前回の私の独り言はトランプ大統領についてでした。何故奈良県の知事がアメリカの大統領のことを言うのかと思われる方もおられたかとも思いますが、そこは独り言ですのでお許し下さい。
今回は、フランクリン・D・ルーズベルト大統領についてです。
トランプ大統領は北朝鮮に戦争を仕掛けてこいよとばかり挑発しているように見えます。一方、ルーズベルト大統領は戦前日本に対し、戦争を仕掛けるように、外交上対処していたように見えます。本当なのか、どうしてなのか。
1995年に「ヴェノナ文書」というものが公表されました。過去の外交文書等が多く含まれていましたが、それらからルーズベルト政権の内部に多くのソ連のスパイがいたことが分かります。1945年2月のヤルタ会談でルーズベルトの後ろに立っていたアルジャー・ヒスは後ほどソ連のスパイだとして有罪になりました。日本に対して最後通牒とも言われるハルノートを起草した、当時のハル国務長官の副官ハリー・ホワイトもソ連のスパイだったと言われています。トランプ大統領側近がロシアに親しいという報道を聞くと、米政権内部にソ連のスパイがいたという過去の印象と重なります。
1933年11月、ルーズベルトはソ連を国家として承認しました。過去3代の共和党大統領が反対していた事項です。国務省の東欧部も慎重意見でした。(ジョージケナンが回顧録で書いています)
当時のアメリカの世論は、圧倒的にヨーロッパにおいても太平洋においても戦争をしないようにというものでした。ところが、1937年10月5日、シカゴでの道路開通式典で、ルーズベルトは後日「隔離演説」と呼ばれる、独・伊・日を伝染病患者に例えるような演説をします。
ルーズベルトは、米国世論に対して、独・伊・日を悪者扱いをするレッテルを貼る一方、日本が米国の挑発に乗って、米国のどこかを攻撃し米国の世論が戦争に向かうのを待っていました。日本の真珠湾攻撃は米国の世論を転向させる絶好の機会でした。真珠湾攻撃を受けて、ルーズベルトは議会に対日宣戦布告を求め、承認されました。ドイツがアメリカに宣戦布告をしたのは、真珠湾攻撃から4日後の12月11日でした。
ルーズベルトはどうしてソ連と仲良くし、日本とドイツに対し戦争をするよう仕向けたのでしょうか。ひとつは、英国のチャーチルがヒトラーと戦うため、米国のヨーロッパ戦線への参戦を切望していたことがあると思われます。もうひとつは、1929年に起った大恐慌からの経済立ち直りがあまりうまく行ってなかったので、独・日との戦争により、国民の目を外に向けることと、戦争による経済活性化を狙ったとも言われています。(このことはうまく行きました。)
日本の真珠湾攻撃を促したとも思われるハルノートの日本への手交は、当時の米国民には知らされませんでした。またこのことと、米国の世論が圧倒的に反干渉主義で日本との戦争をしないことを望んでいたことなどは、日本国民はまったく知りませんでした。(当時の日本の指導者達は、これらの事柄をどこまで知っていたのでしょうか。)
このような歴史の通説と異なる再認識を歴史資料に基づいて行う試みは、今盛んに各国で行われようとしているように思います。(私が今回独り言で述べたことは、フーバー大統領の回顧録とも言える「裏切られた自由」を読み解く作業をされている本、ジョージ・ケナン回顧録、当時のコミンテルンの活動を記述した本などを参考にしたものにすぎません。まだまだ浅薄な理解だと思いますが、歴史の真相を知ることは、現在の政治を深く理解することを助けてくれるように思います。)それにしても、ルーズベルトが任期の途中で亡くなり(1945年4月)、対ソ連懐疑派のトルーマンに替わらなかったならば、日本の領土もドイツのように南北に分断されていたかもしれないと想像するだけでもゾッとします。