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企画・制作 朝日新聞社メディアビジネス局
ひきこもっている人は「たまたま困難な状況にあるまともな人」であり、ひきこもりの長期化は、そういう人たちを排除していく社会の方に原因があると考えた方がいい――。
ひきこもり状態の人たちに向き合って約30年の斎藤環・筑波大学教授(社会精神保健学)は、こう指摘します。地域の中で、企業の中で、学校の中で、私たちはどうすればいいのか。一緒に考えてみませんか。
――斎藤さんは、ひきこもり状態の人たちを簡単に説明する際、「たまたま困難な状態にあるまともな人」としていますが、どのような意味か説明していただけますか。
ひきこもり状態というのは、本人の個人的要因よりも環境要因、置かれた状況からきているとお考えいただきたいと思います。昔は、ざっくり言えば好きでひきこもっている、自分の意思でやっている、と周囲や社会から思われている節がありました。昨今の傾向を見ていると、最初は自分の意思からひきこもった人も、長期化するにつれて「社会からの排除」、ないしは「社会的孤立」という状況に至っていると、ますます確信を深めています。
――社会の側に原因があるというのですね。
私はそのように考えています。ひきこもっている多くの人はほぼ例外なく、抜け出したい思いを抱えながらもそれを口に出せない、実現できないといった葛藤を抱えながらひきこもっています。そういう状況に鑑みますと、本人の病気であるとか、心理状態であるとか、そういった問題に原因を求めるよりは、社会参加を妨げている社会の方に原因があると考える方がより具体的な解決につながりやすいと思っています。
――逆に社会の側の現在地はどこにあると思いますか。
「ひきこもり」という言葉が、広く社会全体に知られるようになったのが約20年前です。当時は贅沢病(ぜいたくびょう)であるとか、甘えであるとか、怠けであるとか、そういった意見があり、それが違和感なく受け止められてしまう社会状況がありました。今はさすがに、そこまで単純な認識の人は少なくなったと思います。それは大変良い傾向で、少なくともひきこもる本人の道徳性が欠如しているといった問題ではないという見方は、かなり浸透してきたと思います。しかしその一方で、パーソナリティーの障害であるとか、発達障害であるとか、トラウマが原因であるなどといった、個人的要因のみでひきこもりを理解しようとする考え方は、まだまだ根強いです。私は個人的要因に対して環境調整をする方が役に立つと考えています。
――「環境調整」という言葉がありましたが、どのようなことなのか少し説明してもらえますか。
ひきこもりが長期化しやすい原因の大半は、家族がひきこもり状況を理解しようとせずに、ひきこもりの当事者を疎外してしまうことにあります。疎外というのは、無視するというのもありますが、圧力であるとか、抑圧であるとか、叱咤激励(しったげきれい)とか、プレッシャーをかけるといったことです。そういう不適切な対応が当事者を苦しめています。難しいのは、多くの家族が善意から、良かれと思って不適切な対応をしてしまっていることです。家族には、常識的でまともな方が多いのですが、そういう方ほどひきこもっている当事者に対して、叱ったり説得したり、理詰めで問い詰めたり、脅かして動かそうとしたりといった、「まともな対応」をしてしまいがちです。それで追いつめられた本人は、非常に苦しい思いをしますし、強い疎外感を持つわけです。この悪循環がある限り、抜け出すことが非常に難しくなるという現状があります。
私は30年来、「家族の中の会話を大事にして下さい」と家族に話してきました。議論とか、説得とか、尋問とかではない、普通の会話です。穏やかな会話を通じて、本人が安心できることが、非常に重要だからです。でも、家族は本人を責めてしまうことをなかなかやめられません。
私が重要だと考えている環境調整とは、支援者や専門家が家族との相談を継続しながら、家族を介して家族と本人の関係修復を図ることです。そのためにも会話が重要になるのです。
――家族がひきこもり状態になったときの対応は、家族内で何人もひきこもり状態になる人がいるわけではないので、それに対応する家族が経験値を積むことは非常に難しいと思います。目の前で起きていることがすべてであり、親子であるが故に最大限の愛を注いで対応したいという思いが先に来てしまうと思います。
