昭和レトロ
白黒テレビ時代に14インチテレビの前に取り付けました
ブラウン管テレビ用ワイドレンズ/画面前に置く拡大レンズ白黒テレビに青い板つけて見てました昭和レトロ
白黒テレビをカラーにするフィルター 偽装派
カラーテレビが高かったころ、白黒テレビがカラーになるというふれこみで売れていた青、赤、緑のフィルター、白黒テレビの上にステイをつけて画面の前にかぶせます
上部が青で空になり中部が赤で人顔になり下部が緑で大地で
なんとかカラーに見えるとゆう代物
昭和レトロ
白黒テレビをカラーテレビにする本格的もの
3つの白黒テレビ(赤・緑・青)を鏡で合成する
「トリネスコープカラー受像機6CT-333型」というカラーテレビです。日本でカラーテレビ放送が開始されたのは1960(昭和35)年のことでしたが、当初はカラー放送の時間が短く、カラーテレビも大変高価だったのであまり普及しませんでした。しかし、1964(昭和39)年の東京オリンピックを前に家電メーカーは安価なカラーテレビの開発に取り組み、オリンピックの前年に三菱電機が開発したのがこの「トリネスコープ」でした。このテレビは横幅よりも奥行の方が長いというちょっと変わった形をしているのですが、これには理由があります。この中には奥から緑・青・赤のブラウン管が3本も入っているのです。そして、この3本のブラウン管に映った緑・青・赤の単色映像を、ミラーによって光学的に重ね合わせてカラー映像とし、それが6インチの画面に映し出されるという仕組みになっています。白黒テレビのブラウン管を転用できたので価格を抑制することができました
昭和レトロ
白黒テレビをカラーテレビにする本格派 その1
イトー式カラーアダプター
白黒テレビの前面で、B/R/G/B/R/Gのフィルターを放射線状に直径650mmの円盤にしたものを同期信号に合わせてモーターで回転させるものです。
これは完全にカラーになりました私し動かしました
昭和レトロ
白黒テレビをカラーテレビにする本格派 その2
国際TVカラーアダプター
これは眼鏡状のファインダーを目の前にかけて、カラーを見ようというものです、
目の前で円盤が回るので、テレビの方はたとえ19インチでも21インチでもかまわないのです
1960年代〜1980年代のテレビの広告
【イギリス】テレビ中継の視聴や録画には許可証が必要な英国で7000世帯超が白黒テレビを視聴
2018/11/09(金)
ロンドン(CNN)
英国の団体「TVライセンシング」は9日までに、国内の7000世帯以上が今でも白黒テレビを利用しているとの調査結果を発表した。英国でカラーテレビの放送が始まったのは50年以上前白黒テレビの受信許可証が最も多く交付されている場所は首都ロンドンで、1768枚に上る。これに続きウエストミッドランズで431枚、北部のグレーター・マンチェスターで390枚となっている白黒テレビの受信許可証は近年、発行数が落ちている。2000年は21万2000枚だったが、15年には1万枚を割ったTVライセンシングの広報担当者は声明で、英国内のテレビの半数以上は現在インターネットに接続されていると指摘。これを踏まえると、「白黒テレビでお気に入りの番組を視聴する世帯が7000以上も残っているのは興味深い」と述べた英国では、テレビ中継の視聴や録画には許可証が必要となる。カラーテレビの許可証は150.50ポンド(約2万2400円)と、白黒テレビの3倍の額になっている。
・7,000 UK households still watching TV in black and white
テレビのリモコンの昔昔のお話 その1
ズバコン
リモコン付きテレビの先駆けが、
昭和46年発売のサンヨーカラーテレビ・ズバコン(149.000円)懐中電灯みたいなリモコンで、チャンネルがガチャガチャと回ってたっけな ただし、このリモコン難点があって、大きな生活音に誤作動を起こすこと特に鍵のカチャカチャ音で誤動作する二個のボタンがあり、それぞれボタンを押すと(かなり重い)キンコンおおきな音が出ますTV側にマイクがあり、音叉の音に反応して電源ON/OFFチャンネル回転(ゴトン ゴトン)と回ります音量UP/DOWNは出来なかったと思います初期型の音叉式リモコンは欠陥商品といえるもので、バラエティ番組で会場の人が笑ったり音楽の音でその周波数帯域の音が出ると勝手に電源が切れちゃったり、勝手にチャンネルが回り出したりします日本での家庭用のリモコンとしては、昭和30年代にテレビ用に有線式のものが実用化された。1970年代初めには、サンヨーのズバコンをはじめとする超音波を用いた無線式リモコンが実用化されたが、身近な音(鍵のガシャという音)などに反応して誤作動を起こしやすかった。そのため、赤外線式リモコンが開発され、現在ではこの方式が広く一般的に使われている。
初期のテレビのリモコンは、テレビ本体の回転式チャンネルと同様のインターフェースを有していた。その後、ボタン式が採用されたが、そもそも当時のテレビが複雑な操作を必要としなかったため、チャンネル切り替え用のアップ・ダウンボタン(ダイレクト選局ではなかった)と音量調節用のボタンを備える程度の単純なものであった
テレビのリモコンの昔昔のお話 その2
【魔法のピストル】
リモコンですテレビに向けてスイッチを押すと、先端がピカッと光りまなんと、テレビチャンネルが変わりました
。話には聞いたことがありましたが、映像に残っているのは初めて見ました。なんと貴重な!
