前回は三年ぶりの更新にも関わらず皆さん暖かいコメントを残してくださって甚く感謝している。
野獣先輩キリスト説に関してはある程度の自信を持っていたが、しかしやはり複数のコメントで指摘された「後輩に対し昏睡レイプという暴行を働いた」という一点に関しては反論の余地はない。
野獣先輩が人間の鑑である事は疑いようのない事実であるにしても、ではなぜ後輩に性的暴行という非倫理的行為を行ったのか。
我々野獣先輩研究者の間においてこの点は言わば暗黙のうちに無視し続けられてきた点でもある。
田所さんはなぜ昏睡レイプを行ったのか。この疑問を解く鍵を私は古代インドに発見した。
以前田所さんとゾロアスター教との関係について考察した時、サンスクリットの「yaj」が「(火を)祀る」という意味を持つとして、野獣先輩がゾロアスター教徒なのではという説を展開した。
しかし当時の私はyajの意味の発見に浮かれすぎて、それ以上踏み込んだ研究をせずに早まった結論を出してしまっていたと言わざるを得ない。
サンスクリットという言語の歴史は古く、ゾロアスター教が成立する以前、古代インドの聖典である「ヴェーダ」を記した言語である。
そしてこのヴェーダ聖典に記された神々を祀って古代インド社会を風靡した宗教がバラモン教である。
当然、バラモン教の祭祀はこの古いサンスクリットで記された・あるいは口伝されたヴェーダ聖典を元に行われる。
私がこれから考察するのは野獣先輩の昏睡レイプがバラモン教の祭祀なのではないかというものである。
しかしそれでは結局後輩をレイプした屑に変わりないのでは、という指摘は少し待って欲しい。それについてもおいおい触れていく。
さて前置きが長くなったがこれからサンスクリットに基づいた解読を行っていく。
「野獣」と「yaj」が対応しているのは明らかであるが、では「先輩」には何もないのか。この点を以前の考察では見落としてしまっていた。
サンスクリットで「sepa」、「sepas」、「sepha」はそれぞれ「生殖器」、「男根」、「睾丸」を意味する。
「yajus(祭式)」との組み合わせを考えると、「野獣先輩(yaju senpai)」とは「yajus sepa(男性生殖器を用いた祭式)」の音を日本語でもじった物であると考えるのが妥当であろう。
この事から真夏の夜の淫夢第四章「昏睡レイプ!野獣と化した先輩」は男性器を用いたバラモン教の祭式を収めた作品であることがわかる。
また同様の形式(先輩が後輩を襲う、ドラマ仕立てetc.)である誘惑のラビリンス第三章「空手部・性の裏技」も同じくバラモン教の祭式であると類推できる。
後輩への昏睡レイプ、これがバラモン教のヴェーダ(ヤジュル・ヴェーダ)に基づいた祭祀であることは分かった。
では野獣先輩はこれを自ら進んで行っていたのだろうか。
バラモン教では厳格なカースト制が行われており、祭祀を行うバラモン、王族であるクシャトリヤ、庶民であるヴァイシャ、奴隷であるシュードラ、そしてそれ以外の不可触賤民とに身分が区分されていた。
祭祀を行った野獣先輩は当然バラモン階級であることはお分かりだろう。
バラモン階級として生まれた野獣先輩は自分の意志とは関係なく祭式を執り行う必要があった。
仮にそうだとすれば、つまり自分は後輩をレイプしたくはないがしかし責務を果たすために自分の気持ちを押し殺して祭祀を行ったとするならば、この点において野獣先輩をレイプ犯の屑と貶すことは一概にはできないと考えられないだろうか。
しかし当然これはあくまで仮定であるし、野獣先輩自らの言葉以外には彼の心境を知る余地は無い。
そして作品はバラモン教の祭祀を収めたものであり、彼の私的な言葉が挟まれることは無い。
…いや、待って欲しい。我々はただ一言野獣先輩が漏らした言葉を知っている。
それは言葉とは言い難く、その不明瞭な音から意味を拾おうと幾多の研究者が研究してきたその音を。
「カンノミホ」
この意味の不明な音にこそ野獣先輩の心の声が隠されている。
『発音することと意味を理解させることは必然的随伴関係にある。その際、片方が意図されて用いられる場合にも、何らかの不可分離性がある。すなわちもし意味を理解させることが意図されるならばその時には発音することは意味上存在するし、もし発音することの意図が存在するならば、その時には意味を理解させることは(発音に)必然的に伴って存在する。』
