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ほぼ日刊イトイ新聞

2022-02-04

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・あるとき、人に「すっごく疲れているんだね」と言った。
 その人自身が、疲れていると言ってるわけではなかったが、
 その話していることの内容が、疲れているを表現していた。
 一見、そうも見えなかったので、冗談のように言った。
 たしか、「みんな疲れてるよねぇ」と付け足して終わった。
 そのときぼくのした、その短い発言は妙にこころに残った。
 いやいや、ぼく自身だって疲れてないわけじゃない。
 ほんとうに、いまの時代を生きている人たちは、
 ある時代までの昔の人よりも疲れているんじゃないですか。
 この問題がずっと気にかかるようになっていた。

 前々から思っていることがあった。
 ハリだのマッサージだの整体だのの看板が、
 ものすごく多くなっていないだろうか。
 青山にももちろん多かったが、神田はもっと多い気がする。
 たくさんあるそういう店の商いが成り立つということは、
 疲れてたり痛かったりする人がそれだけいるということだ。 
 いつのまにか、ずいぶんと増えていたように思える。

 具体的に肉体が痛かったりすることもあるだろうし、
 精神的にまいっている人が、気持ちをらくにしたくて
 マッサージを受けに行くというケースも多いのではないか。
 つまり精神的なコリや痛みを持っている人も大勢いる。
 というふうに考えると、美容院だとか、ネイルの店だとか、
 おいしいデザートの店だとか、コーヒーの店だとか、
 みんな「気持ちをもみほぐす」店だとも言えるだろう。
 もっと広げたら、お客を待ってるほとんどの店が、
 医学的な意味ではなく「メンタルヘルス」の仕事だ。
 そう言えるくらい、みんな「すっごく疲れてる」。

 身体ばかりでなく精神が疲れていたり、痛かったり、
 凝っていたり硬くなっていたりしているとしたら、
 その理由はどこらへんにあるのだろうと考えたくなるが、
 ぼくは「ひっきりなしにやることがある幻想」
 のせいではないか、と考えている。
 いまを生きている人の時間感覚が、季節や月どころか、
 一日という日の単位、時間単位、分単位になっている。
 「なにもしてない時間」はなにかで埋められてしまうのだ。 
 たぶん、そんなふうに人間はできてないからねー。
 ずっと追い立てられているから、疲れてるんじゃないかな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
衣食足りて多忙を知る。望まぬ多忙で疲れを知り健康に渇く。


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