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コンコン、とノックの音がした。
夜の21時である。 監督生はリビングで明日のご飯の作り置きを作っていたので、スグに玄関へ走っていくことができた。 枯れ木さざめく11月、もう外は寒い。 風も強い。月はない。
「はあい」
無防備に玄関を開けた。 すると冷たい風がピュウッと笛みたいな音を出して室内に入り込む。玄関がそのまま冬の入り口みたいだった。風に気後れして一瞬目を閉じ、目を上げて見上げる。
「こんばんは」
ノックの主はフロイドであった。 小エビは彼を見上げて、「いらっしゃいませ」と頭を下げる。 こんな時間に何のご用事かなと思い…しかし彼女はニコニコ笑うその男を見て、「あ」と思った。違う、フロイドじゃない。何だか雰囲気が違う。じゃあジェイドかと思い直したが…。
「??」
その男はフロイドでもジェイドでもない。 しかし同時にジェイドにもフロイドにも見える、見知らぬ男だったのだ。 彼は「お邪魔しても良い?」と柔和に言う。 小エビは彼をぼんやり見上げたまま次第に納得した。
「どっちでしょうかゲームだ!」と。
どっちでしょうかゲームとは、その名の通りである。 フロイドとジェイドはよく互いに化けて周囲をからかうことがあった。 それ以外でも今回のようにフロイドでもジェイドでもない雰囲気を作って、どちらか全く予想がつかない男に化けることもある。 小エビはこれに覚えがあった。だって自分もよくこのゲームを仕掛けられるから。 因みに彼女はこれを5回やられて5回とも間違えており、連敗続きである。今度こそはと思っていた頃に良い具合、どちらでもない男がハットをかぶってやってきた。 好機である、汚名返上である。 彼女はゲームのルールが分かっているので、「遊びに来たのね」と思いつつ「どうぞ」と中に彼を案内した。
「ありがと、ユウちゃん」
???・リーチは人懐っこい顔をした。 メッシュの位置はフロイドと同じだが、髪が少し長い。話し方はクールだが柔和である。 目はキューッと釣り上がっていて、糸目に近かった。今回もクオリティが高い。 彼は案内されてソファに座り、「こんな夜にごめんね」と笑った。小エビは「いいえ」と言いつつ珈琲をいれた。紅茶は切らしていたから。 彼女も彼の前に座り、ニコニコして珈琲を飲む。
さて、この当てっこゲームのルールは以下の通りである。
・正体を見破るまでネタバラシはされない。 ・正解を教えてくれるのは後日、二人の気が向いた時。 ・気まぐれに起こるこれに正解するとお菓子を貰える。 ・会話や仕草を見て見破らなければならず、露骨な質問をしてはいけない。 ・正体を見破るためのものなら、質問はいくらでもして良い。
以上。 なので小エビは「どっち?」と露骨な質問をせず、頭を悩ませながら彼をジッと見た。
「今夜はどうされたんですか?」 「寝付けなくて、遊びに来たんだ」 「お仕事は」 「暫くないよ、休暇を取ってね」 「なにかご予定でも?」 「ないけど。体を休めたくなったんだ」
別人になりきっているようだ。 小エビは足をフラフラさせながら彼の手元を見た。彼は右手を使って珈琲を飲んでいる。 ということは右利き…ジェイドである可能性が高い。重心も右に寄っているし、骨盤の向きも右に偏っている人間特有な気がする。 しかしフェイクの可能性もあるので、まだ黙っておいた。
「あとは、雨が降りそうだから。雨宿りに」 「雨?」 「時期に降るよ。換気はしない方がいいかな」 「……」
彼が言った途端だった。 外からシトシト雨が降るような音に彼女はやっと気づき、「あ」と思う。 本当に雨が降った。お天気予報は晴れだったのに。人魚と獣人は天候に敏感だというが、本当らしい。天気予報はいつも人間のためだけにあると言うのは迷信ではなかった。
「どうして分かるんですか?」 「雨が嫌いだから。嫌な予感がする」 「直感ですか」 「かっこよく言うと」
