わたしの宝物について

2020.7.3

f:id:onaji:20201213223716j:plain


嵐の夜に出会うなんて、いま考えればあまりに出来すぎたはじまりだった。

 

きみは突然わたしの家にやってきて、途端にわたしの心を虜にしてしまった。
まだ会ってすこしも経たないうちに。
弱くちいさな体は、けれどたしかに強くつよく生きる力をみなぎらせていた。
そうしてその日に、きみの住み処が決まったのだった。

 

きみは、いささかお転婆すぎた。
ちいさな体でどこにでも行きたがるし、何にでも手を出したがった。
そのわりに神経質でもあった
気に入らないことがあるとわたしをすぐに責め立てたし、要求にも遠慮がなかった。
そうして過ごすうちに、いつのまにかきみは丈夫な体に育っていった。

 

それに、きみはとても賢すぎた。
できないと思っていたことをやってのけるせいで、わたしはドアの取っ手を変えなければいけなくなったし、大事なものも隠しておかなければならなくなった。

 

きみは、とても器量良しでもあった。
ライムグリーンの両眼は、陽にあたると信じられないくらいにきらめいてみせたし、わたしにはこの世に二つとない宝石に思えた。
なめらかなからだは、触るたびにわたしをおだやかな気持ちにさせた。
すばらしい色合いの毛並みは、わたしを惚れ惚れとさせた。
のびやかな声には返事をせずにいられなかったし、わたしの声にも何度も返事をくれたのだった。


何年経ってもそれは変わらなかった。
変わらず、お転婆で、神経質で、とても賢く、うつくしかった。

 


そんなきみが、死んでしまうなんて。

 


今日は雨が降っている。
きみと出会った日を思い出す。
嵐とともにやって来て、静かな雨の日に去ってしまうなんて。

きみの神経質な声が恋しい。
不機嫌なときに見せる癖も、耳の裏にある特別にやわらかい毛も、わたしの邪魔をしてくる右手も、好物だけ平らげて残されたお皿も、顔や手をすぐに舐めてこようするところも、汚されたシーツも、何もかも。

 

出会ったときからわかっていたのだ。
きみが、わたしの宝物になってしまうことは。
いつか、別れを告げる日が来てしまうことは。

 

すべてすべてわかっていたのに、わたしにはなすすべがない。
わたしがなくした存在は、あまりにも大きい。

 


きみのいた17年は、わたしひとりでは抱えきれない。

 

 

2021.1.3

f:id:onaji:20210206000658j:image

 

すっかり日にちが経ってしまった。

まとめられないまま途中まで書き溜めていた月々の文章を一度に載せます。その2。

 


きみが遠くに行ってしまってから6ヶ月。

半年、という月日が現実味を帯びるのはいつ頃になるだろうと考える。

猫じゃらしが入っている小さなブーケを見つけて、迷わずこれに決めた。

さわるとふわふわで、すこしあの子のしっぽに似ていた。

 


きみは何か不満があるとき、デスク用のイスに掛けているクッションシートで爪研ぎをする癖があった。わたしはそれをされるのが嫌いだった。

気に入っていた色と形のものだったのに、右側だけ見事にボロボロで、細かな糸がいくつも飛び出てしまっている。

さすがにそろそろ買い替えよう、またボロボロにされてしまうだろうからストックに2枚くらい買っておこうかな。

新しく気に入りそうなものを探すのが面倒で、そのうちにと思っていた。そうして、もう二度と爪を研がれることはなくなった。


ボロボロのクッションシートは今もイスに掛けられている。

小さな爪でばりばりと音をたてながら、ひと声わたしに投げかける姿をまた見られたらどんなにいいだろう。


もう人間の勝手で「やめて」なんて言わないから、またきみのたくさんの癖を見せてほしい。

 


あの子の癖。


わたしの差し出した指を舐めて小さな前歯で甘噛みするくせ。

じゃれはじめると右手でパンチをくり出すくせ。

じゃらす手のひらを思うように捕まえられないと「アアウ」と怒るくせ。

同じところをずっと舐めてくるくせ。(ほんとうに止めるまで舐めてくるので摩擦で肌が赤くなる)

寝転がっている体をなでつづけていると脚でちょっかいを出すくせ。

交換しようとするシーツに飛び込むくせ。

洗い立ての洗濯物で巣をつくるくせ。

荷造り途中のスーツケースに入るくせ。

指で背中にそっとさわると、ゾワワと逆毛を立てるくせ。

毛づくろいのとき自分の肉球を噛むくせ。

不機嫌なときに「んるる」と喉を鳴らすくせ。

話しかけると返事をするくせ。

(おしゃべりのラリーは長く長くつづく)

