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「愛すること、愛されること」

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毎日、訪れる方の人生の奥深いところに触れ感動します。それぞれに天与された「何か」を活かしながら生きられるようになるまで、実に様々な試練を乗り越えていらっしゃいます。
魂の欲求に正しく耳を傾けず、行動に移すことを恐れていると、慢性化された日常の中で感覚は麻痺し鈍くなってゆきます。
しかし、神のわけ御霊である魂はそんな状態を放置してくれません。目を覚ますために巧妙な演出で導いてくれます。


ある女性は、既婚者であるにも関わらず、他の男性を深く愛してしまいました。天と地がひっくり返るほどのそれまでに経験したことのないような恋愛です。彼女は罪の意識で苦しくて、どうにもならない状況の中、セッションにいらっしゃいました。


外へ外へと意識が向くのは、実はインナーチャイルドの淋しさの暴走とも言えます。そこをしっかりと癒しておくことで、冷静な対応ができるようになります。


欲しい物は形ではなく、愛すること、愛されることなのです。


それは魂の欲求に忠実に生きた時はじめて感じられる神(愛)への献身であり、真から満たされる道はそこに尽きると思うのです。

 

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「すべては愛でできている」

先日、前世療法プロコースを受講して下さったMちゃんが、ランチタイムのインド料理屋さんで、カレーを食べながらふとこんな質問を投げかけてきた。彼女はインドヨーガに傾倒し自己探求を行っている。そして過去に、沈黙の聖者と呼ばれるラマナ・マハリシのアシュラムへも行ったことのある方だ。これまでの道のりが私に似ているので、その質問の意味がよく分かる。 

Mちゃん「全てが幻想であるとすると、前世もそうですよね?」

わたし 「そうだね、すべてはマーヤだよね」

 

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けれど、インドヨーガの修行で自己探求を行っているとはまりがちな傾向として、マーヤ(幻想)は悟りの道を惑わすものであって、ややもすると敵視し、肉体を持ち生かされているこの現実を放棄し、社会を傍観し、関わりを絶ってしまう。

 

すべてこの目に見えるマーヤも、神=愛そのものである。

私たちの本質もまた普遍的な愛そのものである。

神はマーヤを使って、私たちを自己の本質へと導く。

神の愛から生まれ、また神の愛へと帰還する存在である。

マーヤがなければ、私たちは肉体を持ち経験し、魂を成長させることはできない。

インドヨーガはその手段を教えてくれるものにすぎず、手段はあくまでも手段であって、実践の場ではない。マーヤの中にこそ実践がある。

 

 

起こる出来事は、魂がより普遍的な本質へと近づくために、自らが望み、引き寄せたものである。表層的な顕在意識だけで生きていると、その出来事の深奥に隠れた神・大いなる自己の意図を見抜くことはできない。

 

そこでヒプノセラピーは、自己の潜在意識・神意識とのコミュニケーションを図る大きな手段となる。

 

否定したくなるほどの苦しい現実(出来事・人間関係・状況・環境)の中に、光を見いだせる手段としてヒプノはある。

 

現実から逃れようとしても、その出来事からの学びを終えなければ、魂が自ら磁石のように再び引き寄せる。そして苦しみはつきまとう。

 

神の意図を見極めること。

そこにそれぞれが与えられたテーマ・魂の成長のための課題が隠されている。

どんどんエゴを手放し、無償の神の愛へと近づいていくこと。

神の意図以上の物を求めず、与えられている物に感謝すること。

感情と心は幻想を呼び覚ます。

学び終えた時、すべては消え、そこに愛と感謝のみが残る。

 

エゴを手放し、個人意識を超え、神との約束を果たすこと。

魂の献身的な社会とのかかわりに専念しながら、私たちは互いに愛し、信頼し誠実であること。

癒しが欲しければ、神の源に鎮座して、その愛の泉から無限のエネルギーを受け取ること。
外界は神の化身ではあるが、変幻する物である。形に心奪われてはならない。
内にある神・普遍的な愛にのみ意識を合わせること。