話し方は上品だ。 やはりジェイドに近い気がする。 けれど声はどちらかというとフロイドに似ていた。今回も結構難しい。焦ってはいけないとは分かっていつつも、うまく予想が付かないことにちょっと困る。明確なヒントは必ずない。 そういえばラギーは必ずこれに正解してオヤツをもらっていたっけ。 コツを聞いておけばよかったなと思う。 だって正解して貰えるオヤツは本当に美味しそうなのだ。ジェイドの手作りらしく、見栄えもいい。
「えっと…ご趣味は?」 「お見合いみたいだね」 「分かんないから…」 「墓荒らし。棺桶の中って面白いものが結構入ってるんだよね。一番面白いのは手紙でね、親族の独白が入ってる。つまり、他人の胸の内も暴けるんだな」 「まともに答えて欲しいと思いました」 「まともに答えたら当てちゃうでしょ」
彼はクスクス笑った。 小エビはしかし、この誤魔化す言葉のセンスからフロイドに寄っているか、ジェイドに寄っているかを見極めることにする。語彙もかなり強いヒントになるのだ。 言い回しが洒落ていて尖っていればフロイド、スマートだが嫌な胸騒ぎがするのがジェイド。 これはNRCの国語の先生が言っていたことなので、信頼性が高い。小エビはよく暇な時職員室に行って先生とお話をするのである。 その時国語の先生はレポートやら感想文をさばきながら、眼鏡をしょっちゅう拭き直して言っていた。
「じゃあ、好きな女の人のタイプは?」 「騙されやすい子」 「……。好きな音楽は?」 「音が角ばってるヤツは好きだよ。滑らかなヤツは好きじゃない、バラードは全部嫌い」 「うーん…行ってみたい場所は?」 「ユウちゃんの隣。座ってもいい?」 「お…」
からかいにも来たようだ。 しかし今の口説き方はフロイドによく似ている気がした。瞬発力も近い。彼女は一瞬目を鋭くさせた。 フロイドはよくこうして一般公開で遊びに来た女の子をその気もないくせに口説くのだ。アズールに怒られるので最近は連発しないが、基本的に人をその気にさせたり機嫌を良くさせたり奈落の底に落としたりするのが物凄く得意なのである。
「、」
宣言通り、彼は隣に座った。 距離が近くなった。 小エビは目を細くして彼をジッと見つめ、たくさん考える。
「じゃあ、嫌いなことは?」 「見つかったり、バレたりすること」 「怖いことは?」 「ユウちゃんは?」 「?」 「ユウちゃんは何が怖いの」
金色の目がこちらを見ていた。 その横顔はジェイドに物凄くよく似ている。彼女はちょっと考えて、「暗いの」と呟いた。
「真っ暗が怖いんです」 「なんで?」 「理由はないんですけど…」 「そっか」 「ヒ!」
言った途端であった。 突然バツン!と音がして、オンボロ寮内のブレーカーが落ちた。ビカビカ電気をつけていたわけじゃないのに。 突然暗くなったもので、隣にいる彼の輪郭がフッと強くなり、それから闇に溶けていった。うっすら窓から明かりがある程度で、あとはほとんど何も見えない。
「お、あ」 「理由がないと怖いよね。言語化して整理しないと怖いものはずっと怖いよ」 「け、消した、んですか、今」 「だってオレ、ジッと見られるの怖いから。暗くすれば見えないだろ」
暗闇の中で彼が笑った。 そのからかい方はやはりジェイドにもフロイドにも見えるのである。小エビはビックリしたが、しかし取り乱すほどでもない。 いくら闇が怖いと言っても隣に人がいるから。ずっと一人で暗いところにいたら怖いと思うけど。
「どうして見られるのが嫌いなんですか」 「見つかるのが嫌いって言ったろ」 「見つかるのが嫌い」 「隠れて狩りをするから、本能じゃないかな」 「成る程…」 「暗くて落ち着く。怖い?」 「あまり」 「ならこうしてよう」
本心だろうか。 本心だとしたら、どちらのだろうか。 いやきっと違う。これは視覚情報から見破られるより、言葉で見破られる方が面白いと思ったのだろう。その思考はどこかジェイドに似ている気がした。
「質問は?」 「あ、えっと…。…飼いたい生き物は?」 「ヒューマン」 「…。……お気に入りの持ち物とか」 「メトロノーム。音が整頓されてて好き」 「結婚願望は」
