355話 急転
神王国使節団と、ソラミ共和国使節団の交渉が大枠合意に至った翌日。
交渉は外務官同士の実務協議の段階に入った。
魔法使いを預かる期間をどれぐらいとするのかといった細かい数字や、預かっている間の衣食住の負担はどちらが行うのかといったやり取り。
滞在期間中の不測の事態にはどういう取り決めとするのかといった法的な部分も詰めねばならない。
交渉がきっちりと詰められるまで、一日や二日では終わらないだろう。
その上、どこからどう聞きつけたのか、ソラミ共和国との交渉の内容を知りたいとばかりに、ヴォルトゥザラ王国側から多くの招待状が届いた。
宛名が王子を始めとする使節団上層部であることから、対応を協議するために偉い人たちはみな会議で缶詰。
となると、時間を持て余すのは学生たちだ。
技術研修は既にその目的を終え、根回しをしていたペイスが身動き取れなくなった時点で研修は無期限停止状態。
次に何をするかも決まっていない状況だ。
暇になった学生たちは、ペイスの粋な計らいで小遣いをたんまり貰い、町に繰り出すこととなった。
繁華街の一角。
市場として多くの屋台が立ち並ぶ一角を、二人の若者が歩いていた。
ルミニートとマルカルロの二人連れだ。
こうして二人だけで出かけるまでには紆余曲折と大変なトラブルがあったわけだが、それはそれ。
外国の市場という物珍しい場所を、幼馴染の二人は楽し気に見て回る。
ありていに言えばデート。
モゲロ。
「お、これなんていいんじゃねえか?」
「へえ、綺麗だな」
「兄さん、恋人に贈るなら安くしとくよ」
市場の屋台というよりは、敷物の上に並べられただけといった様子のアクセサリー。
やはり若い男女が連れ立っていれば恋人同士に見えるのだろう。
それを否定しない二人もまた、満更でもないのか。
「マルクには、これが良いんじゃねえか?」
「いいなこれ。おっちゃん、これとあわせて、そっちのやつも買うから、まけてくれよ」
「何をケチなこと言ってるんだか。兄さん、女の子にいいとこ見せてやんなよ。プレゼントを値切るとこ見せるなんて良くないよ?」
「良いんだよ。俺が無駄遣いしてる方が格好悪いってもんよ。な、ルミ」
「そうそう。無駄遣いなんてしてるなら、一発殴ってる」
「かあ!! こいつは惚気られたね。兄さんは将来尻に敷かれるよ?」
「うるせえよ」
「よし、将来の同類に敬意を払って、二割引いてあげるよ」
「じゃあ買った。ついでにおまけもつけてくれよ」
「おいおいこんなにまけさせといて……」
買い物を楽しんでいる途中だった。
少し離れたところで、何やら大声がした。
さっとルミを背中に庇うマルク。
「すりだ!!」
人混みが、明らかに不自然な動きをしている。
恐らく、スリを働いた人間が人混みをかき分けているのだろう。
そしてどうやら、自分たちの方にやってきているらしいと、マルクとルミは背中合わせで身構える。
「どけどけどけ!!」
人を押しのけながら、或いはすり抜けながら、一人の男がマルクたちの方へやってくる。
後ろから捕まえてくれという声がすることから察するに、手癖の悪い人間が人混みで悪さしたのがバレて逃げているのだろう。
チンピラ如きにビビるような二人ではない。
逃げる奴の目の前に立ち、逃げ道を協力してふさぐ。
「邪魔だあ!!」
スリは、行く手を遮られたことに対して突進を選択したらしい。
それも、見ればわかる通りの女性であるルミの方へ。
男であるマルクよりも、ルミの方が与しやすいと判断したのか。
だが、これは悪手である。
「テメエこの野郎!!」
「ナイス、ルミ!!」
ルミは武芸を嗜む。いや、かなり厳しく鍛えられている軍人である。
逃げようとして身の入っていない猪突など、あしらうのは彼女にとって容易いこと。
押しのけようとして伸ばされたスリの手の手首を掴みつつ、胸倉あたりの服を握りしめて重心を下げる。
そしてそのまま力を流せば、柔道の背負い投げの如き捕縛術の体術だ。
ドシン、という鈍い音と共に、地面に叩きつけられる犯罪者。
いきなりのことで状況を理解しないまま、投げられたことで意識を飛ばして目を回す。
「ふう」
「お疲れさん」
気を失っているスリを押さえつけ、そのまま幾つかの財布をスリの懐から探し当てるルミ。
汚らしい軽い財布と、小奇麗でずっしりと中身の詰まった財布。
恐らくは小奇麗な方がスられた財布なのだろう。
「ん?」
小奇麗な財布が“不自然に重たい”と感じたルミだったが、きっと中身が詰まっているのだろうと思いなおす。
「ああ、追いついた」
ひいふうと息を荒げながら、どこかで見た様なイケメンがやってきた。
どうやら、財布を掏られた被害者らしい。
「これはあんたの財布だろ?」
「あ、ああ」
ルミが、小奇麗な財布を見せる。
案の定、男は自分の財布だと頷いて見せる。
「ほらよ」