すると……、 回転式チャンネルが自動的に回り……まあ光線銃ですね
テレビのリモコンの昔昔のお話 その3
新ズバコン
FM変調の超音波操作方式・・・これで誤作動が少なくなつた
テレビのリモコンの昔昔のお話 その5
有線リモコン
テレビのリモコンの昔昔のお話 その6
有線リモコン
超音波リモコンはなぜ消えたか?
超音波リモコンを最初に作ったのは、1956年米国ゼニスエレクトリック社のロバート・アドラーでしたSpacecommand 彼のリモコンは、4本のアルミの棒を叩いて超音波を発生させるものです。アルミの棒の長さを微妙に変えて周波数の違いを出しているとのことです。「Zenith Space Command」というネーミングで売り出されています1960年代には、日本にも棒を叩く方式のリモコンがあったようです電波によるリモコンも開発されましたが、電波では隣の家のテレビを操作してしまう可能性があり、普及しませんでした空気中を飛ぶ超音波は、壁を越えて隣に伝わることはまずありません音響インピーダンスの差が大きいからです指向性も直進性もあります。リモート信号の媒体としては、有望なものでしたF363qpit 日本では、サンヨーが1971年超音波を使ったテレビリモコンを発売しました懐中電灯のような形をしていますこれがいつまで売られていたのかはわかりません誤作動が多かったことが、その後の経過から推測できます。根拠はないのですが、20kHz前後の超音波を使っていたのではないかと推測していますSanyorimocon2_1 1975年サンヨーは「新ズバコン」と名をつけて、超音波式のリモコンで操作するテレビを発売しました。売れっ子のキャンディーズをCM使って大々的に売り出していますその年、このリモコンを製造して販売する会社(日本セラミック株式会社)が創立(1975年6月)されています。(日本セラミック株のHPによれば、「三洋電機㈱と共同開発したテレビ遠隔操作器具の量産開始」が同年11月)これから見ても「新ズバコン」は並々ならぬ自信と展望をもって発売されたことが読み取れます1971年に発売された超音波リモコン「ズバコン」とは、大幅に違うものができたということでしょう。では、何が画期的だったのでしょうか可能性のひとつは圧電材料の採用です。40kHzの超音波を発することができますもうひとつの可能性は、信号のデジタル化。圧電材料を使うと高周波の超音波を発することができますが、周波数はひとつに決まってしまいます。そうすると音が出ている(ON)出ていない(OFF)で0と1を組み合わせて信号を作るという発想につながりそうです。多分1971年のものに比べると、誤動作はずいぶん少なくなったのだろうと思います。(1971年のものは、特定の周波数の音を受信したらそれに対応する動作をした?)
