17世紀の哲学者・スピノザを、21世紀の私たちが読むべき理由

『スピノザ—人間の自由の哲学』刊行記念
吉田 量彦 プロフィール

裏の主著・『神学・政治論』

本書で論じた順序とそろえて、裏からいきましょう。『神学・政治論』が世に出てから350年以上の時が流れた現在でも、この世界にはスピノザのいう「哲学する自由」を認めようとしない人が大勢いて、しかも残念ながら結構な力をもっていたりします。こうした人たちは、一方では組織暴力という古臭い道具を最新のテクノロジーで更新(アップデート)しながら、他方では情報通信技術(IT)という新しい一望監視装置(パノプティコン)を巧みに利用しながら、自分たちとは異なる意見をその持ち主ごと消し去ろうと企てます。

スピノザ(Photo by gettyimages)

『神学・政治論』のスピノザは、西洋近代哲学史上他に類を見ないほど徹底した原理的な観点から、こうした企てが文字通りの愚行であり、不毛な結果しか生まないことを解明してくれました。

魚が泳ぐのを止めようとしても止められないように、ひとは自分の頭で考え、そして自分の考えを表明することを、止めようとしても止められません。この意味で、思想や言論を取り締まろうとする企ては、どんなに用意周到かつ巧妙にプレイしても絶対にクリアできないゲーム、いわゆる無理ゲーに似ています。

普通のゲームだったらプレイヤー一人が不幸になるだけですが、思想・言論統制という名の無理ゲーはそれでは収まりません。それはその社会に暮らす人すべてに不幸をまき散らした挙句、そうした社会体制の存立基盤そのものを掘り崩し、いずれはプレイヤーもろとも自滅に追い込んでしまうのです。

人類がこういう不毛な無理ゲーを今もなお懲りずに繰り返しているからこそ、わたしたちはスピノザの、350年前の著作に込められたシンプルで力強いメッセージに、改めて耳を傾けてみなければなりません。

 

表の主著・『エチカ』

さて、表の主著『エチカ』に移りましょう。自由なき世界で自由を求めるという、スピノザの哲学の基本構想は、ここでは少し異なるレベルで展開されます。自由意志が機能しない世界で、ひとはどうしたら、そしてどのような意味で「自由に」生きられるのか。スピノザはこの難問に寄り添って思索を重ね、やがて『エチカ』を生み出したのです。

『エチカ』に示された人間の自由へのロードマップは、これも要約するならごくシンプルです。人間を引きずり回すのは感情で、その感情のあり方を決めているのは感情に伴う考え(観念)ですから、考えが変われば感情のあり方も変わり、感情のあり方が変わればその人の生き方も変わるでしょう。

精神に浮かんでくる雑な考えを整理して、十全な考えに組み替えていく。これをひたすら繰り返すことで、ひとは受け身で動くあり方から自ら動くあり方へと、つまりとらわれた生き方から自由な生き方へと、少しずつ変わっていけるとスピノザは考えます。たとえそうした生き方に徹することが、実際問題として「滅多に見かけ(られ)ない」し「それほど難しい」ことなのだとしても、他に手はないのです。

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