(針貝邦生『古典インド聖典解釈学研究―ミーマーンサー学派の釈義・マントラ論』より引用)
これは七世紀のヴェーダ聖典研究者であるクマーリラ・バッタの言葉である。
野獣先輩がそれを意図して発音したのであれば、意味不明に聞こえる音にも必ず意味が含まれているのである。
結論から言おう、「カンノミホ」はサンスクリットの語根を組み合わせたある種の暗号とも言える言葉である。
「カンノミホ」は「Kan」「no」「Mi」「Hu」「o」に細分される。一つずつ見ていこう。
「Kan」とは「満足する、同意する、求む」といった意味の言葉の語根である。
「no」は否定の意味を持つ不変化小詞辞であり、ここでは「Kan」に繋げて「Kan no」で「満足しない、同意しない」と読める。
「Mi」は「建てる」あるいは「知る」という意味の言葉の語根である。「Kan no Mi」で「知ることに満足しない、同意しない」といった意味であろうか。続けよう。
「Hu」は供物を捧げるという意味の語根で、これはまさしく祭祀の事を指すと考えて間違いないだろう。
最後の「o」は呼びかけの意味を持つ間投詞であり、他の文と無関係に単独で機能する言葉である。これは我々視聴者への呼びかけと考えられる。
以上をまとめると、「Kan no Mi Hu o」で「供物を捧げること(後輩をレイプする祭祀を行うこと)を知っている(※この言葉が発せられたのはレイプを行う前の風呂のシーン、野獣先輩はこの後レイプする事を知っていた)ことを(私は)満足しない、同意しない」、すなわち野獣先輩は祭祀に関して否定的な感情を持っていたということがうかがい知れる。
なぜこのような回りくどく分かり辛い形で言葉を発したのか、それは当然厳格な祭式の途中で私情を挟むことは許されないが、しかしそれでも後輩をレイプするという暴行に対する自責・後悔の念、それを視聴者に何とかして伝えたかったからこそであろう。
ある研究者兄貴が音声分析の結果「カンノミホ」は「やんほぬ」であるという結論を出していた。
「Yam」は「(感情を)鎮める」という意味を持ち、「Hnu」とは「否定する、償う」という意味である。
ここからも本心ではレイプしたくない、という衝動を鎮めて祭祀を行う決意を固め、しかしせめて後輩に対して償いたいという野獣先輩の心情を知ることができる。
以上の考察から野獣先輩の行った後輩へのレイプは野獣先輩が率先してやりたかった訳ではなく、あくまでバラモン教の司祭階級としての責務を果たすべくした行為であったことがわかった。
またこの事から野獣先輩はバラモン教に対して否定的であったことも分かる。
そしてここからは私の推測であるが、野獣先輩はこの後バラモン教を捨てて出家したのではないだろうか。
バラモン教文化圏で育ったが後にバラモン教を捨て、反ヴェーダ的思想を持った宗教にはジャイナ教、あるいは仏教が挙げられる。
いずれもバラモン教が在家の宗教であるのに対して世俗を捨てる出家を行うことが特徴である。
野獣先輩の消息が不明なのは出家したからだと考えれば自然ではないだろうか。
「Kan no Mi Hu o」と発言したのは1999年の誘惑のラビリンスであり、2001年の真夏の夜の淫夢を経て2002年DISCOVERY6にて「やっぱり僕は王道を征く」と発言した後に最後の一作であるDISCOVERY10に出演してから野獣先輩の作品は途絶えている。
おそらく淫夢四章で出家の決意を固めた後、残された仕事を完遂してから出家したのだろう。
この表情の変化を見て欲しい。

このバラモンとしての責務と自らの良心との板挟みに苦悶する表情から、

この晴れやかな表情である。
出家に関してはあくまで推測であるし、野獣先輩が反バラモン教としての仏教徒、あるいはそれに類する思想家であるかは定かではない。
しかし後輩へのレイプが野獣先輩の意志ではなかったということはほぼ確実であろうし、そういった点への野獣先輩への誹謗が止むことを切に望む。