おっしゃる通り、家族は我が子のことしか知らないので、やはり懸命の努力が間違った方向に向きやすいのです。だからこそ、家族会に参加して、どのように関わっていくことが適切かを学んでいくことが大事です。もちろん我々専門家も多くの当事者と向き合ってきた経験があるので、当事者がどういうことを嫌がるのか、どういう言葉で傷つくのか、家族のどういう姿勢に感謝をするのかといったデータは豊富にあります。こうしたことを家族が共有できれば、当事者との関係性もより速やかに回復できると考えています。
――この2年、コロナ禍ということで「巣ごもり」という言葉が多用されています。「ひきこもり」という言葉も、若い人たちの間では必ずしもネガティブなことではない感じで使われています。「ひきこもり」という言葉の使い方、捉え方の変化について感じることはありますか。
コロナ禍によって、「ひきこもり」という言葉が確かに昔よりカジュアルになって、若干ポジティブな意味合いも帯びてきたと考えていいと思います。
ここで指摘したいのは、「楽園」という言葉についてです。家族がよく使う言葉ですが、たとえば「うちの子はひきこもって『楽園化』しちゃっています」というふうに使います。本人は大した葛藤もなく、ひきこもり状態に適応しちゃって、誰にも邪魔されずに楽しく過ごしています、と言いたいわけです。断言しますが、この言葉は、家族が本人の状況や心情をよく理解していない証拠みたいなものです。当事者が家族に対して表面的に見せている姿だけを見て、一方的に決めつけているわけです。もし本人と家族がしっかり対話できれば、楽園でないことはすぐ分かります。
コロナ禍での一番大きなポイントは、2020年4月~5月の緊急事態宣言下では多くの日本人が社会活動を自粛して家にひきこもらざるを得なくなったことです。「その時、皆さんは楽園にいましたか?」「むしろつらかったでしょ?」と尋ねたいですね。多くの人が、家から出られないことのつらさ、人に会えないことのつらさを身にしみて理解したはずです。「ひきこもることがどうして楽園ですか?」と言いやすくなったことは大きな変化です。前進と言ってもいいでしょう。
――斎藤さんは今後も当事者が増えていくと警鐘を鳴らしていますが、社会的背景がどう影響しているのでしょうか。
ひきこもり状態になる予備段階の状態としては、昔は不登校が有名でした。それが、近年の内閣府の調査によって、中高年のひきこもりに関しては退職者、失業者が次の仕事に就けず、ひきこもってしまうことが多いということが分かってきました。
もちろん、不登校からそのままひきこもってしまう人もまだまだ多いのです。2021年10月に文部科学省が公表した2020年度の小中学校における不登校者数は、19万6000人で過去最高(統計開始後)を更新しました。
――しかも、少子化で子どもの数は減っています。
そうです。少子化にもかかわらず、不登校者数が増えているのは異常な状態です。教育システムの制度疲労と言っても良い。不登校の増加は長期的に考えると、間接的にひきこもり状態の人たちの増加につながるでしょう。不登校やひきこもりをただちに問題視するつもりはありませんが、義務教育から疎外される子どもが毎年2万人ずつ増加している現実は大いに問題です。文部科学省は「不登校になった後の対策」に関心が強いようですが、私はそれよりも学校空間(特に中学校)が、生徒にとって尊厳を傷つけられない安心安全な空間になることのほうが急務だと考えています。
もう一つは、労働問題です。採用が新卒者偏重ではなく、中途採用をしていくことが一般的な雇用の慣例にならないと、コロナ禍の影響もあって再就職が難しい状況下では結果的に再就職できなかった人たちを社会的に排除してしまい、それが永続化されやすい状況が起こっていると思います。治療を受けつつ精神障害者保健福祉手帳を取得した人の、障害者枠での就労を支援するコースはかなり改善されていますが、まだ十分とは言えません。
――ひきこもり状態といっても、本人と家族の間でコミュニケーションがあり、社会参加はしていなくても暮らしとしてはうまくいっているということもあります。ただし、そのバランスが崩れたときの介入のタイミングは難しいですね。
ひきこもり状態だから一概に支援すべきだとは言えません。ひきこもりといっても、その状況はグラデーションになっていますので、すぐ支援が必要なレベルから支援すべきではないと判断せざるを得ない状況までいろいろあります。そこがまさに専門家の専門性が試される部分です。