おしりに汚れが残っていると床に擦り付けて取ろうとするくせ。

ドアノブに跳び乗ってドアを開けてしまうくせ。

猫トイレの角で用を足すくせ。

ぬいぐるみをくわえて持ってくるくせ。

ぬいぐるみを噛んで穴だらけにするくせ。

動くものにはなんでも身構えるくせ。

寝転がるわたしの上に乗っかろうとするくせ。

ベッドに自分のスペースがあいていないとじっと見つめてくるくせ。

わたしの脚の間に入って寝たがるくせ。

何か作業をしていて構ってもらえないと爪で引っかいてくるくせ。

さみしいときぬいぐるみをくわえながら長く鳴くくせ。

 

 

そういうことをひとつひとつ思い出しながら、きみは本当に素晴らしい猫だったなと、たまらなく寂しくなってしまう。

17年間、わたしと一緒に過ごしたなかで出来あがったあの子の癖のどれもが、いまのわたしには目には見えない宝物のように思える。

 

 

2020.12.3

f:id:onaji:20210205001601j:image

 

すっかり日にちが経ってしまった。

まとめられないまま途中まで書き溜めていた月々の文章を一度に載せます。

 


あの子がいなくなって5ヶ月。

ついに来月で半年になるのに、まだ時間の感覚がうまく掴めないままだ。

 


空気はすっかり冬を思い出したようで、冷気をたっぷりと含んでそこかしこで待ち構えている。

冬場のフローリングを歩いてきたきみの、冷たくなった肉球を思い出す。

「ひえひえだね」と言って、ひざの上に抱きかかえた前脚の先をやさしく揉みほぐすようにすると、気持ちよさそうにのどを鳴らす音。

何もないわたしにただひとつあった、日々の幸福の音。

 


叫び出したいような、泣き出したいような、何とも言えない気分のとき、よくベランダでシャボン玉を吹く。

愛煙家たちはおそらくこういう気分のときにタバコを吸いたくなるのだろうな、と思いながら虹色にひかる泡をいくつも作っていくのが好きだった。

ベランダに出る気配を察知して、きみもたいていわたしと一緒に外に出る。

わたしが吹いたふわふわと流れるたくさんの玉を見つめて、首をかしげるところがとても好きだった。

手を出そうとしては引っ込めて、逃げ出しては追いかける。そんな姿を見ているうちに、わたしのむしゃくしゃした気持ちはいつのまにか霧散してしまうのだった。


わたしの猫がいなくなったベランダで空中に浮かんでいる泡たちは、どこかさみしげに見える。

行く宛もなくあっさりと消える球体の姿が、すこし羨ましく思えた。

 


いまだにあの日から、きみの名前を言えないままでいる。

話の流れで言葉にする機会は何度もあったのに、わたしは意識的にも、無意識的にも、口にするのを避けた。

心のなかで唱えるだけでも勝手に涙が出てきてしまう。

記憶が薄れてしまわないように、きみは確かに存在していたのだと、たくさん語り継いでいくべきなのに、わたしはまだ心の奥底ではきみの死を受け入れられていないのだ。

名前を口に出して思い出を語ることは、決定的に"過去形"の響きを持ってしまう気がする。それすらも怖くて、そういうふうにしゃべる自分を想像するのも嫌なくらいだ。


たった二文字の、あまりに特別な響き。

 

 

丸まったいのちの大きさとぴったり同じだけのくぼみが出来上がることがもうないだなんて、嘘みたいだなと、きみの気に入りの毛布を自分のベッドに用意しながら思う。

 

 

2020.11.3

f:id:onaji:20201213233855j:plain


あの子がいなくなってから、4ヶ月が経った。

 

月命日の当日にお花を買ってくる予定が、弟が熱を出してしまい、検査結果が出るまでは外出ができなくなってしまったのだった。
結果は陰性で、翌々日しぶしぶ会社に行き、帰りにお花を買った。
いつもは選ばない、ピンク色でまとめられたブーケがなぜか気になった。バラではなくてカーネーションなのがよかった。あの子は"バラ"というかんじではないので。

 

「月命日なのにお花が買いに行けない」と落ち込むわたしに、母は「あの子はきっと許してくれるよ」と言った。
そのとおりで、これはすべて、わたしが自分のためにしている自己満足にほかならないのだ。
残されたものはただ、大切なものを忘れないように、変わらず大切であり続けるように、さまざまな"儀式"を用意して現実を生きていくしかない。
どうせ届かないのだとわかっていても、それは祈ることと同じだった。

 


寒さを感じるたびに、そばにあった体温の不在を思い出す。
ベッドで横になるわたしの体の横で、たっぷりの毛布に包まれて丸くなる姿。
たまに目を覚まして、あくびとすこしの伸びをして、わたしの腕にそっとあごを乗せてまた寝入るしぐさ。
秋と冬が幸福な季節だったのは、何よりもきみのおかげであったのに。

