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最近は本屋を閉めるようになった。
常連客の一部から、なぜ毎日開けてくれないんだと言う顔をされたが、今はそういう気分だ。
たまには「蓄積された知識」の整理をやめてみたくなり、
その日も店主…ライブラは店を閉め、テラスで特に何かするまでもなく空を見上げていた。
空はあいにくの曇り空だが、むしろ涼しくて寛ぐには丁度いい。
向こうから黒い雲が近づいてきているので、
あんまりのんびりはしていられない。もう少ししたら部屋へ戻るか。
そう思った時だ、下のほう…それも裏口からノック音が響いてきたのは。
裏口と言うだけで、ノックして来るものは一気に絞りこめる。
知識でなく「ライブラ」に会いに来るものは片手で数えられる程しかいない。
しかも閉まっているのに来るものは少し前までは居なかった。少し前までは、だ。
ドアの前でしばしライブラは立ち、ノック音に耳をすます。ノック音は静かに、
だが開けるまでやめる気はないと言わんばかりに鳴り止まない。
おまえは借金取りか何かか、と観念しドアを開けると。
「最近みないと思ったら…」
やっぱりなと、無表情な顔つきが少しだけ動く。
返事より先にまず白い手が、つづいて手から先が部屋に入り込み。
前髪を一部だけ赤く染めた、にこやか…と言うより、ねちっこい笑顔を浮かべた青年が手を振ってくる。
「兄さんただいま~」
「…亜屠ル。お前の家ではないだろ」
亜屠ルはライブラの弟である。元々モスタリアの王子だった彼は姉、
ライブラにすれば妹である「海徒」と共に、新たな安息の地を求め、島に移住してきたのだ。
現在の彼らはこの「吹き溜まりの町」の管理人である
「天授」が貸してくれたアパートに住んでいる…のだが、本屋が近いのを良いことに
本屋が閉まっていようが「兄」であるライブラに会いに来る。特に亜屠ルが。
「ねえ、新曲聴いた?」
「お前の?」
「そうだよ。すごく楽しいよぉ、兄さんも聴きにくればいいのにぃ」
「…私は行かんぞ」
またその話かと、ライブラは眉をひそめる。
亞屠ルはどうも「いい声」をしているらしく、この町に来て直ぐ歌手になるよう勧められた。
本人も歌声を活かす事に悪い気はしなかったのか、今やライブハウスの人気者だという。
「どうして来てくれないの?」
「騒がしい場所は苦手だ」
「じゃあ静かな場所で歌ってあげるよ、姉さんにもそうしてるから」
たしかに音楽関係の本を借りに来た、ファンと思わしき少女が彼の名を出してきたな。
「亞屠ル様のお兄様に会いに来た」とか…亞屠ル様か、良い身分だ。
ライブハウスに来いと誘われたのはこれが初めてでなく、
こいつは何度も何度も、外に出ろと言ってくるのだ。
そこでライブラは連れ出したい様子の亞屠ルの気をそらすように。
「あの「天秤」を盗まれる訳にはいかんからな」
わざとらしく、彼が絶対に反応するワードを口に出した。

-天秤
ライブラのシンボルである、白銀と黄鉄鉱の天秤。
愚者の黄金と呼ばれる輝きは、時に本物の金に並ぶ。
その天秤は元々ライブラの私物でなく、ある人物の持ち物であった。その人物は-。
「…ああ」
亞屠ルの顔から一気に、さっきまでの馴れ馴れしさが消え。
「あいつか。まだ生きてるんだったね」
眉間に僅かな、だが確実なシワを寄せ、小さく舌打ちする。
彼は天秤の持ち主だった女をよく知っている、その賢しい姿も愚かしい姿も。
余程思い出したくない顔なのか、目に見えて不機嫌になった弟へ兄は語りかける。
「知っているだろう、これは私の役目…」
「兄さん、最後に使ったのいつ」
「モスタリアを出てから一度と…」
「じゃあ兄さん持ち歩けるね。外、出よう?」
今度は亞屠ルでなく、ライブラが眉をひそめることとなった。
気をそらせたと思ったのに、亞屠ルは話題をあっという間に外に出る話へ戻してしまったのだ。
亞屠ルが「天秤は持ち歩ける」というのは理由があった。
「そいつで何か測ろうとすると、どんどん重くなっていくのさ」
ライブラの天秤、賢しき愚者の天秤と呼ばれるそれは「重さ」が変動するという不思議な性質が有り。
さらに魔法をかけることで掌に収まる程の大きさにすることも出来る、
ライブラがひとりで持ち出せたのもそれが理由だ。