私は「マイルドなおせっかい」と言っていますが、押し付けはしないけれども「御用聞き」みたいなスタイルで「どうですか?」という風に関わる機会を頻繁に持つことが大事だと思います。それ以上踏み込んでしまうと、一部の暴力的支援業者みたいな関係になってしまいますので、本人の尊厳や拒否権を尊重するマナーと慎重さが求められます。
――ひきこもり地域支援センターがすべての都道府県と政令指定都市に設置されています。今後の課題についてどう考えますか。
政府が2000年代に入って「ひきこもり地域支援センター」を整備したことは重要な変化だと思います。ただし、厳しい見方をすると、ひきこもり状態の人は、私の推計では200万人以上いると見ていますので、自治体に1カ所の窓口を設けても対応はとても追いつきません。いろいろな機関が関わる必要がありますが、そのネットワークに大きな地域差があることが課題です。居住する地域によっては、有効な支援を受けられない人もたくさんいます。ひきこもりは、明日死んでしまうといったような緊急性がないので放っておかれがちです。また、窓口に相談する人が来ないと、「うちの自治体はニーズがないんだ」と錯覚してしまいがちです。実はそんなことは全然なくて、みんな諦めちゃっているので窓口に来ないという現実もあると思います。その対応策としては、定期的な広報活動や注意喚起によってニーズを掘り起こすことが必要です。
――地域の中で、企業の中で、学校の中で、私たちはどのような行動を起こしていけばいいですか。
エピソードの一つを紹介します。匿名の方からSNSで私宛てにメッセージをいただきました。おそらくはひきこもり経験者と思われる人からです。ひきこもっている当時つらかったことは、親から毎日説教されることだったそうです。それでもひきこもり状態から抜け出ることができたのは、近所に幼なじみの友だちがいて、彼女が毎日散歩に付き合ってくれたからだったそうです。その時の彼女の態度は「あなたはいろいろ難しい状況にあるけど、まともだよね」というものだったと。「助けてあげますよ」という姿勢ではなくて、まともな一人の人間として、自分を見下さずに親しく付き合ってくれたことが救いだったと言うのです。この方のエピソードから、私はひきこもりの当事者を「困難な状況にあるまともな人」としてみる姿勢を学びました。当事者の周囲の人たちは、この姿勢でつきあっていただければ十分だと思います。「なんとかしてやろう」とか考える必要はありません。時には雑談に付き合ったり、一緒にご飯を食べに行ったり、一声掛けることです。孤立しがちな人やコミュニケーションが苦手な人を排除しないということに尽きます。
――今、ひきこもり状態にある当事者や家族に向けてメッセージを下さい。
もしあなたが今ひきこもっているのなら、将来の不安、自分自身の存在価値など、悩みや不安の種はいろいろあると思います。でも今は、あなた自身がどうすればくつろげるのか、楽になるのか、楽しめるのか、そちらのほうを大切にしてください。先のことはいったん脇に置いて、今あなたにできることを楽しんで欲しい。そう心から思います。自分を批判したり、むやみにおとしめたりしたくなることもあるでしょうが、それよりも自分は何が好きなのか、欲しいものは何なのか、何を大事に思うのか、そういうことを探求して欲しいのです。ご家族は対話を通じて、そのお手伝いをして下さい。家族だからこそ将来のゴールを設定して、そちらに向けて背中を押したいという思いはあるでしょう。でも今は、ゴールよりもプロセスを尊重して下さい。良いプロセスとは、すなわち「楽しむ」ことです。就労や社会参加はそのオマケみたいなものですから、今は忘れて構いません。あなたは今、心から楽しめていますか? それならきっと、大丈夫です。
精神科医、批評家、筑波大学医学医療系教授。1961年岩手県生まれ。思春期・青年期の精神病理学が専門で、著書「社会的ひきこもり」(98年、PHP新書)がベストセラーに。「『ひきこもり』救出マニュアル」(ちくま文庫)、「中高年ひきこもり」(幻冬舎新書)、與那覇潤さんとの共著「心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋(せん)―」(第19回小林秀雄賞受賞、新潮選書)など、著書多数。