17世紀の哲学者・スピノザを、21世紀の私たちが読むべき理由

『スピノザ—人間の自由の哲学』刊行記念
吉田 量彦 プロフィール

『エチカ』とゲーテ『親和力』の関係

話が飛ぶようですが(実は飛んでいないのですが)、本書が無事校了を迎えた直後、以前から気になっていたゲーテの小説『親和力』(1809)を通読しました。不思議な小説でした。

不思議といっても、いわゆるミステリ小説の類いではありません。ミステリではないことに甘えてネタばらしをしてしまうと、4人の男女が恋愛をこじらせた結果、うち2人が命を落とす、そういうお話です。ちなみに死因は2人とも(たぶん)餓死です。恋愛のもつれで餓死とか言われても意味が分からないかもしれませんが、本当にそういう筋書きなので、気になる方はご自分で手に取ってお確かめください。

ゲーテ(Photo by gettyimages)

なぜ「以前から気になっていた」のかというと、実はこの小説、ゲーテなりにかみ砕いた『エチカ』への、ゲーテなりの応答だったのではないかという研究があるからです。

4人の男女は、会話のせりふ回しも各自の内面の声も妙に分別臭いのに、決定的な場面であればあるほど筋の通らない感情まかせの行動に終始します。ちょうど特定の分子と分子が選択的親和性Wahlverwandtschaft(親和力)の働きで結合するように、彼らは当初の意図とは違う組同士でくっつき合ってしまい、どうしてもこれに抗えません(抗おうとする人もいることはいますが、抗い方がどうしようもなく中途半端です)。

そこはものごとの成り行きが最初の出会いですべて決まってしまう平板で奥行きのない世界であり、スピノザ風に表現するなら、「理性の知」による後付けの整理や組み換えが一切機能しない「想像の知」だけで動いていく世界なのです(Sandkaulen 2010, S.185-189)。

 

受け取り方は人次第

このような世界で繰り広げられる恋愛模様を、ゲーテはそれこそ実験結果を記録する化学者のように、観測対象から距離を置いた冷静な筆致で追いかけていきます。

もっとも恋愛方面では自分自身生涯やらかし続けた彼のことですから(『親和力』を書いた10数年後、70過ぎのゲーテは17歳の娘さんにプロポーズして周囲をドン引きさせます)、終盤の筆致は少しだけ変化し、ゆるやかに破滅していく恋人たちへのほのかな哀惜をにじませているようにも見えます。

本書でもちょっとだけ触れましたが(p. 298)、ゲーテはスピノザが、特に『エチカ』が大好きでした。

その『エチカ』の人間観はかなり両面的で、「ひとは理性の力で自由に生きられる」という啓蒙思想にもつながる楽観的なメッセージと、「いくら理性的な人でも感情のメカニズムにからめ取られてしまうことがある」という諦めムードの漂う悲観的なメッセージの両方をふくんでおり、どちらにどの程度軸足を置くかによって解釈の色合いが微妙に違ってきます。『親和力』でゲーテが拠り所としたのは、彼自身の元々の性格も手伝って、どうやら主に後者の側面だったようです。

わたし自身は、「理性を磨いて自由に生きよう」をモットーに静かで晴れやかな認識の世界を生きようとするのも、「いくら理性を磨いてもダメな時はダメなんだ」をモットーに色々と開き直って生きようとするのも、それぞれ違った形で風通しのいい生き方につながるのではないかと思っています。皆さんはどうでしょう。本書を足がかりに、一つご自分で『エチカ』に触れて確かめてみませんか。

参照文献
・Goethe, Johann Wolfgang von: Die Wahlverwandtschaften. Ein Roman. München (dtv), 1980. (Erstveröffentlichung 1809)
・ゲーテ(柴田翔訳)『親和力』講談社文芸文庫、1997年
・Sandkaulen, Birgit: „...überall nur eine Natur...“ Spinozas Ethik als Schlüssel zu Goethes Wahlverwandtschaften? In: Hühn, Helmut (Hrsg.): Goethes „Wahlverwandtschaften“. Werk und Forschung. Berlin/New York, 2010. S.177-192.
*ザントカウレンの上掲論文を教えてくださった田中光氏に、心より感謝申し上げます。

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