その当時(1975年)のキャンディーズのヒット曲は「年下の男の子」、「LOVE 投げキッス~♪」と軽快に歌われています。座ったままでテレビに触れずにチャンネルが変えられる。まぁ、投げキッスですね。売れたようです。キャンディーズもこれ以降超売れっ子になっていきます。
それでも、誤動作がなくなったわけではなかった
特に、金属がぶつかる音、ピアノの高い音などに超音波領域の周波数が含まれていたのでしょう。勝手にチャンネルが回る、ということがあったようです。
少なくともミリ秒のオーダーではインターバルを取っていたでしょうが、速いピアノの演奏では倍数で同期したなんてことがありそうです。
1977subacon デハボ1000さんの証言によれば、クレームに対してメーカーは新しいテレビと長い棒を送ってきたといいます。超音波の棒ではなく、木か金属の棒で操作して・・・ということです。多分これは1977年。サンヨーのカタログには、1977年にそれまでのダイヤルを回す式のチャンネルからタッチスイッチ式のチャンネルを装備したテレビが登場します。
ダイヤルを回す機構の破損回避(リモコンによってチャンネル切り替え頻度は高まったと思われる)、ON・OFFを繰り返すリモコン信号への対応からアナログ操作の象徴ともいえる、ダイヤルがテレビの前面から消えたのでしょう。
おそらくこの2年間に、超音波による信号の送受信で、周囲の超音波を拾って誤作動しない信号処理の方法が研究されたことでしょう。私は、圧電素子を使った超音波リモコンを市場にだすことによって、デジタル通信によるリモコンが始まり、誤動作への対応に追われながら進化をしていった、と見るのです。
そうこうしているうちに、この件でのその年、1978年を迎えるのです。
そう、1978年4月4日後楽園ホール、キャンディーズの解散コンサート、ではなくて、赤外線リモコンの開発です。赤外線リモコンの光源は発光ダイオード(LED)を使っています。リモコンにLEDが使われるようになって、LEDの価格が大幅に下がったといわれています。LEDと比べれば、超音波は立ち上がり特性も立ち下がり特性も格段に劣ります。デジタル信号の送信媒体としては、かないそうにもありません。リモコンのデジタル信号化を先駆けながら、颯爽と現れた赤外線LEDに主役の座を奪われた、ということでしょう。
キャンディーズが解散直前の1977年12月に発売したシングル「わな」では、2年前には「LOVE 投げキッス」と微笑んでくれていたのに「あいつは しくじった~♪」と何度も繰り返されます。そこまでいうか、という感じがします。
女心の変遷は男にはかりし知れないものがあります。美しき女性のココロを遠隔操作しようなどということはゆめゆめ考えてはいけません、ねぇご同輩。おあとがよろしいようで・・・。
注:よく読んでいただければわかりますが、一応の調査に基づく記述と、想像・推測の部分があります。実はこうだった、ということをご存知の方、ぜひ情報をお寄せください。
赤外線リモコン
日本での家庭用のリモコンとしては、昭和30年代にテレビ用に有線式のものが実用化された1970年代初めには、サンヨーのズバコンをはじめとする超音波を用いた無線式リモコンが実用化されたが身近な音(鍵のガシャという音)などに反応して誤作動を起こしやすかった。そのため、赤外線式リモコンが開発され1970年代末頃から普及し始め、現在ではこの方式が広く一般的に使われている赤外線リモコンのデータフォーマット(信号の様式)は、コードと呼ばれる一連の符号になっており、その多くでは制御される側の機器を区別するカスタムコードないしデバイスコード(固有の識別子)と、各々の動作を指定するためのデータコード(例えばテレビなら「電源を入り切りする」や「チャンネルを切り替える」など)の組み合わせから成る。そしてリモコン側のボタンを操作すると、カスタムコードとデータコードが一連の信号となって発信されるよう設計されている赤外線リモコンのデータフォーマットに統一的な規格は存在しないしたがってメーカーごとにデータフォーマットの様式は異なる。ただし、実際には信号を制御する集積回路メーカーやリモコンそのものをOEM生産するメーカーが限られており、一定のデータフォーマットの集約がみられる。なお、データコード部には制御される側の機器メーカー(ベンダ)独自の拡張仕様をもつものもある代表的なデータフォーマットには次のようなものがある。
NECフォーマット
ソニー以外のほとんどの映像音響機器に使用されているデータフォーマット[4]。送信データは16ビットのカスタムコードと、それら機器の動作を決める16ビットのデータコード(実際には8ビットのデータコードと、その反転コードの組み合わせ)から構成される。カスタムコードのベンダーへの割り当ては、ルネサスエレクトロニクスが管理している。
家製協フォーマット