 

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「母の愛と薔薇の花」
薔薇の指輪2011.5.1.jpg一昨日、突然夕食後に、「薔薇の花を作りなさい(羊毛)」というメッセージが降りてきて...。こういう突飛なメッセージを受け取った時というのは、いつも訳もわからず、無心に作り出すのです。

あっという間に作り上げた薔薇の指輪。

いつも作り上げた後に、そのメッセージの意味が現実に起こるのです。

薔薇の花は、聖なる母性愛を象徴します。

昨日、国際テロ組織アルカイダの指導者であるビンラディンが殺害されました。9・11の犠牲になった魂のご遺族の方々にとってみれば、様々なお気持ちが交差しながらも、復讐心に一つ終止符がうつことができたのかもしれません。しかし、アメリカ国民が、「USA!USA!」と叫びながら歓喜する姿に、違和感を感じた人は少なくないはずです。

我が次男坊(中2)は、TVに映るその姿を見て、「マミーはどう思う?マミーはどう思う?」と少し不安げに質問してきました。それが無差別殺人に手を染めた容疑者であったとしても、人の命です。喜ぶことなどできません。

たしか、9・11の後、ビンラディンの育ての母親がアメリカのTVにコメントを出していました。あの子があのような行動をとるにいたってしまった心に胸が痛みます、というようなことを。 罪を憎んだとしても、そこに子の苦しみを思う母の計り知れない愛を感じ、私は涙しました。

歪んだ思想の根底には何が潜んでいるのか?復習という憎しみの対処法では問題を根絶することはできません。

 10年前9・11の前の晩、「神棚を作れ!!」という内なる神からのメッセージで、神棚を作った後に置いた花が、真っ赤な薔薇でした。不気味なほど美しく、何かを訴えかけていました。そしてその意味が翌朝理解できました。善と悪、光と影、天使と悪魔、そのような二元的な思考では、カルマに翻弄されるばかりです。真の愛、真実の愛こそが、平和を創造します。そこに目を向けなければ、怒りと復習の連鎖は続いてしまうことでしょう。

今こそ、真の愛を、勇気を持って示す時ではないでしょうか。

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「ZEROの存在」

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私はいつも湯船につかりながらセルフヒプノを行う。大震災が起きて様々な不安に駆られた晩、私はいつものように湯船につかりながら、大いなる存在に"真からの救い"を熱く求めた。

「救いたまへ」

すると観音様のような聖母愛に満ちた存在から、溢れんばかりのエネルギー(言霊)が飛んできた。 

「すべてはZEROに戻ったのです(日本もあなたも)。そこから何を描きますか?」

 

この言葉を聞いて、私はふと、20年前に一人で上海を旅した時に撮った一枚の写真を思い出した。上海市内にある大きな公園の一角に、常設なのか特設なのか分からない見るからに粗末な動物のサーカス小屋があった。そこでは私の体重の3倍以上はあるであろう大きな虎が数匹とヤギが数匹、体当たりすればすぐに穴が開きそうな檻の中で、芸をして通りすがりの観客を楽しませていた。

綱渡りするヤギ。火の輪をくぐる虎。虎の背中にまたがるヤギ。これはヒヤヒヤもんである。中国ならではのスリリングな発想に、恐いもの見たさの客が目の色を変えて喜ぶ。ヤギに感情移入してしまう私は見ていられず、とぼとぼ背を向けて歩き出した。するとすぐ脇に、動物たちを入れておく鉄の柵を見つけた。

ほとんどの動物はショーのために出払っている中で、たった一匹のヤギが残っていた。今日は出番がないのだろうか?毛並みを見ると、ほかのヤギより艶やかである。ひょっとしたらまだ子ヤギなのかもしれない。この子もそのうち、虎にまたがる芸をやらされるのかもしれない。無表情の目からは悲しみすら消してしまったかのように見えた。

ところが、よーく見ると、鉄の柵には鍵がかかっていなかった。そして扉さえ開いていた。

「あれ?どうして逃げないの...」

子ヤギは外へ出よいうとしなかった。

鍵がかかってしまっていると思いこんでいるから?もう逃げられないと思い込んでいるから?