天秤の重さを変えるのは「その天秤を必要とするか」である。
なにかと、なにかを測り比較する。ときに地位、ときに力、正義に悪…
そうして「なにか」の価値を測っていく度、この天秤はどんどん重くなっていく。
「本当に使ってないの?持ってみて」
亞屠ルに持ってみろよと目配せされ、ライブラはため息をつきながら持ち上げてみる。
すると天秤はあれだけ重そうな見た目をしているにも関わらず、軽々と片手で持ち上がってしまった。
つまりライブラは持っては居るが、この天秤で何かしようという気はないと言うこと。
「なんだ、持てるじゃないか」
亞屠ルはにやにやと笑っていた。
兄の「言い訳」を見抜いてやったと言わんばかりの「したり顔」で。

「亞屠ル」
「うん?」
「私があいつに愛想を尽かしたせいで、お前達は怪物にされたのだろう」
ライブラは無表情だ。色白で、笑いも怒りもしない姿は人形にも見える。
こうして面と向かって話す間も、ライブラは眉を軽く動かす程度なのだ。
精悍な顔つきをしては居るが、表情が殆どない彼が好かれることは少ない。
「じゃあ僕は、モスタリアを滅ぼした悪魔と言われてる筈だろ」
それでも亞屠ルは退かない。何が何でも兄をこのカビ臭い貸本屋から出してやると、椅子から立つと。
「ほらっ兄さん見て!兄さんの門出を祝うように…」
亞屠ルがカーテンを全開にした、まさにそのタイミングに空が光り、轟音が響いた。
近くに雷が落ちたらしい。見れば外は雨模様、部屋に戻ったのは正解だった。
雷鳴に雨音、話に夢中になりすぎて気づかなかったが、外は雨が降り出していたのだ。
「おい亞屠ル」
「う~ん…兄さん、雨もいいよねっ」
「…」
外は雨。この悪天候では外に出る気も失せる。
だが弟を大雨の中に放り出す気もおきない、雨が止むまでは待ってやるか?
「…ケーキでも食べるか?」
「お、いいの?」
「雨止んだら帰れよ」
照れ隠しをする兄ではない。本当に雨が止んだら帰る羽目になるやつだ、
だが最近は文明の利器がある、この雨雲はレーダーによると、まだまだ1時間は留まってくれる。
ならば本当に「雨が止むまで」居座ってやると、亞屠ルは椅子に腰掛けた。

「まさかケーキが食えるとは、姉さん呼べば良かったね」
「海徒は?」
「姉さんはアトリエで絵を描いてたよ」
「…そうか」
海徒、今日は本屋に来ていない「妹」の名。
彼女は騒音や人ごみが苦手なので、外に出ることが出来ない。というか、出る気がない。
体調を崩してはいないかと心配したが、亞屠ルの口振りから問題ないらしい。
「ボディガードは雇えないんだよね。姉さんは知らない人間を怖がるから」
むしろ亞屠ルが言う通り、此方から守ろうとするとかえって彼女を傷つける。
少々心配だが、今の状態で良いのだ。今が一番良いのだ。
そこで話は「真ん中っ子」から、亞屠ルがしきりに言っているライブの話と移る。
視界の先で亞屠ルはケーキの苺をフォークで刺し、口に運んでいた。
「ライブハウスで何をしているんだ?」
「色々だね、こないだはファンの子が裸で騒いだり…」
「お前サバトやっとんのか?」
「サバトじゃない。ライブ。ライブだよ」
ファンが来てくれてるのにあんまりな言い分だなと亞屠ルはクリーム付きの苺を咀嚼しつつ
眉を上げこっちを見てくる、亞屠ルがライブと称して何をしているかは
向こうが勝手に話してくれるので把握してるんだが、ファンの子が裸になったとか
床に魔法陣を描いたとか、まるで邪神の儀式でもやってるような話ばかり聞くのだ。
しかもそれを一度に限らず、複数回聞かされたら、そうも思う。
「でも僕の歌は聴いてくれるよね?ライブハウスに来てくれないのは何で、うーん…」
亜屠ルが普段歌っているライブハウスと言うのは
「吹き溜まりの町」の遊園地にあり、連日芸を行ったり、歌を歌ったり、騒ぎ立てたりする。お世辞にも趣味がいい場所ではない。
同時に、あの空間なら彼も受け入れられるだろう。