生活家電機器に多く使用されているデータフォーマット[4]エアコン・照明器具・温水便座・一部メーカーの映像音響機器などである。送信データは制御側機器を区別する20ビットのカスタムコードと、任意長のデータコードから構成される。カスタムコードのベンダーへの割り当ては、財団法人家電製品協会が管理している
SONYフォーマット
もっぱらソニー製品に使用されるデータフォーマット[4]。7ビットのデータコードと、5から13ビットのデバイスコードにより構成されている。
赤外線リモコンはデータフォーマットごとに信号の構成こそ異なるが、いずれも38~40kHzの搬送波出力のONとOFFを変調し、これを1または0のビットとして伝送する仕組みを用いている物理的にはピーク値が950nm程度の赤外線を使用し、38 - 40kHz(約25μs)の明滅パルスを搬送波(キャリア)として、それをさらにミリ秒(1/1000秒)という周期で点滅し、この点滅する間隔や長さを変化させることで二進符号化を行っている点で共通している。いわゆる学習リモコンが、多種類のリモコンのシグナルに対応できるのは、このような基本部分でのフォーマットが共通しているからである。
日本国内では上記のフォーマットやベンダーコードが重複しないよう配慮され、信号内容の違いにより混信や誤動作を防いでいるが、日本製品以外の家電製品では、このフォーマットに配慮しないで製造されたものもある。このため、輸入された家電品が日本製の別の機器に付属するリモコンの信号で誤動作するものがあることが知られている
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[再]第58回 デジタル数字の元祖 ニキシー管の巻 昔の機械を使ってニキシー管を見ていきます。[1ch] 【ザ・昭和レトロチャンネル】
電子の技術ーテレビジョン 東京シネマ1961年製作
新しい暮らしを創るー松下電器 東京シネマ製作
'77-80 家電CM集 vol.5 テレビ1
78-85 家電CM集vol.10 テレビ3
【キャンディーズ】【CM】 1976 三洋電機 サンヨーブラックシャーシ
懐かしCM集1950年代~60年代
映像へのこだわり50年 「テレビを変えた日立の技術」 - 日立
テレビの生みの親 高柳健次郎
俺はアイコノスコープだ I am a Iconoscope (english subtitles)
神戸工業 富士通テン その1
神戸工業 富士通テン その2
神戸工業 富士通テン その3
伸びゆき富士通テンの電子工業(神戸工業)
第155回 藤枝市郷土博物館昭和レトロ家電展ありがとうございましたの巻 藤枝市郷土博物館・文学
第121回 放送局や編集用の機材引取りの巻 中川電氣 映像・同期信号分配増幅器など [9ch] 【ザ・昭和レトロチャンネル】
第120回 歴史的資料放送局のテレシネなど機材引取りの巻 北辰電気 TV用間欠式16mm映写機 TC-600 [9ch] 【ザ・昭和レトロチャンネル】
第276回 鳥取の電気店より貴重なラジオ大量の巻 [1ch] 【ザ・昭和レトロチャンネル】
VHFの歌 マイクロ波無線通信
Tomorrow Television, 1945
カラーテレビ
カラーテレビ( Colour television)とは映像に色が付いているテレビジョン放送、またはこれに対応したテレビ受像機である。
日本で登場したばかりの頃は「総天然色テレビジョン」と呼ばれていた。
三原色の分解変換方法
モノクロ画像をカラーにするため三原色に分解変換する必要があるが、現在のNTSC・PAL・SECAMといった方式が出来上がるまでに模索期があり、大別すると「フィールド順次方式(逐次方式)」と「同時方式(並列方式)」、並びに後者に準じた「点順次方式」となる
フィールド順次方式(逐次方式)
- テレビ画面を1コマ(フィールド)ごとに赤・緑・青と切り替え、これを高速化することで残像現象で自然な色彩像になるというもの
- CBS方式(Columbia Broadcasting System)
- 撮影時に赤・緑・青の色を放射状に配置したフィルター円盤を撮像管の前に置き、これをフィールドと同期するように回転させ、飛び越し走査時に6フィールドで完全なカラー画像ができるようにして、受像機側でも同じように同期したフィルター円盤を置いて回せば天然色に見えるという仕組み。名前の通り、CBSが開発したもの。
- 長所は機構が単純で、当初は同時方式に比べ価格が安かったこと。画像の重ね合わせが不要で既存の白黒テレビを改造してカラーにすることもできた(1966年当時で2、3万円ほどのコスト。)ので、後述の短所が問題でない工業用テレビには比較的盛んに利用された
- 短所は白黒テレビより毎秒フィールド数を増やさないとちらつきが生じ、アメリカでは毎秒144フィールド(通常の白黒テレビは60フィールド)が必要だったため、番組が白黒テレビと互換性がなく、映像周波数帯が多く必要だったので放送用には適さなかった。また、構造上フィルターをモーターで回すので騒音が発生し、受像機大型化につながったため昭和44年時点ですでにほとんど使用されなくなった
