愛を守るために、愛から離れる
わたしたちは、誰にどのような責務を負うのか、自らの手で選択する。法は単に、わたしたちが自ら選び取った責任や、他者や子どもに負っている責任を果たしているかどうかに、関心を持つ。このような法制度は、どうだろうか。
つまり、法は、わたしたちが愛し合っているかどうか、家族であるかどうかに、関心を持たなくなるのだ。単に、誰が相続の権利を持っているのか、誰に医療に関する権利が委ねられているのか、共同生活の中で築いた財産についてどのような合意がなされているのかに、関心を持つだけだ。子育ての制度は残るとしても、結婚制度は消滅する。
「あなたたちが愛し合っていようがいまいが、関係ない」
「あなたたちが互いを家族だと思っていようがいまいが、関係ない」
法がこのように言うとしたら、あなたは冷たく感じるだろうか?
こんな法は、愛や家族の尊さをまるでわかっていないと思うだろうか?
愛の法として結婚制度を再定義しようとする同性カップルたちや、こうした取り組みに賛成する人たちの中には、ひょっとすると、そう感じる人もいるかもしれない。
しかし、逆なのだ。
あらゆる愛と家族を大切に思うからこそ、法は愛と家族から離れればならない。
むしろ、人々が営む多様な関係のうち、特定の家族だけをとりだして特別扱いするような法こそ、家族を破壊してしまうだろう。実際、異性カップルだけを特別扱いする法制度は、同性カップルが築く家族を不当に引き裂いてきたのだ。法律に、「この家族はあの家族よりも大切だ」というような判断を、させてはいけない。
わたしたちは人生の中で、さまざまな誰かを、さまざまな意味で、愛すると思う。法律はそのすべてをありのままにさせるべきだ。同性婚をめぐる論争は、そうした法のありかたを探っていくきっかけであってほしい。
さて、改めて、あなたにきこう。
あなたの “家族” は誰ですか?
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本研究はJSPS科研費21K20098、21K01289の助成を受けたものです。ここに記し感謝いたします。