
倉本聰×是枝裕和 特別対談
テレビドラマには"チック"が欠かせない―
是枝さん 局の皆さんは、きょうは"対談"と思っているかもしれませんが、個人的には僕が、倉本さんの作品をどう好きなのかを、お伝えする時間になるかもしれませんけれど…。20歳で脚本を書く真似事を始めたとき、倉本さんの脚本が一番の教科書でした。
倉本さん
恐れ入ります(笑)。
是枝さんどう緩めて、絞って、笑わせて、ホロッとさせて、1時間のドラマを構成していくのか。非常にシャープで、見事に1時間という"時間"が描かれていると、当時、思っていました。
倉本さん僕は、ラジオドラマから始まって、その後、映画の脚本を書いていました。東映という映画会社に、マキノ光雄さんというプロデューサーがいました。このマキノさんが、ある人のシナリオを読んで『このシナリオには、ドラマがあるが"チック"がねぇ…』と言ったそうです。ドラマチックの"ドラマ"と"チック"…この違いは何だろうと考えたんですね。それで"ドラマ"というのは物語を引っ張っていく話の筋で、一方の"チック"は、そこに付随する"部分的なエモーショナルなモノ"ではないか…と。テレビは"ドラマ"よりも、むしろ"チック"が大切なんじゃないかと思っているんです。
倉本さん僕は、何かにこだわる人間が好きで、そういう人間の話を凄く書きたいんです。若い頃に読んだ海外の短編小説で、一人の男が、何かの理由で社長に怒られている話がありました。その男は、怒られながらも、ジーッと社長の鼻を見ているうちに、どうしても鼻に触りたくなっちゃうんですよ。それで、ついに男は我慢できず、社長の鼻を触っちゃうという話なんだけれど、こういう心理って、面白いって感じたんです。そういうことをウンと書いていくと『この気持ち、わかる!』という想いに到達できるんじゃないかと。テレビにはいろんなお客さんがいますから、短い部分で"うーん、分かる!"という部分に、ドラマは絞っていった方がいいのではと考えるようになりました。
是枝さん倉本さん脚本の連続ドラマ『6羽のかもめ』(1974年・フジテレビ)ですが、どれも素晴らしくて、特に好きな放送回が何話かあるんですが…。〝焼き魚の頭をどっちにする?〟というネタの回はすごい。ドラマ導入の5分だけなら分かるんですが、このネタだけで、1時間ドラマを構成することは、正直なところ、なかなか怖くてできない(笑)。
是枝さん でも〝食べ終わった後で魚の頭の向きを変える〟というオチも含めて、それぞれのキャラクターが、1時間のドラマの中で見事に出ているんですよね。僕たちの人生に起きる、本当に小さな出来事、小さな日常を巡って、いろいろなドラマが起きている。その辺りが"ドラマ"ではなくて"チック"だと思うんですが、そこを掘り下げるだけで、いくらでもドラマが書けることに気がつきました。
倉本さん『北の国から'84夏』(フジテレビ)の脚本を書いたときのことです。純(吉岡秀隆)という少年が、本当は自分が火事を出したのに、友だちの正吉のせいにしてしまうんです。純は、ラーメン店で親父に『火事は、自分のせいだった』と告白するシーンなんですが、脚本を書いていて〝チックを忘れているな…〟という気がしたんです。
純が、本当のことを告白していると、ラーメン店の女性店員(伊佐山ひろ子)が『もう時間だから』と言って、純が食べている途中のラーメンの器をさげようとするんです。そのとき『子どもがまだ食っている途中でしょうがっ!』と、父親の黒板五郎(田中邦衛)が、その店員を怒鳴るシーン。実は最初の台本にはなかったんです。
このシーンを加えたことで"チック"が出ました。最初の脚本で、僕は何か物足りなさを感じていて、"待てよ…ラーメンを運んでくる店員は、どういう人物なのか?"と思ってね。それで店員の家には、子どもが2人位いて、母子家庭で…家には、腹を空かした子どもたちが待っている。早く帰らなくてはいけない。閉店時間の夜8時なのに、黒板一家という変な親子がやって来て、延々と話をしている。早く帰れなければいけないのに…とイライラ、イライラしているわけです。
そうやって店員の側から考えたら、ピッと締まるドラマになったんです。伊佐山ひろ子が演じる店員の家庭まで、視聴者は考えないだろうけれど、そこにもドラマがあって、黒板一家のドラマにちょっとだけ絡んでいる。店員のバックボーンがあるから、物語の印象的なシーンになったと思います。