子ヤギは自分の信じた通りに、自分自身を柵の中に閉じ込めてしまっているようであった。

私はその時、またこの子ヤギと自分を重ね合わせて見ていた。 積み重ねられた習慣の中で、与えられた宿命と思い込んでいる環境の中で、自由を見失い、自分に自由を与えることを忘れてしまっているのかもしれない、と。

私たちは本当は常に自由なのかもしれない。そして常にZERO時点にいるべきなのかもしれない。それが本当にあるべき姿なのかもしれない。

  「すべてはZEROに戻ったのです。そこから何を描きますか?」

観音様にまっさらなキャンパスを渡されて、どう何を描いていいのか?筆を下すことにものすごく戸惑いを感じている自分がいた。それはまるで、「自分の好きな絵を描いていいんだよ~」と大人に言われて、何を描いていいのか分からなくなっている子どものような心境だった。

 

もし今、あなたが、「あなたの過去は全部清算しました。まっさらなキャンパスにあなたの思うがままの人生を描いていいんですよ」と言われたら、あなたはどんな人生を描きますか?

ZEROからの出発。

ひょっとしたら私たちは、過去からの歪みで自ら制限を与え、自由な創造を諦めてしまっていたのかもしれない。

私たちは、過去も、これからも、実は永遠にZEROの存在なのだ。 

ZEROで在ることを許し、自ら許可を与え、私たちはこれからどんな未来を思い描いていくのだろう?

 

 
 
 

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「REBIRTH」

 

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    東北地方太平洋沖地震により被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

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1995年1月17日起きた阪神淡路大震災の朝、私は東京の自宅マンションの鉄の玄関扉で指を挟み、その激痛の中意識が朦朧としているところに、観音様からのメッセージが胸の内に響き渡りました。

「自分の痛みとして感じなさい。今起こっていることは、あなたの内で起こっていることなのです」

すべては一つに繋がっている。

そして目に見える世界はすべて自分自身であることを、その時学びました。

 

東北関東大震災で被害に遭われた皆様のもとへ、敏速に必要な物資が届けられますように。寒さをしのぎ、温かな食糧でお腹を満たすことができますように。一日も早く温かなお風呂につかることができますように。

 

地震当日、私は午後の個人セッション中でした。そのセッションの中で、大きなメッセージをシンクロの中に示して下さいました。

退行療法の途中、Mさんが幼少の頃から長年溜め込んでいた心の傷、解放の核心に触れた瞬間に、激しく揺れました。

すぐに目を覚まし屋外へ避難し、揺れがおさまってからセッションルームに戻り、また退行し、再び核心に触れた瞬間に激しく揺れました。これが3度続いたのです。見事にタイミングが一致しました。

このシンクロから私が感じ取ったことは、

「内に存在する真の愛(神聖)が開かれる時」

ということでした。

日本でその扉が開かれ、世界中が真の愛を思い出すための地震(試練)なのかもしれません。

たった一人の命でも、昇天する時、周囲の人間にとてつもない浄化をもたらしてくれます。

今回の地震で、かなりの人が神様のもとへお帰りになっています。その深い悲しみと同じだけの浄化と祝福が、この地上に降りていると感じます。

いま、自己の内へ向かうと、計り知れない光を感じます。

目に見える光景は、胸をえぐられるほどの悲惨なものであったとしても、そこに在る大いなる意図を感じると、恐怖や不安に心を奪われぐらついていることは、けっしてプラスにははならない。

愛と光に鎮座して、被災地被災者を包み込むイメージこそが力になると思います。

 

日本が、世界がリバースするために、尊い御役目を果たし、天へと召された方々が、至福の光に包まれ、安らかでありますように。

 

 

 

 
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「真の愛はあなたの内に」

 

0534.JPGのサムネール画像 あなたが本当に求めているものは何ですか?