「遊園地は嫌い?」
「嫌いだ」
「どうして」
「…」
「どうして?」
亞屠ルの赤い渦が瞬き1つせず、兄を捉える。
窓の向こうから聞こえる雨音が激しくなってきた気がした。
「知れたことだ、遊園地で私を斬っただろ」
「ありゃ、随分と最近の話だな。じゃあ昔は遊園地好きだったの?」
「昔から嫌いだ」
「へぇ、どうして」
「そこまで言わせるか?」
「そこまで、だよ」
お互い決して退かぬという様子で、互いの顔を見つめる。
兄の瞳は澄んだ青だ、異形にされた自分には決して手に入らぬ色である。
絶えず赤い渦が回る、弟の瞳には一切の光が差し込むことがない。
「僕は兄さんに打ち明けてほしいんだよ。色々と、ね」
「…」
雨音に重々しい沈黙。お互い何も発する事もなく互いの瞳を見つめ続けた。
しかし、それでも兄の表情はほとんど動くことがない。
これだけ見つめ合おうと冷や汗の1つ見えない、そして-30秒ほど経っただろうか。
「あぁ、わかったわかった。僕の負けだ、遊園地には来なくていい」
沈黙を貫き通した兄に根負けしたと、弟のほうが引き下がる事となった。
だがその目は諦めた風ではない、また問い詰めてやるぞと言うように目を細め。
「だがライブは見に来て欲しいんだよ、今度は彼処じゃないとこでやるんだ。」
いつもの遊園地じゃないとこでやると言われ、ライブラの眉が少し上がる。

「…どこで?」
「どこで、て言われると困るねぇ。あ、そうだ」
ケーキを半分ほど食べ終えたところで亞屠ルは「違う場所でやるライブ」の話をしてやると
椅子から立ち上がって、食事中に立つなよ…と言う目付きのライブラを他所に。
「おい、ヘビ!ヘビどこだっ!!」
この空間に居て、この兄弟のやり取りを見ている筈の者の名を呼ぶ。
しかし当人は、亞屠ルがいくら声を張ろうが出てくる様子がない。
「出てきやがれー!!なんで僕の呼び出しには答えねぇんだ~!!」
「亞屠ル」
「はぁはぁ…この…!このクソヘビ…」
部屋中に聞こえるレベルの大声を出してでも応じないそれに、肩で息をし辺りを見回す。
完全におちょくられている、やれやれ、とライブラはフォークを皿へ置くと。
「肩で息をしているじゃないか、おちょくってやるな」
息を荒くする弟を指差しつつ、自分の後ろ…ちょうど椅子の影のほうを横目に話しかけた。

「おやおや、気付いていたか」
椅子の影がうごめき、第三の声がすると共に影法師が持ち上がり人型を成す。
そこには下半身が蛇になった着物の男がおり、目を象った眼帯がひときわ目を引く。
目は見えないはずだが、おちょくるように細められているのが眼帯越しにもわかる。
あれだけ呼んでも出てこなかったなと、亞屠ルは怒りを籠めた目で睨んだ。
「偏てめぇ…何で兄さんには一発で」
「いやぁすまない、余りに『いい声』なので聞き惚れてしまった」
「お世辞か?それよりホラ、あれ出せよ。兄さんに渡せ」
「おお、あれだな。待ち給えよ」
偏が何か懐から取り出し、ライブラに手渡す。
そこには亞屠ルと…バニースーツだろうか?見たこと無い少年が並んでおり。
「沼地VOID」という地図と、6月6日午後6時と日時が書かれていた。
この少年と、ここでライブをやると言うんだろうか?
「コラボライブ。玉兎クンていうんだよ、赤松クンでもいいかな?」
「へぇ…」
「最初は赤松クンとして出会ったからなぁ。赤松クンのこと教えようか?この子は」
「それはいい。この地図に示された場所にはどう行くんだ?」
ライブラの短い言葉に、亞屠ルのほうがフリーズしてしまった。
今まで一回もライブに来てくれなかったライブラが、どうやって行くんだと言ったのだ。
聞き間違いか?あまりにもライブラが素っ気なさ過ぎてついに幻聴まで聞こえだしたか?
「おや、亞屠ル殿。目を丸くしてどうされた」
「蹴るぞ!!兄さん、それホントかい!?」
「…あの場所じゃないなら聞いてやる」
幻聴ではなかった!兄は来てくれるのだ!ようやくライブに来てくれるのだ!!
「どうするね?ライブラ殿は珍しく乗る気らしいぞ」
言うまでもなかろうと亞屠ルは力強く、無言でガッツポーズを決めた。