脚本家、演出家、役者…それぞれが勝負した名作『幻の町』
是枝さん
僕の一番大きな転機が、大学生のときに買った、シナリオ集『倉本聰コレクション8・幻の町』なんです。これを読んで、いろんな想いが甦りました。親の年齢が結構上だったので、自宅のテレビは、子どものころ、日曜の夜『東芝日曜劇場』が、必ずついていました。その中で時折、とても印象に残る放送回があって、その多くが『シナリオ集』に収められていました。ここで"これも倉本さんだ、これも倉本さんだ"と、ようやく気がついたんです。子ども時代に触れた、テレビドラマの原体験みたいなものが20歳前後で一度、自分の中で甦って、そこから倉本さんにすっかりハマりました。
とにかく、このシナリオ集に収められた作品は、どれも好きなんですが、倉本さんは『HBC制作の東芝日曜劇場『幻の町』が、最も大切な作品の一つ』と言っています。本当にいろいろな要素が入っていて、僕も、傑作中の傑作だと思っているんですが…。
倉本さん
『幻の町』(1976年・HBC)の原点は、自分のおふくろの話なんです。おふくろが認知症みたいになって、どうしようもなくなったときに、戦時中のことを尋ねてみたことがあるんです。岡山の田舎町に疎開していたんですが、当時の家の間取りや、ご近所さんについて、おふくろに尋ねたところ、突然、明るい顔にパッとなって、全部思い出して、当時の地図を書いたんです。そのことから"幻の地図"をモチーフに、ドラマの脚本を書くことを発想したわけです。
もう一つは、札幌ススキノで飲み屋をやっている、樺太の真岡(現ホルムスク)から引き揚げてきた高齢の姉妹がいて、その2人から毎日、真岡の話を聞いて『幻の町』の脚本を書いたんです。
是枝さん "何かを捨てる旅と同時に、何かを探す旅"になっている。旅が常に、両義的なモチーフをはらんでいる…。倉本さん脚本の、多くのドラマがそうなっていると思うんです。
倉本さん (『幻の町』の夫婦役)田中絹代さんと笠智衆さんの関係は微妙でした。すでに絹代さんが、映画の大スターだったころ、まだ笠さんは大部屋の役者でしたから。笠さんは、絹代さんには頭が上がらなかったんです。その笠さんは、HBCから出演依頼を受けたとき『冬の北海道は寒いから、私は身体がもちません…』と、最初断ったんです。そうしたら絹代さんが、直接電話をかけて『撮影中に凍って死んだら本望でしょうが!何を言うの!』と笠さんを怒って、それで出演を了承してくれたんです。
倉本さん ドラマの終盤に、凍りついた小樽の倉庫街で、妻役の絹代さんが『あなた、一度もキスしてくれなかった…』と言うシーンがあります。すると『そうかのう…』と、夫役の笠さんが返す。『そうですよ、一度も口づけをしたことなんてありませんよ』と絹代さんが言う。そこで突然、笠さんがチュッとキスして、クルッと後ろを向いてスキップした。これには、僕も撮影現場にいてビックリしました。
是枝さん 倉本さんも、現場にいらっしゃったんですか?
倉本さん ええ…何という人だ!と思いました
是枝さん 『幻の町』は、脚本家と演出家と役者が、みんなが勝負しつつ、それぞれが作品に抱いている世界観が、見事に調和しています。ドラマに映し出されているのは、老夫婦のいたわり合いだったり、故郷への思いだったり。そして途中から"娘を真岡に残してきた思い"が浮上してきて、棘のように刺さり、笠さんの表情がふっと変わる。その瞬間が見事にできています。それに笠智衆さんの芝居には、軽やかさがあって、決して重たく、悲しさに傾いていかない…。物語自体が持っている切なさを、重たく演じていると、あのラストには到達しないと思いました。
倉本聰の脚本術とは…その①ひとり語りと間
倉本さん 日活って映画会社は、回想形式とナレーションを禁じていました。僕は『前略おふくろ様』(1975~76年・日本テレビ)の脚本を書いたときに、初めて、ひとり語りの台詞を使いました。無口な板前のサブ(萩原健一)は山形出身で、方言が激しいことから、上京後は、言語コンプレックスで、あまりしゃべれないという設定なんです。でも心の中には、いっぱい声があるわけです。それなら、その心の声を台詞に出しちゃえ!ってことでやったんです。
