愛のために「結婚制度」はもう廃止したほうがいい、法哲学者の私がそう考える理由
法と家族について真剣に考えるためにあなたの “家族” は誰ですか?
「あなたの家族は誰ですか?」
この質問に、あなたはどう答えるだろう。
結婚している人なら、妻や夫を家族として挙げるだろう。子どもがいる人なら、娘や息子も挙げるだろう。母親や父親を挙げる人もいる。兄弟姉妹を挙げる人もいる。孫や祖父母を挙げる人もいるはずだ。「あなたの家族は誰ですか」と問われれば、多くの人は、こんな風に答えるのではないか。つまり、法律上の家族をリストアップしていくのだ。
これに対して、法的には家族ではないとされる人を、自分の家族として挙げる場合もある。大切な恋人。長年、互いを支え合ってきた大親友。ルームシェアをしている友人。こうした人たちを、自分の家族として表現する人はいるに違いない。イヌやネコのような動物を世話し、交流している人は、動物を自分の家族として考えているだろう。しかし、現在日本にある法律は、それらの存在を、あなたの家族としては認めない。
「あなたの家族は誰ですか」――この問いへの答え方は、人によってさまざまだ。「私の家族はこの人です」の〈この人〉は、法律上の家族である場合もあれば、そうでない場合もある。例えば、「いくら法律上の親であっても、わたしはこの人を親とは認めない」と考える人もいるだろう。あるいは、「法的には結婚していないが、しかしこの人は、わたしの家族です」ということもある。
ただ、わたしが誰と家族でいたいと考えていようとも、法律は時に、わたしの気持ちとは無関係に、わたしの家族が誰なのかを強制的に決定する。「あなたがどう思おうが、その人はあなたの親である」と、法律は決定する。あるいは、「いくらあなたたちが結婚したいと考えていようとも、法はあなたたちの結婚は認めない」ということもある。
どうして、そのような公権力行使が許されるのだろう。本人たちが「わたしたちは家族です」「わたしたちは家族ではありません」と言っているなら、それでいいのではないだろうか。なぜ時に法律は文句をつけるのだろう。なぜ法は、「この人はあなたの家族である」「この人はあなたの家族ではない」という風に、誰が誰の家族なのかを強制的に決定するのだろうか。
この記事が向き合うのは、家族と法をめぐるこうした問いである。次の節で、この問いをもっと深めていくために、具体例を取り上げながら話していこう。