ディーゼル規制・マラソン…斬新なアイデア具現化、禍根残す施策や失言も数多く

ディーゼル規制・マラソン…斬新なアイデア具現化、禍根残す施策や失言も数多く

石原氏 禍根残す施策も多数

ディーゼル規制・マラソン…斬新なアイデア具現化、禍根残す施策や失言も数多く

東京都議会本会議で笑顔を見せる石原慎太郎さん。当時、現職知事として4選に出馬するかどうかが注目を集めていた(2011年3月)=上甲鉄撮影

 「作家」と「政治家」の間を気ままに行き来し、存在感を放ってきた石原慎太郎さんが1日、亡くなった。1999年から4期13年半の東京都知事在任中は、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで斬新なアイデアを具現化する一方、禍根を残す施策や失言も多かった。強いリーダーシップで戦後日本に一時代を築いた人物が、また一人、世を去った。

 「巨星墜(お)つ。存在感がすごくある人だった。失言もあったが、忖度(そんたく)だらけの社会の中で思ったことを率直に語る人だった」。都知事3、4期目の石原さんを副知事として支え、後継者となった猪瀬直樹さん(75)は1日夕、そう語った。

 一橋大在学中の1956年、デビュー作の「太陽の季節」で芥川賞を受賞。68年に参院選全国区で当選し、72年には衆院にくら替えして当選した。75年に都知事選に立ったが、現職・美濃部亮吉氏に敗れ、翌年の総選挙で衆院に返り咲いた。

 国会議員在職25年を機に、95年に衆院議員を辞職。再び執筆活動をもっぱらとするようになったが、99年には2度目の都知事選に挑んだ。直前まで出馬を迷ったが、自らの暗殺計画を知りながら米国から帰国して命を落としたフィリピンのベニグノ・アキノ元上院議員と自身を重ね、「運命に向かって歩いて行った彼の生きざま、死にざまに感動した」と出馬を決断した。

 都知事就任後は、排ガスの黒いススが入ったペットボトルを振りかざして「皆さんの健康がかなり危ないところに来ている」と都民の危機意識を喚起。業界団体などの反対を押し切って1都3県でのディーゼル車規制導入を実現した。スポーツ振興にも尽力し、2期目の2007年に始めた東京マラソンは、国際的な市民マラソンとして定着。16年の夏季五輪招致には失敗したが、その挑戦は2020東京五輪・パラリンピックの招致成功の礎となった。

 一方で、強引な手法が反発も招いた。都が大手金融機関を対象に00年度から導入した外形標準課税(銀行税)は、公的資金を受ける銀行への不満を巧みにつかんで都民の支持を取りつけたものの、金融機関から「狙い撃ちだ」と猛反発を受け訴訟にまで発展。結局、最高裁で都が税率を引き下げることで和解が成立した。

 貸し渋りに苦しむ中小企業の支援をうたい、都が05年に1000億円を出資して設立した「新銀行東京」も行き詰まった。甘い融資審査で焦げ付きが相次ぎ、出資額の大半は損失の穴埋めに消えた。

 尖閣諸島(沖縄県)を購入する構想発表時の「日本人が日本の国土を守るために島を取得するのに文句がありますか」といった過激でわかりやすいスローガンは世論を味方につける一方、「三国人」発言などの差別的な発言が批判を浴びた。

 14年の政界引退後も、石原都政下で推し進められた施策の過程は、たびたび議論を呼んだ。小池百合子知事就任後の17年には、豊洲市場の土壌汚染問題を巡り、築地からの移転決定時の最高責任者として都議会百条委員会で証人喚問に臨んだ。足取りはおぼつかなく、「記憶にない」などと繰り返した。

 小池知事は1日夜、報道陣の取材に「(石原さんは)数え上げれば、きりがないほど功績を残した。ご冥福(めいふく)をお祈りしたい」と話した。

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