倉本さん 多分、僕の台詞術の中で間=間合いに対する考え方が、一番大きな要素なんですね。いま僕が話しているときに"こう言ったら分かってもらえるか?""こう言ったら分からないかな?"と、無限にある言葉の中から選ぼうとする、思考の時間があるわけです。そこにはインナーボイス(心の声)があって"こう言ったら失礼かも…生意気と思われるのでは?"と考えている時間が間=間合いなんです。
倉本さん その「間合い」をね、きちんと演じる役者、きちんと撮ってくれる演出家が、なかなかいないんです。だから、喋っている人を撮らないで欲しいと、何度か演出家に言っているんです。聴いている人を撮って欲しいと。僕は"聴いている人にドラマがあるんじゃないか"と思うんです。
倉本聰の脚本術とは…その②ひらがなとカタカナ
是枝さん
少し脚本のディテールの話に入ってもいいですか?倉本さんの脚本には、しばしば台詞にカタカナが登場します。『前略おふくろ様』のサブが、口にする『するンスか?』の、ンとスだけがカタカナになっています。
もちろん、統計をとったわけではありませんが、東芝日曜劇場『うちのホンカン』シリーズ(1975~81年・HBC)では八千草薫さんが口にするホラとかゴメンナサイという台詞は、だいたいカタカナです。スミマセン…細かすぎるかもしれませんが。
『風船があがる時』(1972年・HBC)のフランキー堺さん演じた五郎の台詞で『そうか、太宰かぁ』の、一つ目の"かぁ"は、ひらがな表記です。そして二つ目の『太宰かァ』はカタカナ。かなり意識的に書き分けていると思うのですが…?
倉本さん すげぇ、細かな質問ですね(笑)。ひらがなとカタカナとは、ニュアンスが違うんですね。物理的に言えば、カタカナは促音(そくおん)、跳ねる音。例えば"なんだ"の場合だと、んとンでは跳ね方が違う気がするんです、本当に感覚的なものですけれど…。
是枝さん カタカナで書かれた台詞は、陰と陽の陽…ある種の"軽やかさ"が出てくるのかなと、思ったんですが間違っていませんか?
倉本さん "軽やかさ"…だけではなくて、女の男らしさを出すときにカタカナ使う場合もあります。ひらがなとカタカナの使い方は、日本語では分類されていませんが、せっかくあるんだから、自分の中で、これを区別して使っちゃうおうか、といろいろと考えます。
倉本聰の脚本術とは…その③語尾に人間が現れる
是枝さん 倉本さん脚本のドラマを観て、改めて脚本を読むと、失礼ながら、ひらがなとカタカナの台詞の違いを"分っている人"と"分かっていない人"が結構、分かる気がします。最近では『風のガーデン』(2008年・フジテレビ)の緒形拳さんが、久しぶりに中井貴一さんと会うシーンのヨォは、芝居を見てカタカナだと思ったんですが…
倉本さん 『優しい時間』(2005年・フジテレビ)というドラマで、最後にオヤジが、久しぶりに息子と会うシーンがあって、脚本にはヨォと書いたんです。そうしたら役者はヤァと言ったんです。僕は、とても頭に来たんです。そのシーンでのヨォとヤァは相当違うんですよ、僕の中では。でも、演出家も語尾を変えることを許容しちゃった。ヨォとヤァは相当違うと思うんですが、是枝さんは、どう思われますか?
是枝さん 相当違うと思います…だから倉本さんは『風のガーデン』で、リベンジを果たしたんだなと思ったんです。"もう一度、ここでヨォを出してきたぞ!"と。
倉本さん このエピソードは知っていました!?
是枝さん 脚本に"ヨォ"と書いていたのに、実際には"ヤァ"と言われてしまった話は、倉本さんのエッセーに書かれていたので、読んでいました。なので『風のガーデン』を観ていて、父親が息子に会うシーンで、ヨォと言ったので、"おっ、今回は正しく言ったぞ!"と思いました。このしつこさが、脚本家には大事だと思いました(笑)。
倉本さん 台詞の語尾を変えられちゃうんですね。勝手に、語尾を自分の言葉にしてしまう。そうすると、キャラクターの性格が変わるんです。それで、あるドラマで"台詞を一語一句変えてくれるな!"と、つい言ったことが拡散され、不評を買ってしまって、もう困っているんです(笑)。
是枝さん (元HBC演出家の)長沼修さんの著書に『人を取材するときは語尾をメモしろ。そこに人間が現れる…と倉本さんに言われた』と書いてあったのが印象的でした。やはり、語尾に人間が現れますか?
倉本さん これは絶対、現れます。
対談は、このあとさらに深いドラマ作りの核心へ・・・。
お互いの作品に込められた家族への想いにつながっていきます。
90分以上にもわたった熱い対談は特典映像としてDVDに収録されています。