとして使用された。
MGCの自動小銃突撃銃のモデルガン
のM16などは、実に多くのハリウッド
映画で使用されている。
ピースメーカーもその一つだった。
実銃による空砲ブランク撃ちよりも
安全で簡便に使える物が日本製の
モデルガンだったからだ。


合法認可の金色に塗装してある。
1971年から何度か塗り替えている。


銃膣は完全閉塞。
銃口ではない。銃身を先から根元まで
完全に銃の膣を閉塞させなければなら
ない。私の1971年銃刀法規制以前に
所有していた金属製モデルガンは、
すべてこのように銃膣を閉塞させて
金色に塗装している。理由は法を守って
所持するためだ。


コーンの根元。MGCの初期インサート
の形状が垣間見れる。左横に手すりの
ような鋼材を入れてインサートとして
いた。この画像で見えるコーンのイン
サートの先から始まる銃膣部分をすべて
閉塞加工している。


MGCは安全対策のため、最初から
シリンダーは貫通シリンダーでは
なく、半閉鎖シリンダーだった。
空薬きょう型のカートの先端に平玉
火薬をつまむようにして剥いて5個
ほど並べ重ねて最後に丸くカットし
た平玉で封をして火薬込め完了だった。
なお、運動会などで使われるスターター
用の大きな平玉火薬がぴったりのサイズ
だったが、あれを購入したり使用する
ことは、当時から火薬法で資格が必要
だった。子どもでも大人でも資格無き
者が使ったら違法。それは知悉して
いたので、違法にその火薬を仕入れて
仕込むような無法はやらなかった。


これはダイカストの鋳物成形だが、
のちにこの半閉鎖部分には超硬質
金属が使用された改造防止安全イン
サートと発達した。MGCはトイガン
という存在を極めてきちんと考えた
メーカーだった。


シリアルナンバー10037。日本のモデルガン
史の中で、極めて初期に属する製品だ。
シリンダーにはストップボルトの引きずり
痕があるが、これは作動させるとこうなる。
私は、白手袋をはめないとモデルガンを
人には一切さわらせないという趣味は
ないし、自分でも作動させたり発火させ
たりする。然る後に十分に手入れをする。


刻印。「西部を征服した銃」は実は
.45口径ではない。ウィンチェスター
M73と弾丸が同一だった.44口径の
40グレイン弾を使うピースメーカー
だった。それは、俗称でフロンティア
シックスシューターとかピースメーカー
と呼ばれた。当時の米国内販売店の
キャッチフレーズだった。
このMGCはその一番人気だった44-40
の弾を使用するSAAをモデル化した。
バージョンは1896年以降の無煙火薬
の2ndジェネレーションをモデルアップ
している。
Cal 44-40 Long blank
MGC MANUFACTRY
との刻印がある。


バレル左横の表側には以下の刻印。
FRONTIER SIX SHOOTER Cal 44-40


さんざん「撃って遊んだ」銃だ。
これでファーストドローの訓練は
やっていない。
ドロー訓練を徹底的にやったのは、
1971年の銃刀法規制以降に購入した
MGCの1968年金型の銃口閉鎖モデル
と、CMCの金属製豚鼻ピーメだった。
1972年に購入。

それで死ぬほど練習した。
気づくと、渋谷のラボでの計測で
セルフドローが0.1秒台になっていた。
合図からのカウントドローは0.2秒台
前半だった。これは当時ではそれなりに
結構速いほうだった。
死ぬほど練習した。もうアホですか?
というほどに。
剣道もそれだけ稽古すればもうちっと
はましだったろうに、というくらいに。
世界記録は、マーク・リードの0.06秒
で、世界第二位が国本圭一さんの
0.07秒の抜き撃ちだった。カウント
ドローではセル・リードも国本さん
も0.1秒台だった。
「世界一の早撃ち0.6秒」などと言わ
れていたアラン・ラッドが1発撃つ
うちに国本さんやマークならば6発
叩き込める計算になる。
10年ほど前に私のドローを計測したら、
点灯カウント・ドローで0.27秒だった。
セルフドローで0.1秒台。ローティーン
の頃よりもかなり遅くなっている。
確実にじじいすね(笑
ちなみに私はのけぞり撃ちはしない。

ロスが多いからだ。手の中で回す
ようにドローしながら撃つ。

そして、静止してロックして撃つの
ではなく、狙いながら撃つ。それで
タイミングは銃身が水平になった
時に撃発される。これ、国本式メソッド。
定まってからロックして撃発よりも
かなりタイムが上がる。

ごく最近だからかなり遅いけど、私の

ドローショット(火薬無しブランクカート)。
仕様銃:ハートフォード製。



左手をロックさせてゆっくりと実弾
射撃のように撃発した
ドローショット。
仕様銃:WA製。



この私の1968年製MGCピースメーカー
は、現在は保存鑑賞用になっている。
実に53年前の製品となる。1969年に
MGCボンドショップにて購入。

 
 

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