 


最近よく、最期の日とその前日を思い返す。

 

前日、ドラマの最終回を見届けてソファで余韻にひたっているわたしの膝にやってきて、なで続けてもなかなかどこうとしなかったこと。
満足すれば自分から膝を降りることが多いのに、あの日きみはそうしなかったこと。
もしあの時間に戻れるなら、わたしは一生きみを膝に乗せているのにと思う。本当に、思う。

 

当日、休みで昼前にのんびり起きたわたしは、部屋にきみがいないことに気付く。
一週間前、何度か小さな咳をしていたことと呼吸するときにお腹を膨らませていることが気になって、病院へ連れて行った。
去年切除した胸の腫瘍が後ろ脚に転移してしまったらしく、それをまた切除してようやく手術跡の毛が伸びはじめていた頃だった。
咳止めの薬を処方してもらい、食欲もあるようだし様子を見ましょうと言われていた。
やはり呼吸の癖は治らず、今日また病院に連れて行こうと思っていた。
気付けばその時期から、わたしのベッドではなく足元のラグマットの上で眠るようになっていた。

 

名前を呼びながら部屋を出ると、すぐそこのフローリングの床で横になって休んでいた。
「ここにいたの」と言うと、短く鳴いて返事をくれた。
しゃがんで手を伸ばすと立ち上がってのどを鳴らすきみに、わたしは顔と体をなでながら「あとで病院に行こうね」と言った。
わたしが階段を降りる前に振り向いて見た後ろ姿。それが最期だった。

 


去年の手術のあと、何事もなかったかのように元気に走り回っていたきみを見て、安心しきっていたのだ。
夏バテかな、毛玉がうまく吐けていないのかも、風邪かもしれない、すこし具合が悪いだけなのかな。
きっとまた元気になると、わたしは思ってしまっていた。

 

このまま衰弱してしまった最悪の場合も考えて、介護の方法を調べて気持ちの準備をしていたりもした。
それなのに、きみはわたしに弱りきった姿を見せることも体の世話を任せることもなく、死んでしまった。どんなに大変でもきちんと面倒を見ようと、そう思っていたのに。

 


寝ているあの子を気にせずに毛布をめくって起き上がることに、まだ慣れない。
起き上がる前のほんの0.5秒、寝ている場所を確認して起こさないように体を動かす癖。
もう何の役割も果たさなくなったそれは、きみがどれだけ同じベッドで寝ていたかを裏付ける、たしかな証でもあるのだった。

 

 

2020.10.3

f:id:onaji:20201213233819j:plain


あの子が旅立ってから3ヶ月が経った。
窓辺によって、咲きはじめた金木犀の香りに鼻先をむずむずさせる横顔を思い出す。

 

文章をまとめる気力がなくて、1週間も遅れてしまった。
毎年9月にすっかり弱りきるわたしに寄りそってくれる存在がいなくなってしまって、途方に暮れる思いで過ごしている。
いつのまにか秋になり、このままいつのまにか冬にもなるのだろう。
あの子がいないと、季節の移り変わりにこんなにも取り残されてしまう。
きみが寒がればそれは秋の始まりだったし、きみが暑がればそれは夏の始まりだった。
この17年間ずっとそうで、それはわたしにとって数少ない疑いようもなく信じられることのひとつでもあった。

 

こんなに肌寒いのに、せっかく出した羽毛布団に喜んでうもれるその姿を見ることはできないのだ。
ただただ寒いだけの季節に何の意味があるのだろう。

 

たましいの1/3を失った気持ちのなかで、ずっと見えない何かに手を伸ばしてうまくいかずに傷付く、繰り返し繰り返し。

 


きみのために買ってきた花を、サイズの合わない花瓶にいれたせいで早くに萎れさせてしまった。たぶん茎が傷付いてしまったのだと思う。
自分を許せなくて居ても立ってもいられずすぐに花瓶を買いに行き、いま窓際にはさまざまな大きさの花瓶が4つ並んでいる。

 

もう十分なはずなのに、素敵な花瓶がもっともっと欲しいと思う。
光を弾けさせるガラスの形や、つるりとなめらかな陶器の表面を見つめていると、すこしだけ慰められる。

 


そっちは寒くないといいな。
天国のストーブが、地上のそれより心地よく素早く空気を暖めてくれるものでありますように。
帰ってくるなり「部屋を暖めておくれ」ときみに急かされてばかりだったわたしは、心からそう願っている。

 

 

2020.9.3

f:id:onaji:20201213233744j:plain


あの子の2回目の月命日を迎えた。
寂しさは少しも質量を変えることなく、体のなかのそこかしこに根付いている。

 