ジェイドは今のところない。フロイドはある。 それを知っているからドキドキした。 彼はピアスをつけていない耳を掻いて、「ない」と言った。 彼女はドキ!として、ジェイドさんかもしれないと思う。
「どうしてですか」 「人生が自分のものだけじゃなくなるから」
…その回答は、フロイドに似ている。
「決めた女がいなくても娼婦がいるだろ」
益々フロイドの選ぶ言葉な気がした。 ここで彼女はまた迷う。彼の言葉が全て本心じゃないとしても、真実だとしても分からない。 でも絶対に当てたいからまだしがみついていたかった。
「でも恋人は欲しいよ。寂しいから」
コーヒーカップをコトン、と置く音。
「ユウちゃんは嫌いなものある?」 「え?」 「さっきオレに聞いたろ」 「んと…。…しおこんぶ」 「んはは。あそ」 「はい」 「オレじゃなくてよかった。暗くしてごめんね、怒ってない?」 「怒っ…怒ってません」 「そっか」 「はい」 「じゃ、聞くよ」 「あ、」
彼はふふ、と笑って、闇の中で彼女に向き合った。キッと軽いソファの軋む音、大きな体重がわずかに移動する音。
「だーーれだ」
言われた。 彼女はこれに物凄く困る。 少し喋ってみて、ますます分からなくなってしまったのだ。所作はジェイドに似ている。話す言葉はフロイドに似ている。どことなく不気味なのはジェイドに近く、どことなく危ういのはフロイドに…、と、堂々巡りであった。 だから彼女は観念して、
「わかりません」
とちいちゃな声で呟いた。 心の底から困った細い声である。 すると彼は、
「そっか。じゃ、また三日後ね」
と残念そうでも楽しそうでもある声で言って、立ち上がった。立ち上がったと思えば彼は消え、その瞬間にフッとオンボロ寮の明かりが戻る。
「…………」
明るい部屋で彼女は一人、またオヤツをもらえなかったな、と悲しく思った。
■
小エビはまたやって来た彼にくっ付いて、フンフン匂いを嗅いだ。 フロイドかジェイドか分からない存在は目をあっちこっちに向けて気まずそうと言うか、恥ずかしそうに匂いを嗅がれている。 彼女はラギーから見破り方を教わったのだ。 ラギーはいつも匂いで二人を見抜いているらしい。ジェイドは薬品の匂いや書類の香りと言った無機質な匂いがすることが多く、フロイドはお菓子の匂いや気まぐれにつける香水の香りがするらしい。
だから彼女は真剣に彼を嗅いでみた。 しかし以上に該当する香りはしない。 外の冷たい冬の匂いがするだけだ。やはり獣人の嗅覚には敵わなくて、わからなかった。
「…気が済んだ?」 「…はい」 「どっちか分かった?」 「分かりません…まだ」 「そっか、まだか」
呼び名がないのでX(エックス)と呼ぶ。 Xは恥ずかしさを誤魔化すように少し笑ってソファに座った。彼は甘いクリームが乗った珈琲を二つ買って来てくれて、彼女はそれをもらって一生懸命さましながら不服に思う。 匂いで見破る気だったのにダメだった、と悔しかったのだ。
「この前は凄い雨だったね。帰るのに苦労した」 「冷え込みましたね。傘はお持ちだったんですか?貸しましたのに…」 「ウン、心配しないで」 「?左様ですか」 「此処よりうんと寒いところから来たから平気だよ」 「でも、寒いことには寒いでしょう」 「あ、確かに。うん、そうだ」 「毛布をお持ちします」
小エビはすぐにブランケットを持ってきて、どうぞと彼に渡した。Xは照れ臭そうにしてそれを自分の膝にかけ、「ありがとう」と低い声で言う。 それはジェイドによく似ていた。
「…映画見てたの?」 「あ、はい。怖い映画をね、エースから借りたんです」 「エリアドの古い映画だね。ブラックなネタが多い」 「怖い映画は平気ですか」 「ゾンビとかお化けとか実際に居ないものは平気だよ。でもサイコはちょっと苦手だな」 「!」
これはフロイドと同じ意見だ。 フロイドは閉鎖的なサイコホラーが苦手なのである。ジェイドは秩序のない・突然始まって突然終わるリアルなホラーが苦手。 小エビはそれを知っているから、「お」と思った。これは結構なヒントだ。