- 長所は機構が単純で、当初は同時方式に比べ価格が安かったこと。画像の重ね合わせが不要で既存の白黒テレビを改造してカラーにすることもできた(1966年当時で2、3万円ほどのコスト。)ので、後述の短所が問題でない工業用テレビには比較的盛んに利用された
同時方式・点順次方式
- 赤・緑・青の信号を同時に送りだすというもの。NTSC方式はこれの代表例。白黒放送の映像も見ることができ、上位互換性を保っている。また白黒テレビの受像器でも色は付かないものの映像を見ることができ、下位互換性を保っていることが強み(両立性)となり、こちらが主流になった。
- 三撮像管式(RCA式)
- 撮影時にダイクロイックミラー(特定の色のみを反射・透過する鏡)で3つに分けた光をそれぞれフィルターで三原色の画像にし、これを1つの電波で送り出す。そのまま送りだすと3倍の周波数帯が必要になるが、現実にはごく小さい面積では人間が色を見分けられないので小面積は輝度信号だけ送るようにして白黒テレビと同じ周波数帯で送れる。その後受像機側で三本のビームを重ね合わせる。RCAの手になる。
- 長所は三色の映像信号を合成すれば輝度信号になるので白黒テレビでも受像できること
- 短所は3つのカメラで同時撮影するので、わずかな像のひずみも色ずれや色むらになるので調整が難しいこと、受像機も同じ問題があるので設置後移動すると問題が出る場合があった
- 長所は三色の映像信号を合成すれば輝度信号になるので白黒テレビでも受像できること
- 点順次方式
- カラー信号に精細度が不要であることを積極的に利用し、撮像管の前に赤・緑・青の細かい縦縞のフィルターを置き、出力信号を一連の三原色繰り返し信号(緑→青→赤…など)にして、各原色ごとに分離後低域フィルター(比較的低い周波数しか通らない回路)に入れれば平均化して連続的な原色信号が得られる。
- 長所は撮像管の数を減らせる事、色ずれが起きない事
- 短所は回路が複雑になる事
- 長所は撮像管の数を減らせる事、色ずれが起きない事
- 分離輝度方式
- 点順次方式では三原色信号を重ね合わせても先鋭な輝度信号を得られないので、もう1つ輝度信号用の撮像管(白黒用と全く同じ)を用意したものでハーフミラーで輝度とカラーの信号に分離後、カラー側のみ点順次方式の手順を踏む(二管式)なお三撮像管式にも分離輝度方式は応用でき、この場合撮像管が4本必要になる(四管式)
- 長短は点順次方式に準じるが、輝度信号がより先鋭になる長所と撮像管がもう1本増えて複雑化する短所がある
歴史
カラーで画像を送る発想は1928年、イギリスのJ・L・ベアードが、三重スパイラルニポー円盤を使用して行った試みが最初で、翌年アメリカのベル研究所で飛点走査方式による実験が行われた
ブラウン管を使った実用的カラーテレビ方式の実験は、1940年のアメリカ・コロンビア放送による初期CBS方式の実験が最初だが、戦争のため中断され、戦後これが再開されて、1950年に一度CBS方式がアメリカのカラーテレビ放送の標準方式としてFCC(連邦通信委員会)に採用されたが、RCAを中心とするアメリカ電子工業会では従来の白黒テレビではCBS方式が全く受像できないことを理由に反対し、全米テレビジョン方式委員会(NTSC:National Television System Committee)を組織して全電子方式を開発し1953年に公表、同年FCCはNTSC方式を標準方式として採用し、日本でも1960年にこの方式の採用が決定された。
(これ以外の放送方式には、ヨーロッパで使われるPAL方式やフランスやロシアで使われるSECAM方式がある。)
世界初のカラーの本放送は1954年1月23日、米NBCのニューヨーク局であるWNBC局が最初である。日本では1960年9月10日に本放送開始
ただし、この後すぐにカラーテレビが広まったわけではなく、アメリカでも1965年4月時点で白黒テレビ5260万台に対し、カラー330万台(推定)と白黒テレビの1割ほどでこの年の後半になってから普及が活発化して三大ネットワークの1つであったNBCがゴールデンアワーの95%をカラー放送し、残りのCBS・ABCもこれに刺激されて50%をカラー化した
日本ではさらに遅く、1965年時点でも受像機の全国台数は5万台以下で、カラー番組の週間合計時間も東京の4社(NHK・日本テレビ・TBSテレビ・フジテレビ)が30時間程度という状況で、かつ民放のカラー番組もカラーテレビの普及促進上、家電メーカーの一社提供がほとんどという有様だったが、1964年の東京オリンピックを契機に電電公社の国内中継路線のカラー規格化がなされ、撮影方法・受像機共に画質の改善も行われたりした結果、受像機の生産台数もこの時期に急激に伸び始めた
