ただ、これらの問題を解決するうえでも、「家族」というものに法が頼る必要はない。
外国籍の人の入国・滞在は、その人が個人の人権としてもっている国際的な移動の自由を尊重するような法制度によって、対応できるだろう。全ての人々が国際的な移動の自由を持っている。国家にはそれを制約する正当な理由があるかどうかが問われる。つまり、国境を越えようとしている本人と、国家との二者関係で考えればいいのだ。
病院についても同様だ。入院患者との面会資格や、万が一のときに患者の代理で医療に関する決定をする資格についても、患者の「家族」関係を尊重するというアプローチで対処する必要はない。そうではなく、患者個人が自分にとって適切だと思う形で医療を受ける権利を尊重することで、対応できるだろう。患者本人が「自分の医療についてはこの人に委ねたい」としているのなら、二人がどんな関係であろうと、病院はそれを尊重しなければならない。例えば健康保険証に、自分の医療について権利を持つ人の名前や連絡先を各自が書いておくというのは、どうだろうか。
子どもの養育についても、成人たちの選択・合意だけでは解決できない問題だろう。これについては、子育てに関する法制度を設けることによって対応できる。子育てする成人と、その子どもとの関係を律する法律があればいいのだ。さっき述べた通り、子どもを産み/育てるために、結婚している必要はない。例えばひとり親たちも、きちんと子どもを産み/育ててきた。結婚ではなく、あらゆる子育てを平等に包摂する法制度があればいいのだ。
法は、養育者が子育てにまつわる責任をきちんと果たせるよう支援をしたり、きちんと果たしているかを監督したりすればいい(養育の法に関する現時点での筆者の見解は、『法と哲学』7号の論文「誰が養育者となるべきか?:親子法の再編に向けて」を参照してほしい)。