「どうしてですか?」 「どうして?ゾッとするだろ」 「そうですね」 「だってサイコホラーは最後に犯人が捕まるから」 「…?それが良いんじゃないですか?安心しません?」 「いや、ゾッとする。オレはバレるのが一番嫌いなんだ」 「……」
この前、Xは「バレるのが嫌い」と確かに言っていた。一貫している。 その場で適当に考えた割には今回も持ち込んできた。考えられることは二つ、前回言った嘘を覚えていて今回も言ったのか、最初から嘘をついておらず、素で喋っていたのか。
「…えっと、なんとお呼びしたらいいでしょう」 「リーチで」 「リーチさん…。…リーチさんはつまり、犯人に共感して映画を観ているんですか?」 「それ以外にどうやって観るの?」 「成程…」
考えてみれば彼はヴィランだ。 被害者に共感せず、サイコホラーの犯人に共感するらしい。そもそもの視点が違うようだ。
「映画は何がお好みですか」 「写真家が監督の映画が好きだよ。全部のカットが綺麗で…そんなに詳しいわけじゃないけど。映画通じゃないから」 「何通ですか」
Xはそう言われて、フッと彼女を見た。 見てから、珈琲に視線を戻して黙る。今の質問には答えたくないのだろう。 当然だ。ジェイドなら「山」「きのこ」と答える。フロイドなら「靴」と答える。
「墓荒らしですか」 「墓荒らし?ああ、そんなこと言ったっけ」 「ふふ。やっぱり適当に答えていたんですね」
Xは今日もピアスをつけていない。 カリカリ耳のフチのあたりを掻いて、目を逸らす。
「あ、じゃあ洋服の趣味は?」 「オレ?うーん、シンプルなやつが好きかな。特徴がなくて、どこにでもあるやつ」 「お…」 「なに?面白い答えだった?」 「ちょっと」
ジェイドに近い。
「ユウちゃんはカラフルでかわいいね」 「ふふ」 「華があって綺麗。見る分には好きだよ。自分じゃうまく選べないけど」 「リーチさんの、素敵ですよ」 「よかった」
黒いニットを着ている。ジーンズを履いていて、シンプルなスニーカーを履いている。けれどスタイルが良いから抜群にかっこいい。ラフな格好もフォーマルな格好も。
「これ実は、ジェイドの服を勝手に持ってきたんだ」 「!」 「アイツ意外と、シンプルだけど良い服着てる。生地にこだわりがあるのかな」 「…ジェイドさんの服を?」 「ウン。あったかそうだったから、適当に。寝てたから簡単だったな…」
この言葉はどういう意味だろう。 ジェイドの服を取ったということはフロイドなのだろうか。それとも…。
「うーん…」 「あはは、悩んでる」 「むつかしくて…。…どっちなんだろ…」 「言わないよ」 「はい…」 「案外楽しいから。ユウちゃんとお話できて嬉しいな」 「…ヒントはもらえませんか?」 「ヒント?根を上げるのが早いね」 「ん……」 「触ってみたら?少しは分かるかもよ」 「失礼します」 「はやいねー」
小エビは言われてスグ、彼の手をキュッと握った。そしてもにもにコテコテ触り、渋い顔をする。ジェイドの手は豆だらけで乾燥しているのだ。登山のせいだろう、グローブ越しでも分かりやすい。 フロイドはゴツゴツしていて指の付け根の骨の辺りを怪我していることが多い。よく人を殴るから。けれど触ってみてもイマイチ分からなかった。マメは多少ある。手の甲に怪我もしていて、ますます分からなくなるのだ。
「だーーれだ」 「あっ」
ここで言われて、彼女は心の底から困ってしまった。まだ何もわかってないのに。 けど当てずっぽうで当てても嬉しくないから、二分の一の確率に頼らず。小エビは哀しげに目を伏せ、
「わかりません…」
と今日も呟く。 Xは楽しそうに笑った。 今夜も見破られないことを嬉しく思うのだろう。
「そっか。じゃ、また三日後ね」
■
「おわ。なになに。どしたのぉ」
小エビは廊下で通りすがったフロイドに「こんにちは」を言ってから、近寄ってふんふん匂いを嗅いだ。 フロイドはちょっとのけぞってから、「新しい遊び?」と無抵抗に笑う。手をポケットに突っ込んでリラックスしていた。
