渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

広島県三原市今昔

2021年10月07日 | open

今の三原市の住宅街(宮浦地区)。

1960年代。


三原市というのは、江戸期からの
城下数町を除いて、私が大学の頃
の1980年代初期でもこんな感じだ
った。畑・田んぼの中に国鉄山陽
本線と呉線が走り、遥か先まで見
渡せた。


同地点からの現在。


元々は浅瀬の海だ。
元禄時代に一部干拓新田開発がされ
たが、潮が押し寄せるので耕作地と
しては不適当で、沖の浜を中心に塩
田が作られた。



宮浦という地名は、三原西宮八幡宮
の下にある浦=海という意味だ。
現在、田畑はすべて住宅地となった。


これは1980年代末期に農地が全部
住宅になったのである。
よその土地から多くの人たちが三原
に移り住んで来た。
うちのように数百年も城内、城下に
住んでいる家は珍しいのではなかろ
うか。城下では作り酒屋や御殿医の
家などがそうだろうが、総人口から
いったらほんの数える程のごく僅か
だ。
「よそから来た人」たちが三原の
人的質性と土地柄を形成している。
この土地の地方地区なりの人柄は
そうした人たちが構成している。
数代前にはどこにおったか分からん
ような連中があとから三原にやって
来て、わしら三原ぢゃ三原ぢゃ言う
て地元ぶって大きな顔しとる。
そういうとこ。
それに苦言を呈すると「なんじゃ、
おんどりゃ。しごうしたるど(ぶっ
殺してバラバラにしてやるぞ)」て
なもんで。いや、まじでそういうの
で来る。それがフツーかのように。
ま、そんなとこ。
同じ新興都市でも、横浜の住宅街と
はまるで質性が異なる。
広島の友人が自分が愛する広島市を
冷徹に俯瞰して、似たような事を言
って嘆息していたが、広島市、三原
市、福山市というのは、似た歴史的
な変遷による人的性格形成の同一性
傾向があるのではなかろうか。

広島県の人に物言いしたらダメすよ。
たとえどんなに全国区の「日本の常
識」や日本の法律や社会規範で物を
言っても、「ここでやりたいのなら
黙れ」「ここにおるつもりなんか」
「出て行け」だから。
不正受験を糺そうとしたら、黙れ。
悪い事を直そうと啓蒙啓発をしたら
出て行け。
そういう土地です。
特殊なの。
日本の全国版社会規範と意識と民主
主義精神や制度は一切通用しません。
だからこそ、河井夫婦は広島県の行
政長各人に金ばら撒いた。
そして、受け取っていながら、河井
夫婦を裏切った。河井の上を行く
外道ぶり。
そういうのが起きる土地柄、人柄、
お国柄。お里が知れるというやつ。
隔離された(自分たちで隔離させて
いる)土地なのです。
なんでそういう事するかなあ、てな
ことが日常。それが日常。
変わった場所です。
元々は違ったのでしょうね。

とにかく、「私的集団性」での「強制」
「威圧」「強圧」「恫喝」「嫌がらせ」
「裏切り」「恩を仇で返す」「後ろ足
で砂かけ」が異様に多い土地です。
端的に言うと「仁、義、礼、智、信」
の五常は一切存在しない。仁義無き
土地柄、人柄なんです。
なにもそれはヤクザの話ではなくて、
一般人もまったくヤクザと同じで、
まるで徳が無い。そして、のぅのぅ
けぇけぇ言って威張ってます。
これ、山間部や島しょに行くとまるで
人が違う。牧歌的で人柄も温厚。
そのコントラストが物凄くあるので、
まあ、変わった場所です。
「地方」というのはどこもそうした
傾向あるのかも?
私は東京都、神奈川県、埼玉県、千葉
県しか知りませんが、その4都県では
経験ない事ばかりに出くわします。
「異国」なんですよ。まるで。
20年前に東京から転住して来て、商工
会でもいじめ抜かれていたラーメン屋
店主が私と初めて話をしたら私に言い
ました。
「三原に引っ越して来て20年以上。
外国の異国で初めて日本人に会った
感じが今しています」と。
これ、よく分かります。

よくないよ。
よくない事は、日本全国どこでもよ
ない。
自分たちのエリアだけの俺様ルール
や新興の土着感覚だけで社会的規範
を無視したり、その意識に基づいて
人を虐げてよしとする気風は絶対に
良くない。
日本の道徳教育からやり直したほう
いい。

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