現在では「こっ↑ここ↓」説が有力であるとされている四章冒頭のシーン。
しかし「こ↑こ↓」派や「ここ↑ここ↓」派も根強く、未だ議論が続いている。

ところで私は「ここ↑ここ↓」派である。
なぜか。
冒頭シーンの田所さんの動作を見て欲しい。

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このシーン、田所さんは家を指さしていると思われがちであるが、右手をよく見て欲しい。
そう、田所さんは右手でも下を指さしているのだ。
これはどういうことなのか。

仏教の開祖である、仏陀ことガウタマ・シッダールタは、生まれてすぐに7歩歩いて天と地を指差し、「天上天下唯我独尊」と言ったと言われている。
もうお分かりだろう。
田所さんはまず天を指し、「ここ↑」と言い、続けて「ここ↓」と一段下がった音程でつぶやいた。
つまり天を指しての「ここ↑」とはこの広い空、すなわち天上のことであると考えられる。
とすれば、続く「ここ↓」はこの広い大地、すなわち天下のことを指すことがわかる。
これを踏まえた上で考えると、「ここ↑ここ↓」の意味は「ここ↑(天上や)ここ↓(天下において我が唯独り尊い)」、つまり「天上天下唯我独尊」ということがわかる。
田所さんは自らが仏陀の生まれ変わりであるということを遠野に語り聞かせたのだ。
この言葉を聞いた遠野が「はえ~」と感嘆の声を上げていることからも理解することができるだろう。

ではなぜ物語導入部に仏陀が生まれた時の言葉を引用する必要があったのか。
前述の通り「天上天下唯我独尊」とは仏陀がこの世に生まれた時に言った言葉である。
とするならば、これを言った直後に入った田所さんの自宅、これは現世を象徴していると見ることができる。
つまり、「ここ↑ここ↓」と言う事によって田所さんと遠野は象徴的にこの世に産まれ出たということになるのである。
そして生まれでた二人はしばらく屋内(幼少期)で過ごした後、屋上(外の社会、青年期)に出て、体調を崩した遠野を介抱して(老年期)地下室(墓地、死後)へと場面は移り変わる。
このように地下室までの一連の場面は人の一生を象徴していると考えることができるのだ。

では死後(地下室)のラブシーン、そしてラストの幸せなキスはどう考えるのか。
言うまでもないが、仏教には輪廻転生の思想が取り入れられている。
そして人の最大の幸福とは輪廻を解脱し、涅槃へと至ることだとされている。
つまり、仏陀の生まれ変わりである田所さんは、凡夫であり輪廻転生の輪に囚われている遠野を解脱させるための説法を行ったと考えるのが妥当である。
言葉では言い表せない涅槃への境地、それを愛する遠野に身体を使って説明したのだ。
結果として田所さんの言わんとする事が理解できた遠野は、ラストシーンで幸せなキス、つまり涅槃に至ることに成功する。

もはや田所さんが仏陀の生まれ変わりであることは疑いようのない事のように思えるが、どうだろうか。