「失礼します」 「失礼されんの?」
彼の手を借りる。 小エビは物凄く真剣に彼の手をモニモニコテコテ触ってみて、首を傾げた。 やはりXの手に似ている。ちょっとマメがあってゴツゴツしているのだ。
「ジェイドさんこんにちは」 「おや、僕の番ですか」 「小エビちゃんあのね、勘違いされるからね。あんまやっちゃダメだよ」 「はい」 「わかってないねぇその顔ね」
小エビは次はジェイドの匂いをフンフン嗅ぎ、手をモニモニ触った。ジェイドはクスクス笑って「何か占ってくれるんですか?」と目尻を下げている。 触ってみて、確かめて見て…しかしどうしても彼女には分からない。同じな気もするし、違う気もした。ますます混乱するばかりである。 彼女は途方に暮れた顔をしてしょんぼり肩を落とした。
「なあに?なにしたいの?」 「どっちでしょうかゲームの攻略にならないかしらと思いまして…」 「ああ、その話」
フロイドはチラッとジェイドを見てから微笑み、「ヒューマンは匂いじゃわかんないよ」と優しく言った。 それに匂いもごまかしてるしね、と。
「感触では分かりにくいかと」 「頑張って小エビちゃん。お菓子欲しいだろ?」
言われて頷けば、2人はニコニコ去っていった。 大ヒントになると思ったのにダメだ。 小エビはふう、と悲しみのため息をつく。もう当てずっぽうでやっちゃおうかな。 でも理由を聞かれたらどうしよう。適当にこじつけてもきっと見抜かれる。そしたらおやつは貰えないかもしれない。 残念賞くらい貰えないかしら…とその方向で考えつつ、小エビは閃いた。 そうだ、しいたけご飯出しちゃお、と。
■
「作ったの?ンまいね」
しかしXは作ったしいたけのご飯を普通に食べた。皮膚が薄くて皮下脂肪がほとんどないので、沢山口に入れると頬がボコっとなる。 その状態で猫背になってもそもそも食べ、綺麗に完食。完食してから、彼は首を傾げた。
「今日なんでご飯作ってくれたの」 「んと、下心…」 「は、なに。下心って。なんかヤバイ薬でも入ってるの」 「いえ…」 「胃袋掴もうとしてる?」 「ううん…」
小エビはしいたけを顔色一つ変えず食べたXをジッと見て、ジェイドさんだ、と安直に思ってからやはりウーンと首を傾げる。 フロイドが心を無にして食べた可能性もあるから。二人の偽造はいつも完璧だ。彼らは互いに成り済ます時、嫌いなものを眉一つ動かさず食べることができるのである。 これも失敗だ。 もしかしたら「ウエッ!しいたけ。やめた、オレの負けでいいよ」とフロイドが本性を表すかなと思ったのに。
「…私、観察眼鋭くないんです。こんなに分からないものなんですね」 「そう?女の子ってよく人のこと見てるよ。…試すけど、この前オレがなに着てたか覚えてる?」 「え?あ、黒いニットを着ていました。ジーパンと」 「ほらね。オレユウちゃんがどんなの着てたか覚えてないよ。可愛かったのは覚えてるけど」 「ご飯お代わりしますか」 「おかわり欲しくて褒めてんじゃないって」
Xは箸を持ったまま笑った。 そして珈琲を飲み、「そろそろ雪の降る頃だね」と言う。
「ホリデーが始まる」 「実家にお帰りになりますか?」 「さぁ。まだ決めてない」 「前回の帰省は春頃でしたね」 「ウン」 「地元に好きな女の子いますか」 「お、刺すね」
彼は髪を耳にかけて、ちょっと笑う。
「気になってる子はいる。地元じゃないけどね。ちょっかいかけてるんだけどこれがなかなか…」 「どんな子?」 「うまく言えない。写真見る?」 「!はい」 「これ」
Xはニコニコしながらパッと携帯を出した。彼女はそれを覗き込んでみて、「お…?」と首を傾げた。彼はカメラのアプリを起動していたのだ。 彼女が覗き込んだ瞬間パシャ、と撮って、
「この子」
彼女に今撮れた写真を見せた。
「オレ惚れっぽいんだ」 「ご飯お代わりしますか?」 「そう、おかわりが欲しかった。アハハ」