亞屠ルとライブラが本屋でそんな話をしてから数日後、ライブ日である6月6日を迎え
海原電鉄に「沼地の街」へ向かうダイバーたちが乗り込んでいく。
そんな、沼地の街へ向かうダイバーたちを眺めていた天授だが。
「…おや?」
思わぬ姿を目にし、見上げんばかりの長身を少し屈めてくる。
その先には切符を出す無愛想な少年、見慣れた顔ではあるのだが。
「どうした?」
それが外出することは珍しいのだ、いつも偏に任せて本屋に籠っているのに。
一体どうした?と天授は少しでも目線を合わせようと屈んでくる。
「ライブラ。君が外に出るなんて珍しいな」
「そういう気分だ、海徒は?」
「ああ、彼女に新しい絵の具を買ってあげたところだよ」
「そうか。留守中は頼む」
妹はライブラ、亞屠ル、天授と…ある少年以外とは口を利くことすら困難なのだ。
ボディガードを雇う事は出来ないが、天授なら見守ってくれるだろう。それも干渉することなく。
留守中は頼むと手をふる腕にはしっかり蛇が巻き付いていた、どうやら「彼」も行くらしい。
君も楽しんできてねと手を振ると、蛇は返事するように尾を振った。
遠ざかる電鉄を見つめる金髪を潮風が揺らす。
最近は道も整備されて、荒れた海原を進む事なく移動できるようになった。
だが、整備した道で行ける道は数本だけ、亞屠ル達がやって来た島に行くには船が居るわけだ。
まだまだしばらく造船は暇にならなさそうだと、ネクタイを弄る天授の、後ろのほうで。
「トモ、お前エサ付けた?」
「え?あ。アンジー、付けたよ。ほら」
「付けてねぇじゃねぇかよっ!何のための魚釣りだよ!」
すっとぼけた返事をするピンク髪の少年に、ちゃんとやれよと叱りつける少年の姿があった。
「んふふ~、沼地の街ってにぎやかだね」
亞屠ルはいつもどおり、ちょっと気味の悪い含み笑いをしながら歩く。
彼が機嫌がいい時必ずやる癖のようなものだ。
「そりゃ、ここは『街』だからな」
「僕はここ好きだよ、玉兎」
ただただ人が行き交い会話が飛び交い、そこに異形の者達が混じっているだけの賑やかな空間だ。
この街にライブに来たことは何度も有るが、それでも飽きることは無い。
「赤松クンでもいい?」
「ここじゃ玉兎だ、赤松は他所の場所で呼んでくれよ。ん?兄貴は?」
「今日はまだ見てないけど、時間通り来るんじゃない?それにしても……」
よく晴れていて良かったと呟きながら、亞屠ルが空を仰ぐ。
雲一つ無い晴天、湿気が少なく爽やかで、心地よい空気を胸いっぱいに吸い込む。
ライブ前に良い天気に恵まれたものだ。
「はて?何で曇らなかったのであろうな……?」
「?何か言ったか?」
「ほれ、お前さんの兄上は雨男で有名でないか。」
偏の言葉に亞屠ルが、ああと納得する。確かに彼が外出しようとするとだいたい雨だ。
ライブラも「雨男か?」と言われたら否定しないし、自覚あるっぽいし…。
(まぁいっか)
そもそも気にしても仕方ないし、ライブは始まったばかりなのだから。

***
一方その頃、ライブハウスの楽屋では。
「あー……どうしよう。兄さん来てくれるかな?兄さん来てくれるかな!?」
「落ち着け。普段冷静なお前らしくもない」
「だってぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!兄さんだよ、初めてだよライブにぃ~!!」
「分かった分かった」
はしゃいでいる亞屠ルと、それを宥めるブラァンという構図が出来上がっていた。
ライブ開始までは後10分、準備に忙しいはずなのに。
「おい、落ち着け。玉兎も困るだろ」
「あ?俺?いいぜ、兄ちゃんがこんなにはしゃいでるの初めて見たからな」
弟は弟の大切さを分かってないと嘆く亞屠ルの横で、偏は興味深そうにライブラを眺めている。
ライブラと亞屠ルの関係は良く知っているつもりだし、仲の良い兄弟だとも思っている。
だが、二人が一緒に居るところなど一度も見たことが無かった。
それこそお互い嫌いあってるのかと思うほど。
二人とも大人びたところが有ったり、偏より年上に見える程落ち着いていたりするが…
…実際はどうなのだろうか? そうこうしている内にライブの時間になったようだ。
ホールの扉が開かれると歓声が上がる。3人は顔を見合わせ、互いに微笑み合い。そして……舞台へと向かっていった。

かくして沼地voidを、熱狂が包む。
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