私は、、、平和、静寂、穏やかさ、おおらかさ、たおやかさ、信頼、真の愛。書き出してみると、このすべてが既に自分の内に存在することに気がづきます。

せわしない日常という外界に埋もれてしまうと、人はつい内省する時間を忘れてしまい、大いなる存在との繋がりを見失った寂しさから、"本当は何が欲しいか"など聞く耳を持たずに、枯渇した心は更に外へ外へと愛という名の刺激を求めて走り出します。すべて意識できていない無意識のうちに起こることです。訓練できていない暴れ馬のように、五感に突き動かされて暴走します。その手綱を引き、制御できるのは自分自身でしかありません。

しかし内省だけでは人生は運ばれません。静かに座って瞑想していただけでは役割を果たしながら生きることはできません。吸って吐いて、生まれてから死ぬまでの間一定のリズムで繰り返す呼吸と同じように、外界と内界を交互に行ったり来たりしながら、私たちは生きる必要があるのでしょうね。

外界には人それぞれ与えられた環境があり、その関係性の中で、気付き学びまた成長していけます。たたそこで、「外界が自分を満たしてくれる」という誤解に目を覚まさなければ、いずれ苦しみに発展していくわけです。

自分を真から満たしてくれるものは内に存在します。愛の源は関係性の中にあるのではなく、自己の内に存在します。それを知り、常にそれを自己の中心に置く訓練が瞑想です。真の愛で満たされた個々の人間同士は、健全な関係を築いていけるはずです。真の愛は、関係性の愛の中に求める要求や期待や独占的なものを溶かして無くしてくれます。

たまには本当に欲していることに、耳を傾けてみてはいかがですか?

あなたが必死になって、頑張って頑張って追い求めていたものが、既に内に在ることに気付くことができれば、真の自由を味わえるはずです。

 

 

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「愛の泉」

人はこの地上に生まれた瞬間、それまで臍の緒で繋がっていた母親から切り離されます。それは宇宙という大いなる母体、源から切り離された感覚かもしれません。

幼少時に肉体の母親から無条件に十分に愛された記憶を持つ人、そのありのままの存在を認めてもらえていた人は幸いです。愛された記憶は安心感と自尊心を養うことができるので、大人になってから人と自分を比べて競争したり、誰かに認めてもらわないと存在価値をみいだせない空洞を抱えることはありません。そして依存という呪縛にはまり込むことも少ないでしょう。

心の内に持っている空洞。それがエゴの発信地です。淋しさと悲しみを満たすために、人は自分を満たしてくれるものを外界へと必死に追い求めることになります。ではその空洞を外界に求めることなく、自分自身で満たしていくにはどうしたらいいでしょうか。

原初に戻っていくこと。切り離されたと思っている目には見えない源へ意識を合わせることで、尽きることのない泉から愛を受け取ることができるのです。瞑想が必要なわけはそこにあります。けっして切り離されたわけではなく、生まれた時に忘れてしまっただけ。目を閉じて、内なる源に意識を合わせ、そこから無償の愛を、尽きることのない愛を受け取ってください。エゴを無くしたければ、源に意識を合わせるしかないのですから。

raphael.jpgのサムネール画像 

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「星の導き」

knt.jpg親友のミクシーに素敵な書き込みがあった。私の敬愛するジッドゥ・クリシュナムルティ の言葉だ。

「悲嘆を理解し、乗り越えていくには、内部で起こっていることを覆い隠したりせず、しっかりと見届けなくてはなりません。 あなたがはっきりとそのすべてをごらんになれば、 何ら傷つくことなく、また世間的な事柄に流されることもなく たちどころにそうしたものから抜け出ることができるでしょう。
平和に生きるとはどういうことなのかを知るのは、愛する能力を持つ精神だけなのです。愛とは、完全な自己放棄をもって木や星や光り輝く川の水を見る心だけであり、そのあるがままの姿を見るとき、我々の心には愛が生まれるのです。 」

なんて美しいのでしょう!!

