半世紀前のTMS 1967年5月号➊
立春までもう少しの今が寒さの底、倉元駅アナログ制御はまだ完結してませんが、チョイと一休みして半世紀前のTMSネタです。
【TMS1967年5月号】
表紙写真は前月号に製作記事第1回が掲載されたK氏の木造機関庫です。
1.見開き天賞堂広告
天賞堂はライブスチーム運転会を頻繁に開催してた様です。 勿論製品販売目的もあったでしょうが、数十万の上の方の価格、鉄道模型の裾野を広げる意図もあったと思われます。
前月号に2月12日交通博物館開催運転会の様子が紹介されてましたが、今月広告は銀座三越屋上、GWに交通博物館での開催予告が入ってます。
GWの交通博物館ライブスチーム運転会と同時に、同館レイアウトで車両持ち込み運転会が開催された様です。 貸レイアウト屋などない時代、さぞや盛況だったと思われます。
2.作品グラフ&製作記-1 東武1710系
この号の巻頭を飾ったのは東武特急用車両1710系2連です。
東京-日光間の国鉄vs東武の乗客争奪戦は『日光戦争』と呼ばれ、国鉄のキハ55投入に対し特急用5700系、国鉄日光電化スピードアップ対抗策として登場したのが1710系でした。
作品は全真鍮製フルスクラッチ、広窓化・エアコン装着改修後の姿を再現してます。 ドア脇窓がオリジナル窓幅、広窓化後選択理由が解ります。
作者は東武沿線在住で、スッキリしたデザインでありながら薄命に終わった1710系に愛着を持たれた気持ちに共感を覚えます。 筆者もこの車両が好きで乗車経験があるからです。
写真では20m車に見えますが実は19m(1/80で225mm長)の珍しい全長です。 薄命と書いたのは2-3年後に登場して30年東武車両の頂点に君臨した1720系に座を奪われたからで、1700/1710系は1720系に改修されており、元形式での廃車がありません。
【1720系】・・・通販模型店サイトより
コチラが「きぬ」「けごん」として活躍した1720系、ケバいお面は好みではありません。
東武1710系/1720系を見ると、登場順番は逆ですが国鉄キハ81系/キハ82系を連想します。 151系こだま型亜流の屋根上運転台車両の成功例は少なく、構造は異なりますがデザイン的に成功したのは小田急NSEだけではないでしょうか。 閑話休題、工作記に戻ります。
屋根の曲げ、裾の絞り、図面はあっても指先感覚頼りの工作、場数を踏まないと勘所習得は難しかったと思います。
市販パーツ買って来て取り付ける訳ではありません、エアコンも床下機器も全て手作りです、Nが鉄道模型の楽しみ方を大きく変えたと改めて思います。 そうそう筆者乗車経験書くのを忘れてました、1962年です。
【1963年9月時刻表復刻版】
当時の東武時刻表で日光線『D特』表示が1720系、所要時間1時間45分、料金300円は国鉄遠距離急行と同じです。 特急/急行が1710系だったと思われます。 筆者乗車経験は下段伊勢崎線急行、母の実家館林まで浅草からノンストップ、料金100円は国鉄準急券と同じでした。 1710系2連+2連で伊勢崎への分割・併合運転してた事が時刻表から解ります。
3.作品グラフ&製作記-2 ナロー森林タンク
作品グラフ2番手はHOn3、1/87スケールの森林タンクロコ小編成です。
HOn3の意味は3フィート762mm軌間鉄道のHO1/87スケールなので、普通は軌間9mmレールを使いますが、このモデルは10.5mmです。 作者はすでにナローレイアウトを製作されてる様で、本文中に記載ありませんがモーター収納条件での10.5mm選択かもしれません。
2軸サドルタンクロコにフラットカーとカブースの小編成です。
筆者は無煙化時25歳、蒸機に間に合いましたが、軽便鉄道には今一歩間に合わなかった世代です。 昭和30年代後半、道路網整備、バス路線拡充時代に大半が姿を消しました、空前のマイカーブームが到来する前夜の事です。(興味があればまだ存在してましたが・・・)
動輪はφ8.5mm既製車輪を分解し、ギアを嵌め込んで再組みする手間をかけてます、ナローファン読者も居ると思いますので図面を掲載します。
当時の小型機や床下駆動専用とも言えるDH10をこの様に収納してます。 キャブ内一杯をモーターが占領せず、外観の軽快さを保っています。
ヘッドライト点灯式で、模型にダイオード使えない時代なので小型セレン整流器を一部切って収納してます。 煙突にはガーゼをラッカーで固めた火の粉除けが組み込まれてます。
直径1m弱、長さ8mの丸太3本で一杯になるフラットカー図面です。
デッキ材料は折詰弁当容器、身近に流用可能素材があったのも時代を感じさせます。 所々穴を空けて古びた感じを演出してます。
最後に掲載されたカブース図面も添付しておきます。 今回はここまでにします。
ではまた。