1968年4月からNHKがラジオ契約を廃止してカラー契約を創設することにより、カラー放送を大幅に増やしたことなどから普及が促進され1968年頃から1970年代にかけて「ユニカラー」(東京芝浦電気(現・東芝))、「パナカラー」(松下電器産業(現・パナソニック))、「キドカラー」(日立製作所)、「トリニトロンカラー」(ソニー)、「サンカラー」(三洋電機)、「純白カラー」(日本ビクター(現・JVCケンウッド))、「ロングランカラー」(シャープ)、「ダイヤトロン」(三菱電機)など各社から高性能カラーテレビが出揃った。それと同時に大量生産で値段が下がったことによって爆発的に普及し、1973年にはカラーテレビの普及率が白黒テレビを上回った
1969年には日本が世界で生産第1位国になるものの、1970年に日本国外において国内よりも廉価で販売していたため、アメリカ政府からダンピング認定を受け、同年日本国内で消費者団体によりカラーテレビ買い控え運動を推奨され、各メーカーは国内価格値下げを余儀なくされた
その後は日本国外への工場移転が進み、日本国内生産は薄型テレビへとシフトしていった。
カラーテレビの普及促進などの目的から、カラーテレビ時代を意識した番組やプロスポーツチーム(読売ジャイアンツ・オークランド・アスレチックスなど)も存在した
カラーテレビ普及初期の番組表には、カラー放送の番組には「カラー」の表記あるいはそれを表す記号がされ、テレビ放送でも番組開始の冒頭でカラー放送を示すマーク「【カラー】等、局によって異なる」を数秒間表示していた。逆にカラー放送が急速に普及し、相対的に白黒番組の減少が著しくなった1971年頃より、白黒放送の番組に「モノクロ」と表記あるいはそれを表す記号がされるケースも見られた。
カラー放送であることを示す「INCOLOR」アイキャッチが海外のアニメでは冒頭に入っている場合があるが、日本での放映時では省略されることが多い
日本で、再放送等を除いて完全にカラー放送となったのは1977年10月1日であった(NHK教育の完全カラー化によるもの)。新聞表記の「モノクロ」表記およびそれを表す記号もこの時期までに消滅した。
カラー契約
日本放送協会(NHK)はかつて日本放送協会放送受信規約に於いて、カラー契約、普通契約、衛星カラー契約及び衛星普通契約の4つを設け、カラーとモノクロを区別していた。
2007年10月1日に施行した現行の日本放送協会放送受信規約では、カラー契約及び普通契約は地上契約に、衛星カラー契約及び衛星普通契約は衛星契約にそれぞれ統合されている。
テレビの歴史
1940年代以前
- 1926年 - 12月25日、浜松高等工業学校の高柳健次郎が浜松高工式電子式テレビ受像機(ブラウン管テレビ)を開発発表した。撮像に機械式のニプコー円板を、受像に電子式のブラウン管を用いた。「イ」の字を表示させたことで知られる。この功績により高柳は「日本のテレビの父」と呼ばれた
- 1930年3月17日 - 1925年から早稲田大学の山本忠興や川原田政太郎はテレビジョンの研究に着手し、30年に早大式テレビ(機械式テレビ)を完成し公開した。同30年に山本はこの発明により十大発明家の一人として宮中賜餐の栄に浴した
- 1931年7月 - 川原田らは早稲田大学戸塚球場にて行われた同学野球部の試合を、理工学部実験室まで送信することに成功した。これが世界初の屋外実況中継となる
- 1931年 - 日本放送協会(省略NHK)放送技術研究所でテレビの研究開始。
- 1932年 - 早大式は有線から無線電波式に改良された
- 1933年 - 早大式に日本放送協会から多額の研究資金が提供され、同年秋に日本最初のテレビジョン研究室が同大学構内に建設された
- 1934年 - この年の1月12日付の新聞で山本は「将来的に映画に匹敵する画質」「生中継ではなく、撮影を行い、適宜に編集を行った上で放送するようになる」と発言している
- 1935年3月 - 5月まで横浜で開催された関東大震災復興記念横浜大博覧会にて、逓信省電気試験所の曽根有(山本忠興門下)らが開発したテレビジョン電話試作機が展示された。テレビ電話の先駆けとなるこの機械は、双方の視線をちゃんと合わせる改良が施された後、1937年以降は大阪市立電気科学館に設置された
- 1937年 - この頃から高柳がNHKに出向し、1940年に予定されていた東京オリンピックを見据えてのブラウン管式テレビジョン研究に参加する
- 1939年 - 3月に日本でNHK放送技術研究所によるテレビ実験放送開始。5月13日には公開実験
- 1940年 - 4月13日、日本初のテレビドラマ「夕餉前」の実験放送。東京オリンピックは日中戦争激化の影響などを受けて中止となり、テレビジョン研究は中止され、技術者は無線通信やレーダーの開発を求められた
- 1945年 - 敗戦直後、日本のテレビ研究がGHQにより禁止される
- 1946年 - 高柳は弟子らと共に日本ビクターに入社しテレビジョンの研究を続けた。7月、テレビ研究禁止令が解除され、11月よりNHKが研究を再開した