Xは柔和に笑って目を伏せ、キッチンに早足で移動した彼女の背中をじっと見つめた。 それは意味深な目つきで、きっと何かを考えている顔だ。 小エビはご飯や汁物をよそいながらちょっと赤くなった顔を覚まし、ご飯を彼にあげる。 Xは「ありがと」と優しく言った。
「ご飯、上手だね。美味しい」 「リーチさんの方が上手でしょう」 「そう?そうかも…」 「…ね、好きな食べ物なんですか」 「んー、うん、これ好きだよ。また作って」
Xはオカズを箸で指していった。 小エビはうまく誤魔化されたなと思いつつ、頷く。3回目だがなかなか進展しない。 いくらジェイドらしい仕草をしても、フロイドらしい会話の仕方をしても、それさえ嘘なのではないかと思えるのだ。 確信がない、材料が少ない。 アズールならすぐに分かるだろうか。幼馴染にはバレるものなのだろうか。
「…フロイドさんかジェイドさんか、粘ってももう分からない気がします」 「おやつ欲しくないの?」 「欲しいです。でも手強くて…」 「オレは今が楽しいから良いけどね」
小エビはジッと考え、たくさんを考えてから。 解決策が全く見当たらないことに気が付いて、ふうとため息をつき…。 よし、ずるっこしちゃお、と思った。
「リーチさん」 「ん?」 「トイレに行ってきます」 「?うん」
小エビはそのままトトト…と手洗い場に向かい、ドアを閉めると。スマホを取り出していじり始めた。 おやつのために彼女はズルをすることに決めたのだ。バレたら怒られるかもしれないが、バレないかもしれないから。 だから小エビは一か八か、フロイドに電話をかけた。もしXがフロイドでないのであれば、彼は別の場所にいるはず。もしXがフロイドならば、談話室から着信音が鳴るはずだ。 小エビはドキドキ緊張しながら、エイとフロイドに電話をかけた。 るるる、るるる、と呼び出し音が鳴り、耳を済ませ…。
『ハァイ小エビちゃんどしたの。オレ今仕事中なんだけど』 「!あ、もしもし」 『なあに?急ぎの連絡?』 「いえ…あの、今モストロラウンジですか』 『そお。あ、待って。あとでかけ直して。マジで忙しいから』
会話はそれだけだった。 ブツッと一方的に通話は切られてしまう。が、フロイドの電話先からはガヤガヤ声が聞こえていて、食器がぶつかる音や調理をする音が響いていた。 彼は今、モストロラウンジで間違いない。
「…!」
小エビはこれに勝機を感じた。 つまり。彼はジェイドなのだ。 そう考えてみればそうだ、似通う部分が非常に多かった。彼女は得意になって立ち上がり、トイレを出てスグに談話室に戻った。 そしてニコニコ顔を引き締めて、何事もなかったように珈琲を淹れる。
「あ、オレ珈琲いいや」 「?左様ですか」 「ウン。寝付きが悪くて」 「飲み過ぎですか」 「そうかも…」
小エビはシメシメと思いつつジェイドを見た。 ルール違反をしたが、これでオヤツは彼女のものだ。リクエストしちゃおうかなと思いつつ、バレたらどうしようとも思いつつ。 彼女はソワソワしながら隣に座った。 ジェイドは水を飲みながら、そばに座る彼女を不思議そうに見つめる。
「なんかご機嫌だね」 「うふふ」 「良いことあった?」 「はい」 「なに?」 「分かったんです、リーチさんがどちらか」 「お、分かったの?」 「はい。ジェイドさんでしょう」
小エビは物凄く嬉しそうに言った。 指を咥えて見ていた美味しいオヤツをこれで食べられるわけなので。 Xはこれにパチ、と目を大きくし、それから目を半分くらいにして彼女を見た。小エビもまた彼を見ていた。
「違うよ。オレはジェイドじゃない」 「え」
彼は揶揄うように笑ったのだ。 小エビはこれにキョトンとしてから、しかし強気に首を振った。
「確証があります」 「どんな?」 「い、言えません。でも、証拠なら…」 「どんな?」 「…。電話すればわかります」
小エビはムッとして、スマホを取り出してコテコテいじり、ジェイドに電話をかけた。 こうすれば彼のスマホが鳴るはずだから。 呼び出し音が鳴り、小エビは強気にスマホを耳に当て続けた。しかし着信音は鳴らない。 マナーモードなのかしらと思い始めて困っていると、電話口から。