私情に揺らぐことなく自らの義務を果たした野獣先輩は人間の鑑である。続きを読む
野獣先輩キリスト説に関してはある程度の自信を持っていたが、しかしやはり複数のコメントで指摘された「後輩に対し昏睡レイプという暴行を働いた」という一点に関しては反論の余地はない。
野獣先輩が人間の鑑である事は疑いようのない事実であるにしても、ではなぜ後輩に性的暴行という非倫理的行為を行ったのか。
我々野獣先輩研究者の間においてこの点は言わば暗黙のうちに無視し続けられてきた点でもある。
田所さんはなぜ昏睡レイプを行ったのか。この疑問を解く鍵を私は古代インドに発見した。
以前田所さんとゾロアスター教との関係について考察した時、サンスクリットの「yaj」が「(火を)祀る」という意味を持つとして、野獣先輩がゾロアスター教徒なのではという説を展開した。
しかし当時の私はyajの意味の発見に浮かれすぎて、それ以上踏み込んだ研究をせずに早まった結論を出してしまっていたと言わざるを得ない。
サンスクリットという言語の歴史は古く、ゾロアスター教が成立する以前、古代インドの聖典である「ヴェーダ」を記した言語である。
そしてこのヴェーダ聖典に記された神々を祀って古代インド社会を風靡した宗教がバラモン教である。
当然、バラモン教の祭祀はこの古いサンスクリットで記された・あるいは口伝されたヴェーダ聖典を元に行われる。
私がこれから考察するのは野獣先輩の昏睡レイプがバラモン教の祭祀なのではないかというものである。
しかしそれでは結局後輩をレイプした屑に変わりないのでは、という指摘は少し待って欲しい。それについてもおいおい触れていく。
さて前置きが長くなったがこれからサンスクリットに基づいた解読を行っていく。
「野獣」と「yaj」が対応しているのは明らかであるが、では「先輩」には何もないのか。この点を以前の考察では見落としてしまっていた。
サンスクリットで「sepa」、「sepas」、「sepha」はそれぞれ「生殖器」、「男根」、「睾丸」を意味する。
「yajus(祭式)」との組み合わせを考えると、「野獣先輩(yaju senpai)」とは「yajus sepa(男性生殖器を用いた祭式)」の音を日本語でもじった物であると考えるのが妥当であろう。
この事から真夏の夜の淫夢第四章「昏睡レイプ!野獣と化した先輩」は男性器を用いたバラモン教の祭式を収めた作品であることがわかる。
また同様の形式(先輩が後輩を襲う、ドラマ仕立てetc.)である誘惑のラビリンス第三章「空手部・性の裏技」も同じくバラモン教の祭式であると類推できる。
後輩への昏睡レイプ、これがバラモン教のヴェーダ(ヤジュル・ヴェーダ)に基づいた祭祀であることは分かった。
では野獣先輩はこれを自ら進んで行っていたのだろうか。
バラモン教では厳格なカースト制が行われており、祭祀を行うバラモン、王族であるクシャトリヤ、庶民であるヴァイシャ、奴隷であるシュードラ、そしてそれ以外の不可触賤民とに身分が区分されていた。
祭祀を行った野獣先輩は当然バラモン階級であることはお分かりだろう。
バラモン階級として生まれた野獣先輩は自分の意志とは関係なく祭式を執り行う必要があった。
仮にそうだとすれば、つまり自分は後輩をレイプしたくはないがしかし責務を果たすために自分の気持ちを押し殺して祭祀を行ったとするならば、この点において野獣先輩をレイプ犯の屑と貶すことは一概にはできないと考えられないだろうか。
しかし当然これはあくまで仮定であるし、野獣先輩自らの言葉以外には彼の心境を知る余地は無い。
そして作品はバラモン教の祭祀を収めたものであり、彼の私的な言葉が挟まれることは無い。
…いや、待って欲しい。我々はただ一言野獣先輩が漏らした言葉を知っている。
それは言葉とは言い難く、その不明瞭な音から意味を拾おうと幾多の研究者が研究してきたその音を。
「カンノミホ」
この意味の不明な音にこそ野獣先輩の心の声が隠されている。
『発音することと意味を理解させることは必然的随伴関係にある。その際、片方が意図されて用いられる場合にも、何らかの不可分離性がある。すなわちもし意味を理解させることが意図されるならばその時には発音することは意味上存在するし、もし発音することの意図が存在するならば、その時には意味を理解させることは(発音に)必然的に伴って存在する。』