- 高柳が中心となりNHK、シャープ、東芝と共同でテレビジョン放送技術とテレビジョン受像機を開発した
1950年代
- 1950年 - 5月、電波法・放送法・電波監理委員会設置法の「電波3法」施行。
- 1951年 - GHQの要請により電波監理委員会メンバーが視察のため渡米その後その後、アメリカから3人のコンサルタントが来日。軍事戦略のひとつとして占領国でのテレビ放送利用を重要視していたアメリカの圧力によりアメリカ式(NTSC方式)の技術標準が日本で採用される
- 1952年 - 松下電器産業(パナソニックの前身)が日本初の民生用テレビを発売
- 1953年
- 1954年 - 4月、電電公社の整備による放送用無線中継回線が開通。
- 1955年 - 4月1日、ラジオ東京テレビ(コールサインJOKR-TV)がテレビ放送開始。ラジオ局として発足した放送局による初のテレビ放送開始。TBSテレビの前身。
- 1956年 - 12月、NHKのカラーテレビ実験放送開始(UHF帯を使用)
- 1957年 - 12月28日、NHK東京・日本テレビがカラー試験放送開始(VHF帯を使用)
- 1958年
- 1959年
- 1月10日 - NHK教育テレビジョン開局
- この時期、教育放送局、準教育放送局として開設される民間放送局が相次いだが、いずれものちに総合放送局に改組している。
- 前年1958年からこの年にかけて多くのテレビ局が開設され、4月10日の皇太子明仁親王御成婚の中継特別番組をきっかけにテレビ受像機が一般家庭に普及し始める。
- 8月1日 - 上記の特別番組制作をきっかけにKRTなど16局がJapan News Network(JNN)を形成。日本初のニュースネットワーク(これ以外のネットワーク成立史についてはニュース系列#歴史参照)。
- 1月10日 - NHK教育テレビジョン開局
- この時期、教育放送局、準教育放送局として開設される民間放送局が相次いだが、いずれものちに総合放送局に改組している。
- 前年1958年からこの年にかけて多くのテレビ局が開設され、4月10日の皇太子明仁親王御成婚の中継特別番組をきっかけにテレビ受像機が一般家庭に普及し始める。
- 8月1日 - 上記の特別番組制作をきっかけにKRTなど16局がJapan News Network(JNN)を形成。日本初のニュースネットワーク(これ以外のネットワーク成立史についてはニュース系列#歴史参照)。
1960年代
- 1960年 - 9月10日から、カラーテレビ本放送開始(NHK東京・大阪の総合・教育両テレビ、日本テレビ、TBS、読売テレビ、朝日放送)これに合わせ、東京芝浦電気(のちの東芝)と日立製作所、松下電器産業が国産カラーテレビを発売。
- 1961年 - 映画会社の新東宝倒産にともなってフィルムが放送業界に売り払われ、9月頃から順次テレビ放映される。事実上の六社協定(五社協定)の緩和
- 1963年
- 4月16日 - 放送批評懇談会が発足
- 9月 - 難視聴地域共同受信施設設置事業者の郡上八幡テレビが独自制作の番組を放送開始。日本初のコミュニティチャンネルとされる
- 11月23日 - 衛星中継回線を用いた初の日米同時放送(左記の日付は日本標準時)。アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの演説を放送する予定だったが、中継直前に起きたケネディ大統領暗殺事件を伝えるニュース速報に差し替えられた
- 1966年 - 3月、全国のすべてのテレビ局が回線上でカラー番組をやり取りできる態勢が確立
- 1968年 - 2月20日、日本初のUHF局であるNHK徳島教育テレビが本放送開始
- 1969年 - 日本のテレビ受像機生産台数が世界1位になる。
- 4月16日 - 放送批評懇談会が発足
- 9月 - 難視聴地域共同受信施設設置事業者の郡上八幡テレビが独自制作の番組を放送開始。日本初のコミュニティチャンネルとされる
- 11月23日 - 衛星中継回線を用いた初の日米同時放送(左記の日付は日本標準時)。アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの演説を放送する予定だったが、中継直前に起きたケネディ大統領暗殺事件を伝えるニュース速報に差し替えられた
1970年代から1990年代
- 1970年 - NHK、東京と大阪でNHK UHFテレビ実験局を開設、UHFテレビ放送の試験運用を開始(1975年4月まで)
- 1972年 - 有線テレビジョン放送法が成立。このあと、全国各地でケーブルテレビ会社の設立が相次ぐ。
- 1973年
- 1978年
- 1982年 - エプソンがテレビ付き腕時計「テレビウオッチ」を開発。
- 1983年 - エプソンが液晶ポケットカラーテレビ「ET-10」を開発。世界初のTFT液晶テレビ。