ただ、それを見つめる目。

一切の執着を離れ、あるがままを神に明け渡し、私はただ愛していたい。

 

0531.JPGこの友人のミクシーをのぞく前に、私はインドの聖者ババジよりこう告げられていました。「マーヤはお前を正しき道へと導くためにある、洞察を続けなさい」このシンクロにびっくり。

マーヤにやられないように(幻想に振り回されない)瞑想をして軸である愛に留まることも大切ですが、マーヤは敵ではなく、内部でおこっていることを覆い隠すことなく、しっかりと見届ける。その霊眼による洞察によって、はじめは心をえぐられながらも、すべてをしっかりと見つめる勇気を持ったなら、その執着から抜け出ることができる。そして再び愛に戻っていくことができる。 

いま、水星が逆行しているので、きっと皆さんの周りでも、コミュニケーションが上手く運ばないことが多いと思います。この時期は新しいプロジェクトや決めごとは避け、内観することをお勧めします。この逆行は4月18日~5月11日までです。いろんな膿が出る時でもあります。しかしそれに目をそむけず、心して洞察して手放していってください。すべてのマーヤは、あなたがさらに進化していくためにあるのですから。

 

上のクリシュナムルティの写真、どことなく私の亡き父に似ている。 昔「夢二」という映画で、沢田研二さんと共演させていただいた時、制作発表の記者会見で初めてご本人にお会いした時、「パパそっくり!」と思ったものでした。

 

 

 

 



 

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「インナードクターは女神さま」
 

0019.JPG4年前乳がんの手術後ホルモン治療を受け、その副作用の強さに10カ月で中止しました。副作用の中で最も私を苦しめたのは全身の痒みでした。その後治療をやめてからは回復したものの、今でも時々お風呂に入っている時など、激しい痒みに襲われます。いろんな要因が考えられますが、中でも私の場合、例えばバターや砂糖、卵をふんだんに使った甘い洋菓子や、刺激の強い珈琲などを摂った時などは、明らかに影響が出ます。または着るものの繊維によっても痒みは起こります。ところが考えられる物理的な原因を生活から遠ざけている時でも、痒みに襲われることがあるのです。1月にもそんなことがありました。

 私は催眠を用いた出産方法のリラクセーションCDを作るために、連日ナレーション原稿を書く作業に追われ、出来上がってすぐに長野へ行きレコーディングをしなければなりませんでした。とても遣り甲斐のある仕事ではありましたが、その分様々なプレッシャーもありました。
 長野へレコーディングへ向かう前日、湯船につかるなり激しい痒みに襲われたのです。私は耐えきれず自己催眠に入り、イメージの中で私のインナードクターである女神様に会いに行きました。私のインナードクターは白いベールをかぶり、雄大な自然が見下ろせる白い大理石で出来ている宮殿の居間で、私を待っててくれました。

 

 大理石でできた宮殿の階段を20段登りきったところで、私のインナードクターである女神様は立っておられました。私はとにかく、気がおかしくなるほどのこの痒みを止めてもらいたい!という気持ちで、すぐにこう訴えました。
「女神様、この痒みを何とかしてください!どうか止めてください!」
けれど私はこの言葉を口にしてすぐに、自分の訴え方が正しいものではないということに気付きました。「何とかしてください、止めてください」と言う代わりに、「何故このような強い痒みがあるのか、その理由を教えてください」と。
痒みを作ったのが自分なら、それを改善する責任も自分にあるはずだからです。肉体は神様から与えられた大切な魂の乗り物です。肉体があってこそ、私たちはこの世で体験し、学び、愛を実現していくことが出来るわけですから。そして私は質問を続けました。
「何かストレスの要因があるのでしょうか?それを正しく気付かせてください」
そして女神様はとても美しく静かな口調で、こう仰いました。
「あなたは今の仕事のなかで心配や不安を抱きすぎています。心配を手放しなさい。恐れを手放しなさい。考えるのをやめなさい。思考が今のストレスを作り出しているのです。自分を明け渡しなさい。あなたはするべきことを時間までに最善を尽くしながら、あとは委ねなさい。自分を明け渡しなさい。あなたは自分の思考が仕事を成すと思っているかもしれません。そうではありません。それをどけなさい。」