あの子の動画や写真を見ていると、こんなに素晴らしいいきものと暮らしていたなんて、ほとんど奇跡みたいだったなと思う。
あの子は奇跡で、わたしにはもう、そういうたぐいの出会いが訪れることは、二度とない。

 

きみはそちらで元気にやっているだろうか。猫又として生まれる準備のまっただ中かもしれない。
人間は暑さにまいっているけれどどうにか生きています。それから、ほんの少しお刺身が苦手になってきてしまいました。
きみの大好きなご馳走だったから、贅沢者と怒られてしまいそうだ。

 


きみが家中どこにでもついてこようとするので、わたしには少しだけ隙間を残してドアを閉める癖がついている。
その気になれば自分で開けられるくせに、「開けておくれ」と鳴いて人間に開けさせるのが好きな猫だった。
いくつものドアの隙間を縫うようにしてわたしのあとをついてくる、きみの姿が好きだった。

 

わたしが通ったあと少しだけ開いたままのドアを、家族がバタンと閉じる音を聞くたびに、勝手に悲しくなってしまう。
それが正しいことだとわかっているのに、だからなのか、たまらなく苦しくなる。

 


きみがいない秋も冬も、わたしは知らない。季節の移り変わりが今からおそろしくてたまらない。
寒い夜のベッドにいとしいぬくもりがないことを想像しては、何かの間違いであってほしいと、いまだにそんなことばかりを願ってしまう。

 

最後に触れた毛並みの手ざわり、こちらを見つめる瞳、さまざまな宝石のような記憶のすべてが、わたしを置き去りにしたまま、だんだんと思い出になっていこうとしている。

 

 

2020.8.7

f:id:onaji:20201213231849j:plain

 

17歳の誕生日おめでとう。

17年前の9月に出会ったあの子は、病院の先生から生後約1ヶ月と言われたので、わたしが勝手にこの日を誕生日に決めたのだった。

 

今日はすばらしく夏晴れで、寝具を丸ごと洗った。枕や、クローゼットにしまう前の毛布なんかまで。
2時間も待たずに気持ちよく乾いたシーツをベッドにかぶせながら、整えてゆくわたしの手が邪魔されることはもう二度とないのだと思って、手をとめる。

 

きみは洗濯物が好きな猫だった。
洗い立てのシーツを抱えてベランダから部屋に戻ると、いつも待ち構えていたかのように丸裸のベッドに飛び乗って、急かすようにひとつ鳴く。
綿100%をなでる音をたてながら、ベッドを整えてゆくわたしの手を必死に追う姿は、おかしくて、声をあげて笑ってしまうほど愛おしかった。

 

f:id:onaji:20201213231939j:plain


ベッドマットとシーツの間に入り込んで、きみの形になったちいさな山脈。
そこから飛び出て、完成されたベッドの上に一番乗りで寝転がるのは、いつだってきみの役目だった。


わたしはきっと一生、シーツを洗うたびに思い出す。
洗い立ての布地にからむあの子の後ろ脚や、そこから覗く鼻先。いまにも眠りそうな瞳の動き。

 


あの子の毛があちこちについたままの夏用のブランケットにくるまって、すこしだけ昼寝をする。

 

 

 

2020.8.3

f:id:onaji:20201213233713j:plain


あの子がいなくなってから、1ヶ月が経った。
月命日なので、花束を買った。

 

3日前のようにも、3年前のようにも感じる。
ほんのついさっきまでそこにいて、足元からいつもどおりの澄まし顔を覗かせて出てくる気がする。
あの子のいない部屋にいると、無理やり引き伸ばして薄まった時間のなかに長いこと取り残されたような気分になる。
その両極端でめちゃくちゃになった時間感覚が、つねに音もなくのしかかってくる。そんな1ヶ月だった。

 
夏、きみはすこしでも涼しいところにいたがった。
エアコンの効いたわたしの部屋で、まるで隠れんぼをするみたいに眠るのが好きだった。ベッドの上、収納の引き出しの中、エアコンの真下の棚の上。
部屋に帰ってきたわたしの日課は、まずきみを見つけること。
いまだに、あの子の居場所を目線で探してしまう癖がなおらない。
どんなに探しても見つからなくてつらくなるだけなのに、一生なおらないでいてほしいとも思う。

 
あの子の眠る庭の片隅に、花を供える。
すぐそばの隣の敷地の木々で蝉がえんえんと鳴いている。
かましいと片目を開けて睨んでくる顔を思い出す。
静かに眠らせてあげられなくてごめん。夏の間だけ、どうか許してね。
しぶしぶというふうに不機嫌にしっぽをひとつ振る姿を、思い浮かべる。

 

きみのいない時間が、人生にすこしずつ増えてゆく。