「え? お、おっと」
巾着を、ポンと放るルミ。
中身の詰まった重そうなそれが、綺麗な放物線で持ち主の胸元に収まる。
「もう盗られねえように気を付けなよ」
「ありがとう。じゃあせめてお礼をさせてくれないかな」
「要らねえよ。その代わり、この伸びてる奴のこと、任せるぜ」
「分かった。衛兵が来たら身柄を渡すようにする」
男は、財布を取り返してくれたことにお礼をしようとした。
しかし、ルミはそんなものは要らないと言い切る。
明らかに大金が入っているであろう財布にも執着せず、お礼という言葉に見向きもせず、颯爽と去っていくルミを見送るスリ被害者。
「……格好いい」
“身なりの良い外国人”は、ルミの後姿をいつまでも見つめていた。
「“運命の人”を見つけたかもしれない」
◇◇◇◇◇◇
スリ騒動から更に数日。
ヴォルトザラ王国内の神王国公邸。
今日は、いよいよ間近に迫った神王国使節団の帰国に合わせ、フェアウェルパーティーが行われていた。
招待客としてヴォルトザラ王国の貴人も大勢招いており、それなりに広いはずの公邸の広間が、手を広げると隣に当たるほどの賑わいを見せていた。
「ルード団長」
「これは、モルテールン首席補佐官殿。先日来ですね」
今日は公式な行事。
故に、お互いのことは公式の肩書で接遇せねば非礼に当たる。
アモロウスであれば、ソラミ共和国の親善使節団全権団長。ペイスであれば、神王国使節団護衛隊長首席補佐。
どちらも堅苦しい肩書だが、既に裏で交渉もまとまっている間柄であり、どちらも肩肘を張るような真似はしない。そもそも、緊張とは無縁の二人である。
「今日は楽しみましょう」
「ええ」
今日のパーティーは、神王国の国威発揚を兼ねている。
友達の家に遊びに行って出されたお菓子が超高級スイーツであれば、友達の家はお金持ちなのだと考えたりはしないだろうか。
同じように、定型ともいえる型通りのパーティーであるからこそ、振舞われる食事に手間暇をかけ、拘りぬいたものを用意しているのだ。
特に、ペイスが使節団に貸し出したモルテールン家筆頭料理人の功績は大きい。見慣れないはずのヴォルトザラ王国の食材を駆使し、神王国風の素晴らしい料理の数々を作り上げた。
おまけにデザートを作ったのは、言わずもがな、ペイスだ。
折角、大義名分をもってのお菓子作りが、国の金で出来るのだから、ペイスが張りきらない訳がない。
思いっきり公私混同ではあるが、それを許容するだけの腕前なのだから致し方ない。
あちこちに積み上げられた色鮮やかなスイーツは、ペイスの力作ぞろいである。
「神王国というのは素晴らしい国なのですね」
「ええ」
「これからお邪魔するのに、楽しみが増えました」
並べられた美味しい食事や素晴らしいスイーツを堪能したアモロウスは、率直な感想をペイスに伝える。
これほど料理がおいしい国となれば、豊かで素晴らしい国なのだろうと。
ペイスはアモロウスの言葉を否定するでもなく、軽く首肯して見せた。
「ところで、ペイストリー殿の傍に居るこちらの女性は、どういったご関係ですか?」
「今は私の部下です。普段は学生ですが、これも経験と今日は護衛を任せていまして」
今日は、学生たちも会場に居て仕事をしている。
そもそも人員が限られている外国で、大規模なパーティーをするのだ。人手として駆り出されるのは当然である。
会場周辺で警備をするものや、会場内で目を光らさている者、或いは要人の傍で護衛する者など。役割はそれぞれに分かれていた。
「ほう、お名前を伺っても構いませんか?」
「名前? ルミニート=アイドリハッパです。他にも学生たちがおりますので、良ければご紹介いたしますが」
「いやいや、それには及びません」
「そうですか?」
ペイスの傍には、学生が居た。
寄宿士官学校の制服である軍服に身を包み、姿勢よく直立不動で居るのはルミニートである。
将来、モルテールン家の女性陣を護衛することになるであろうルミに、より実践的な護衛業務を経験させるためのペイスの計らいだ。
これもまた経験ということで、真面目に護衛するようにペイスから言いつかっているルミ。
護衛される側が護衛する人間より強いだろう、などと言ってはいけない。
これはあくまでも将来の為の勉強だ。
じっと立つルミ。
そして、それを見つめる男前なアモロウス。
「一つ、モルテールン卿にご相談なのですが」
「何でしょう」
ややあって、アモロウスがペイスに向き合う。
そして、意を決したように発現する。
「ルミニート嬢を私に下さい」
「は?」
いきなり何を言い出すのかと、ペイスも思わず呆けた顔になった。
「彼女に惚れました。結婚を申し込みます」
異文化交流の難しさに、ペイスは頭を抱えるのだった。
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