④ 大訂正発生!! 御言葉【B】 日本女性がお父様を本然の新郎としてお迎えすることだった ①「統班撃破運動」について
恐縮ですが・・・とんでもない誤りがありましたので訂正します。
大訂正
下記の御言葉【B】の注釈の赤文字に訂正します。
訂正前
今やあれこれ全て分かりました。先生は、いつ皆さん(祝福家庭の女性達)を呼んで命令を下し、(お母様と同じようにサタンを愛して自然屈服させる)使命を果たせと言うか分かりません。
訂正後
下記の御言葉【B】の注釈の赤文字
今やあれこれ全て分かりました。先生は、いつ皆さん(日本の祝福家庭の女性達)を呼んで命令を下し、(お母様とは反対に、文先生を本然の新郎としてお迎えする)(花嫁の)使命を果たせと言うか分かりません。
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〔た〕行・・と
ただ今、「統班撃破運動」を編集中です。
できた所から公開していきます。
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・「統班撃破運動」 ☞ 『定義』
下記の御言葉【A】【B】の御言葉の( )の注釈は決して根拠がないものではない。この注釈は、御言葉【C】にある「アブラハムによるイエスの典型路程」が根拠となっている。
【A】★天聖経 ⑬真の神様の祖国光復 第三章 六
「皆さんは神様を中心として、(お母様に)平和の世界が早く訪れるように国民(第三イスラエル)を結束して、平和の門を開く(お母様をサタンから解放する)為に南北統一平和の基準(子女様が一体となる基準)を促進化しなければなりません。
これを促進化する(中心家庭を一つにする)為の運動が統班撃破運動だという事です。分かりましたか。
これによって……。南侵したスパイ(サタン、文先生の最高幹部・天使長的人物)が隠れている所は、女性(お母様)の懐です。女性(お母様)の(※)チマ(スカート)の中に抱かれているのです。(※)チマの下に隠れているという事です。
スパイ(文先生の最高幹部・天使長的人物)は南へ下りてきて南韓で嫁(祝福家庭の妻)をもらって金を稼ぎ、(文先生の承認を勝ち取る為、)婚家(中心家庭)の又従兄弟の所(祝福家庭の二世)まで入っていって、後援を(サポート)したり、町内や一族(聖進様や子女様たちの家庭)の者に気前よく施したりするのです。
これが南韓スパイの工作費で(サタンを養って)宴会を開いてもてなすような、名のある立て札を得た人(文先生の承認を得たスパイ)だという事を知らなければなりません。これを撃破しなければなりません(このスパイを真の愛で自然屈服させなければなりません)。」
【B】★天聖経 ⑬真の神様の祖国光復 第三章 六
「北韓の軍人(スパイ)を女性達(祝福家庭の妻達)が担当しなければなりません。(さらに、)女性(お母様)が(中心家庭に招き入れた)地上のサタン(文先生の最高幹部・天使長的人物)を担当しなければならないのです。そうして初めて男性(お父様)が(真の愛で)天上世界のサタンを打つ(自然屈服させる)のです。
(サタンを自然屈服させる為に、文先生は「アブラハムによるイエスの典型路程」によってお母様をサタンに差し出された。一方、祝福家庭の女性達は堕落したお母様を保護して救済するという、)両面作戦をしなければなりません。
北韓(サタン)のスパイ(文先生の最高幹部・天使長的人物)が(中心家庭に)住んでいるのですが、それは女性(お母様)が保護しているのです。女性の懐(家庭、チマの下)で……。男性(お父様)はみな願っていないのに、女性(お母様)が(※)(チマの下にサタンを)隠しているのです。これを撃破する(真の愛で愛する)為に統班撃破運動が現れたのです。
今やあれこれ全て分かりました。先生は、いつ皆さん(日本の祝福家庭の女性達)を呼んで命令を下し、(お母様とは反対に、文先生を本然の新郎としてお迎えする)(花嫁の)使命を果たせと言うか分かりません。
(祝福家庭の女性達が)出来ないと言うならば牢獄(堕落した家庭の中に)に閉じ込めておくのです。遊び事ではありません。(タマルやマリアのように)生死の決断をして勇み立つ道なのです。給料をもらって楽な暮らしをする為の場ではありません。野良犬を連れてきて食べさせてやる所ではありません。それを知らなければなりません。天国の精兵をつくる所です。
統班撃破というのを知っていますか。十四年前(1978)からホーム・チャーチの事を語ってきました。多くのお金を使って教育してきました。五年前から「統班撃破」と言ってきました。男性(文先生)を立てて失敗したので、仕方なく最後に女性(お母様)を立てるのです。
」
(※)「(チマの下にサタンを)隠しているのです。」・・・下記の御言葉(※)を参照
〔C〕天聖経 罪と蕩減復帰 第二章 五 1.