『はい、監督生さん。どうされました?』 「…え?」
ジェイドの掠れた声が聞こえた。 明らかに寝起きの声で、ゴソゴソ布が擦れる音が聞こえる。布団の中から電話をしているのがよく分かる音だ。 小エビは背筋を伸ばして、黙り込んでしまった。
『監督生さん?…間違えましたか?』 「………」 『あの。…?何かありましたか?もしかして、声を出せない状況ですか?』
ジェイドは何か察して、次第に素早い声で言った。しかし小エビはビックリしたまま動けない。Xも動かずに、膝に両肘をついて小エビをじっと見ている。 最深淵の沈黙である。 彼女は彼を見ながら、「あ」と思った。 そういえば、そういえば、彼にはピアス穴がない。 そういえば、彼はいつも「だーれだ」と聞く。 いつもなら「どーっちだ」と聞くのに。 そういえば変だ。どちらにも似ていてどちらにも似ていないはずだ。 だって、その、ほら。 どちらでもないから。
「だーーれだ」
Xが言った。 小エビは「あ、」と青ざめてから。
『逃げろ!!』
ジェイドの悲鳴のような怒鳴り声を聞いて、ペタ!と座り込んでしまった。 小エビはこの時やっと思い出したのである。 フロイドとジェイドが話した昔話だ。 2人は元々たくさん兄弟がいたらしい。海の生存競争で彼ら2人しか生き残れなかったらしい。 死因は様々だった。 猛魚に食われたもの、災害に巻き込まれたもの、絶望的な状況で取り残されたもの、そしてある日突然行方不明になって、帰ってこなかったもの。 生死は分からないが確実に死んでいるだろうとのことだ。群れを逸れたり、1人になればスグに死ぬような歳だったし、そんな厳しい場所だったから。
ジェイドとフロイドが稚魚の頃、最も恐れた兄弟が1人いた。 その男は独善的であり、共感性がまるで欠如しており、口が達者で、人に取り込むのが上手で、他の兄弟を蹴落とすのに長けていた。 フロイドもその男に陥れられて大怪我を負っている。 今はどうか知れないが、昔は反論さえできなかった。非常に賢い男であったし、親には可愛がられていたから。 恐ろしい男だった。残忍で狡猾で、いつも彼は他人の大事なものを横から奪っていく。 典型的なサイコパスですね、とジェイドが言っていた。 しかしその男は怪魚に襲われ、行方知らずになったらしい。小さな頃のことだ、大人だって殺されるようなソレと対峙して逃げ切れるはずもない。隠れんぼが得意だったけど、絶対に無理だと。 ヤツは死んだ、そう言っていた。
『マァもしかしたら、今もどこかで生きているかも知れませんけどね』
ジェイドは笑っていた。 小エビは突然そんなことを今更思い出して、「どうして今」と思う。 どうして今になって気が付いたんだろう。 どうしてそんな大事なことを、今。 思えばもう立てなくなり、黙って彼を見上げることしかできなかった。 ジェイドは電話越しに彼の声が聞こえたのか、何かまだ言っている。その声もうまく聞き取れなかった。
Xは…いや、彼の名前を彼女は覚えている。 ハイド・リーチ、兄弟を6人殺した男。 行方知らずの最悪だ。 小エビはハク、と口を開けて、それから。 彼の問いに答えようとした。 けれどスグにヒュッと息を吸い込んで止める。 だって彼は言っていた。「バレるのが大嫌い」だと。
「………」
だから、ひゅ、ひゅう、と息をしてから。
「わ、わかん、ない」
小さな声で言った。 震える声だった。 すると彼は首を傾けてから、ちょっと楽しそうに笑った。
「そっか。じゃ、〝また三日後〟ね」
立ち上がって、歩き、彼は玄関を出て行った。 小エビはそのまま浅く呼吸をして、ジッと黙り込んでいる。 彼は三日おきに必ず来る。 ということは、また三日後に彼女に会いに来るのだろう。
夜9時にまた、ノックが鳴るのだろう。
切
↑以上が読みたい話の冒頭です 続きはありません
ありがちな話
息抜きに落書きしました なんでも許せる人向け
監督生の名前は「ユウ」で固定してます
恋愛要素なし