まず、後逸が目障りなのだ。
岡山県新庄村の稲田泰男副議長(64)が、村が管理する残土処理場に軽自動車2台や家電などを不法投棄していたことが19日分かった。
稲田氏は事実を認めており、同日、議員の辞職願を議長に提出した。
村などによると、昨年7月に重機を使って軽自動車を埋めたほか、炊飯器やポット、空き缶、衣類などを捨てた。
建設業者が同12月に処理場を訪れた際、不法投棄に気付き、村に連絡して判明した。軽自動車などはもともと所有地に置いていたという。
稲田氏は「軽い気持ちでやった。村民の信頼を裏切り、申し訳ない」と話す。
稲田氏の行為は廃棄物処理法違反に当たるが、発覚後、自費で撤去しており、村は刑事告訴しない方針。
村議会は20日に全員協議会を開いて対応を協議する。
軽自動車二台を不法投棄なんて、バカじゃないのか。この人は何をやらかしている野か把握しているのだろうか。
これ何度見これ何度見てもぞくぞくします。
連帯責任という言葉が、なんか、嫌いだ。
1981年夏の予選前のことである。
予選出場を辞退した名門チームは相当多かったが、これは異常事態と言えたし、テレビが特集を組んでいたりもした。
連帯責任で処分を受けた学校をざっと挙げてみよう。
高知商、浪商、中京、天理、倉吉北など。
ちなみに前年優勝の横浜高校はこの夏の予選前に処分を解除され、神奈川大会優勝。二連覇を目指して甲子園へと殴り込んだ。
結果、この年の1981年夏の大会は実にフレッシュな顔ぶれになって、非常に面白かったのである。
さて、山陰の暴れん坊こと倉吉北高校の武勇伝は、本当に失笑を禁じ得ないものが多すぎて困る程。
漫画の世界さながらの目くるめくきらびやかな野球部の黒歴史。
いやぁ、実に深い。
剃り込みエース坂本でベスト4に駆け上がったセンバツ。当然夏は全国で優勝を狙う位置にいる、はず、だった。
1981年夏 予選出場辞退 2か月の対外試合禁止 夏の甲子園絶望。
エースで主将の坂本昇さんが開会式で選手宣誓をしただけで大会を終えることに。
1981年夏、4季連続の甲子園出場を目指していた倉吉北高校に衝撃が走ったのは鳥取県大会の開幕前日、7月21日朝のことでした。
毎日新聞の朝刊が「倉吉北高“野球留学”退部続く『リンチうけた』と一年生」との見出しでスクープ記事を掲載したのです。 記事では「上級生が一年生部員に“リンチ”を加え」ていたことや倉吉署も「二十日から暴行、傷害の疑いで捜査を始めた」といったことが伝えられ「十九日までに十二人が“リンチ”などに耐えかねて退学、または休学している」と書かれていました。
改めて当時の記事を確認してみると、校長のコメントも掲載されていたので、学校側は記事が出る前日の時点でこうなることは想定していたと思われます。(東スポ加藤伸一連載コラムより)
1981年秋 秋の鳥取大会優勝後 8か月の対外試合禁止 翌年春のセンバツ絶望。
倉吉北創部以来の最強チームと評されていたチームが、秋季中国大会開幕直前に出場辞退。
野球部員7人が暴行、傷害の容疑で書類送検されたという事件を起こしたためである。
なんだよ、またかよ。って感じだった。
しかし、対外試合禁止は夏の予選前の6月に解除されることになる。
高野連の温情だといわれている。
監督の徳山一美は、着任時、そもそも野球経験なかったそうだ。相撲部出身(笑)。まじか。
1982年夏の予選参加 2回戦で倉吉工業に快勝 準々決勝で鳥取城北に敗退。
さて、いよいよ復活かと思われた矢先の九月のこと。
1982年秋 一年間の対外試合禁止 翌年春のセンバツ、翌年夏の甲子園絶望。
1982年秋、倉吉工業高校との乱闘事件をおこし「1年間の対外試合禁止」。NHKの取材クルーに「何を撮っとんねん」とヤクザまがいな因縁をつけた生徒もいた(笑)。
と、ここ迄まとめて、改めて見直すとやね、1981年秋以降、ほとんど試合できてねーじゃん(笑)。史上最強チームなのに。
特にこの間の実質的なエースは加藤伸一。
南海に入った逸材だ。
<倉吉北の甲子園全成績> 76年春 ●1-6福井商 78年夏 ○3-2早稲田実 ●6-14高知商 79年春 ○1-0静岡 ○7-4高松商 ●1-5箕島 80年春 ●4-5東海大三 80年夏 ●1-2習志野 81年春 ○5-4鳴門商 ○3-2中京商 ○2-1高松商 ●0-4PL学園 92年夏 ●0-6東海大甲府 99年夏 ●0-8静岡 02年夏 ●1-6桜美林 06年夏 ●6-7松代☆春5勝4敗 夏1勝6敗 通算6勝10敗
おまけ