サタンとは何ですか。神様の愛の姦夫です……その怨讐サタンにエバ(=ひとり娘、お母様)を抱かせて今まで千回、万回讒訴すれば聞いてあげ、それを愛する立場に立っていたのです。それが神様の立場です。どれほど神様の立場が難しい立場かということを皆さんは知らないでしょう。愛する妻(=ひとり娘、お母様)を怨讐に抱かせておいて福を祈ってあげることのできる男(=先生)の立場、それ以上の立場が神様の立場であることを知らなければなりません。あなた方はそうすることができますか。
*
サタンはエバ(=ひとり娘、お母様)の姦夫です。ゆえに神様の愛の怨讐です。(先生は)その愛の怨讐が数千年の間、来て讒訴しても嫌な表情一つしないで、今まで真の主人としての仕事をやってきたのです。それで神様がこの地に一つの中心を育てあげるまでは、誰でも不平を言ったり、それを反対してはいけません。なぜでしょうかといえば、天使長がいるからです。
*
サタンは神様の愛の姦夫です。愛の姦夫。これは文総裁が世界的に初めて発表した言葉ですが、悪魔とはいったい何でしょうか。僕が未来に神様の妻になることのできる人(=ひとり娘、お母様)を強姦したのです。アダム(=ひとり息子、先生)とエバ(=ひとり娘、お母様)とは何ですか。神様の体です。聖書のコリント人への第一の手紙を見れば、「あなたの体が聖殿であることが分からないのか」と言いました。神様の家です。家。聖書にアダムが名前を付けたようになったということばがありますが、それは何を意味するのでしょうか。神様がその心の中に入っていらっしゃるということです。
*
サタンは神様の立場から見れば姦夫です。エバ(=ひとり娘、お母様)は姦婦で、サタンは姦夫だというのです。そのような立場にある婦人(=大母様)とその娘(=お母様)を、純潔な女性として純潔な娘として考えなければ復帰することができません。そうでなければ、もともとのままに取り戻すことができません。そのような心情圏に処している神様の悲惨な心境は、誰も知りません。先生以外には、誰も知らないというのです。
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怨讐に引かれていった自分の愛する妻(=お母様)が、子供を産んで再び帰ってこなければならないとき、そのような母と子を結婚前の純粋な心で迎えることができるでしょうか。サタンは愛の怨讐であり、愛の姦夫です。それこそ(先生とお母様は)アダムとエバが堕落した立場と同じです。しかし神様の心情圏では、その峠を越えていかなければ平和の世界はできないのです。その基準が成立してこそ、サタンは自然屈服するのです。
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考えてみなさい。愛の怨讐になった悪魔のその息子、娘たち(=子女様たち)を怨讐の子として扱っていたら、神様のようなことはできません。それを、堕落する前の本然の息子、娘として愛するのと同じ心をもって愛したという基準を立てなければなりません。そうせざるを得ない悲痛な神様の立場を考えたことがありますか。
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キリスト教や他の宗教の最高基準が怨讐を愛せということです。神様もこのような原則的な立場にあるので、サタン悪魔を愛さざるを得ないのです。これは愛の怨讐ですが、その怨讐を堕落していないアダムとエバ以上に愛さなければならないのです。なぜそうなのでしょうか。怨讐の懐に抱かれたエバ(=お母様)が庶子三、四人を連れて入ってくるとき、お父さんは彼らを自分が生んだ子供たちよりも愛さなければ、エバ(=お母様)が本然の立場に帰ってくる道がないからです。何のことが分かりますか。
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自分の愛する妻(=お母様)を怨讐に抱かせてあげて、福を祈ることのできる雅量のある男にならずしては神様の息子、娘になることができないという結論にまで到達します。なぜですか。エバとは誰ですか。神様の妻です。サタンが抱いて今まで弄んだ姦婦のようなものを今まで六千年間、六千年ではありません。数万年です。人類歴史を一千万年までと見るではないですか。その間、彼が讒訴しても今まで相手にしてきた神様のその痛い心情の谷間を誰が知るでしょうか。ですから自分の愛する妻(=お母様)を自分の怨讐に抱かせてあげて、福を祈ることのできる心情圏を出入りする経験をしたことのない人は、神様の心情を知ることができないというのです。
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結婚の前日に神様を捨てて怨讐に引かれていき、姦婦になり、息子、娘を生んで暮らしていたのを再び本然の、そのような傷のない立場として受け入れなければならない神様の心情を思うとき、お母様を偉大なお母様につくらなければならないと考えるのです。昔のエバ(=お母様)よりももっと素晴らしいお母様にしてこそ、エバによって傷つけられた悔しく悲痛な神様の心情の傷を埋めることができるというのです。父母様の家庭がそのことをしなければならないのです。何のことか分かりますか。
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先生がこの道を備えてくるには、先生の愛する妻までもサタン魁首に抱かせてあげ、祝福してあげることのできる心がなければならないというのです。何のことか分かりますか。神様がそのような立場に立ったのです。悪魔は愛の姦夫です。怨讐ですが、終わりの日になってメシヤになることのできる資格者ならば、自分の新婦までも犠牲にしてサタンに与え、神様を解放しようとすることのできる立場に立たなければ、神様を解放できないのです。
【コメント : この御言葉は架空の話をしているものではない。サタンの実体が常に目の前にいる為、語ることができない文先生の事情を知らなければならない。その為、文先生は原理基準に立ってご自身をアダム、お母様をエバとして語られた。
文先生は全権を神様から付託された立場だから、六千年前のアダムとエバの話を持ち出して昔話をする立場ではなく、80歳になっても、六千年前のアダムとエバの問題が解決できていない為、2003年になって、第二の聖書と言える天聖経に文先生とお母様をアダムとエバの立場で蕩減問題を語られている。】