 

 インナードクターである女神様から「明け渡しなさい」という言葉を受け取る以前から、私はすでに"自分が事を動かし成すのではなく、自分は御心の媒介となり通路となって働くだけだ"ということは理解していたつもりでした。しかしそれを理解しながらも、やはり働くのは自分の肉体であるわけですから、ついつい過去のメモリーに揺さぶられて、「自分にそれが出来るのだろうか、上手くやれるのだろうか」などと、色々取り越し苦労をしてしまう癖を持っていたのです。インナーチャイルドの不安感は、思考の癖となって幾度となく蘇ってきますが、その都度安心させてあげる必要があるのでしょうね。


 そして女神様はこう続けられました。
「あなたが自分を明け渡した時、私はあなたの声を通してそこに現れるだろう。私がそこに在ることを信じなさい」
 そして女神様は私の背後にまわり、ブルーのクリアーなジェルを痒みのある背中へ、ダイナミックに右へ左へと塗りはじめました。お風呂からあがり、いつもなら温まった身体は更に激しい痒みに襲われるのですが、その時は違いました。全く痒くないのです。奇跡とも言えるほど痒みが消えていました。


 今回の痒みは、"ただひたすら愛を胸に仕事を行う"という初心を思い出させてくれる出来事でした。イメージは不可能だと思っていることを可能にする力があります。諦めてしまっている問題を解決する力を与えてくれます。どうぞ皆さんも、イメージの中でインナードクターとの対話を楽しんでくださいね。

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「愛のスポットライト」

0174.JPG行かなければならない、会わなければならない、溶け込まなければならない、、、けれど、気が重くなる時ってありますよね。誰しもそんな体験があると思います。そんなネガティブな気分のままそこへ行けば、必ずと言っていいほどエネルギーは消耗し、時にはどっぷりエネルギーにあてられてしまって、頭痛を起こしたりする方もいると思います。

そんな時、その場へ自分が入っていくイメージから、その場を自分の中へと取り込んでしまうイメージを抱くと、ネガティブなエネルギーから解放されますよ。要するに、自分の愛の場に入れてしまうのです。

それには大いなる自己としっかり繋がっていることが大切です。

その上で、まずこのことに気付いていなければなりません。

全ては自分の写し鏡であるということです。

自分が苦手意識も持つ場、人、というのは、自分の中にある影の部分であるということです。自分と他者を分け隔てて見てしまうと、その影の部分と戦うことになります。戦っているうちは平和は訪れません。

全ては自分の内側に存在します。苦手意識を持つ場、人、組織、なんでもいいですが、そういったものと関わる時、それが自分の影だと認識して、それらを内なる愛で包みこんであげてください。抱きしめてあげてください。微笑んであげてください。

具体的に、その場にいる時のイメージ作りとして、あなたの目線を愛のビームにしてみてください。あなたの視線の先にある存在に対して、愛のスポットライトを当ててください。「愛しているよ」と、心でつぶやいてみてください。

そうすることで、あなたはあなた自身の影を、「光」に変えていくことができるのです。

影がまた一つ光に変われば、この世も平和になっていきます。

影はあなたの恐れです。恐れから憎しみが生まれます。影に乗っ取られ振り回されることなく、影を愛の光で溶かしていきましょう。

 

 

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