(針貝邦生『古典インド聖典解釈学研究―ミーマーンサー学派の釈義・マントラ論』より引用)
これは七世紀のヴェーダ聖典研究者であるクマーリラ・バッタの言葉である。
野獣先輩がそれを意図して発音したのであれば、意味不明に聞こえる音にも必ず意味が含まれているのである。
結論から言おう、「カンノミホ」はサンスクリットの語根を組み合わせたある種の暗号とも言える言葉である。
「カンノミホ」は「Kan」「no」「Mi」「Hu」「o」に細分される。一つずつ見ていこう。
「Kan」とは「満足する、同意する、求む」といった意味の言葉の語根である。
「no」は否定の意味を持つ不変化小詞辞であり、ここでは「Kan」に繋げて「Kan no」で「満足しない、同意しない」と読める。
「Mi」は「建てる」あるいは「知る」という意味の言葉の語根である。「Kan no Mi」で「知ることに満足しない、同意しない」といった意味であろうか。続けよう。
「Hu」は供物を捧げるという意味の語根で、これはまさしく祭祀の事を指すと考えて間違いないだろう。
最後の「o」は呼びかけの意味を持つ間投詞であり、他の文と無関係に単独で機能する言葉である。これは我々視聴者への呼びかけと考えられる。
以上をまとめると、「Kan no Mi Hu o」で「供物を捧げること(後輩をレイプする祭祀を行うこと)を知っている(※この言葉が発せられたのはレイプを行う前の風呂のシーン、野獣先輩はこの後レイプする事を知っていた)ことを(私は)満足しない、同意しない」、すなわち野獣先輩は祭祀に関して否定的な感情を持っていたということがうかがい知れる。
なぜこのような回りくどく分かり辛い形で言葉を発したのか、それは当然厳格な祭式の途中で私情を挟むことは許されないが、しかしそれでも後輩をレイプするという暴行に対する自責・後悔の念、それを視聴者に何とかして伝えたかったからこそであろう。
ある研究者兄貴が音声分析の結果「カンノミホ」は「やんほぬ」であるという結論を出していた。
「Yam」は「(感情を)鎮める」という意味を持ち、「Hnu」とは「否定する、償う」という意味である。
ここからも本心ではレイプしたくない、という衝動を鎮めて祭祀を行う決意を固め、しかしせめて後輩に対して償いたいという野獣先輩の心情を知ることができる。
以上の考察から野獣先輩の行った後輩へのレイプは野獣先輩が率先してやりたかった訳ではなく、あくまでバラモン教の司祭階級としての責務を果たすべくした行為であったことがわかった。
またこの事から野獣先輩はバラモン教に対して否定的であったことも分かる。
そしてここからは私の推測であるが、野獣先輩はこの後バラモン教を捨てて出家したのではないだろうか。
バラモン教文化圏で育ったが後にバラモン教を捨て、反ヴェーダ的思想を持った宗教にはジャイナ教、あるいは仏教が挙げられる。
いずれもバラモン教が在家の宗教であるのに対して世俗を捨てる出家を行うことが特徴である。
野獣先輩の消息が不明なのは出家したからだと考えれば自然ではないだろうか。
「Kan no Mi Hu o」と発言したのは1999年の誘惑のラビリンスであり、2001年の真夏の夜の淫夢を経て2002年DISCOVERY6にて「やっぱり僕は王道を征く」と発言した後に最後の一作であるDISCOVERY10に出演してから野獣先輩の作品は途絶えている。
おそらく淫夢四章で出家の決意を固めた後、残された仕事を完遂してから出家したのだろう。
この表情の変化を見て欲しい。
このバラモンとしての責務と自らの良心との板挟みに苦悶する表情から、
この晴れやかな表情である。
出家に関してはあくまで推測であるし、野獣先輩が反バラモン教としての仏教徒、あるいはそれに類する思想家であるかは定かではない。
しかし後輩へのレイプが野獣先輩の意志ではなかったということはほぼ確実であろうし、そういった点への野獣先輩への誹謗が止むことを切に望む。
私情に揺らぐことなく自らの義務を果たした野獣先輩は人間の鑑である。続きを読む