- 1984年 - 1月23日、放送衛星ゆり2号a打ち上げ成功
- 1985年 - 11月29日、文字多重放送の本放送が開始
- 1989年 - 6月1日、「ゆり2号a」を用いたNHK衛星テレビジョン(NHK-BS)が本放送を開始。日本初の衛星放送。
- 1990年 - 11月30日、日本初の民間衛星放送局である日本衛星放送(JSB・WOWOW)が「ゆり3号a」を用いて試験放送を開始。翌年4月1日より有料の本放送を開始
- 1992年 - 通信衛星を用いた初の「CS放送」として、5月に「SUPERBIRD B1」によるスカイポートが、10月に「JCSAT-2」によるCS BAANが、相次いで専門チャンネルの有料本放送を開始
- これ以降の衛星放送の歴史については日本における衛星放送#歴史参照
- これ以降の衛星放送の歴史については日本における衛星放送#歴史参照
2000年代以降
- 2003年 - 12月1日11時00分、東京、名古屋、大阪を中心にISDB-T方式による地上デジタルテレビ放送を開始
- 2006年 - 4月1日11時00分、移動体受信機向けの地上デジタルテレビ放送、通称「ワンセグ」が29都府県で開始
- 2011年 - 7月24日12時00分、東日本大震災の被災3県(岩手、宮城、福島)を除く44都道府県で地上アナログ放送終了
- 2012年 - 3月31日12時00分、岩手、宮城、福島のアナログ放送が終了。日本全国でテレビ放送の完全デジタル化が完了し、1926年の開発開始から86年の歴史に幕を閉じた。
- 2015年
- 7月1日 - 東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)などが一部時間帯でインターネットサイマル配信・エムキャスを開始
- 10月26日 - 在京民放キー局5局によるインターネットでの番組見逃し配信サービス、TVer開始。
- 2016年 - 4月11日、サイバーエージェントとテレビ朝日の出資によるインターネットテレビ、AbemaTV開局
- 2018年 - 12月1日、放送衛星による4K 8Kテレビ放送開始
- 2020年
- 7月1日 - 東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)などが一部時間帯でインターネットサイマル配信・エムキャスを開始
- 10月26日 - 在京民放キー局5局によるインターネットでの番組見逃し配信サービス、TVer開始。
テレビの技術
媒体
- 地上放送:地上の送信所から放送する放送方式。
- 日本で地上アナログテレビ放送:1953年から放送されていた方式。東日本大震災の被災3県を除き2011年7月24日に、被災3県では8か月遅れとなる2012年3月31日に停波され、日本全国で完全デジタル化が完了した。
- 地上デジタルテレビ放送:日本で2003年12月1日より本放送を開始した現在の方式。
- 衛星放送:人工衛星(直接放送衛星(DBS)、通信衛星(CS))から放送する放送方式。
- ケーブルテレビ(CATV)
伝送方式アナログ放送:カラー方式やパラメータに違いはあるが、衛星放送以外は基本的にどれも、アナログコンポジット映像信号をアナログ変調(振幅変調#残留側波帯、VSB)で、アナログ音声信号をアナログの周波数変調(FMラジオ放送と基本的に同様の方式)で伝送する放送方式(衛星放送は映像はFM、音声はデジタル)。世界の放送方式NTSCPALSECAMMUSE:アナログハイビジョンのディジタル圧縮アナログ伝送方式。デジタル放送:すべての映像・音声・付加情報をデジタル変調方式(OFDM、QPSK、QAMなど)で伝送する放送方式。日本ではISDB(統合デジタル放送)とも呼ばれる
- 日本で地上アナログテレビ放送:1953年から放送されていた方式。東日本大震災の被災3県を除き2011年7月24日に、被災3県では8か月遅れとなる2012年3月31日に停波され、日本全国で完全デジタル化が完了した。
- 地上デジタルテレビ放送:日本で2003年12月1日より本放送を開始した現在の方式。
放送機器
テレビ受信機
TVチューナーのようなコンポーネント型の機器もあるが、基本的に複合型の機器が多い。
送信所設備
演奏所設備
演奏所設備をスタジオ機器と言うこともある。この場合撮影スタジオに置かれる機器だけを指すのではなく局舎内の放送関連機器全般を指す。主な物を以下に示す。
- 主調整室(マスター)
- マトリクススイッチャー(ルーティングスッチャー)
- 多重化装置(MUX)
- 限定受信システム
- データ放送システム
- CMバンクシステム
- 自動番組制御装置(APS, APC)
- 番組バンクシステム
- ビデオサーバ
- ビデオテープレコーダ
- 緊急警報放送システム
- 回線システム
- 副調整室(サブ)
- 営業放送システム
- FPU(Field Pickup Unit/マイクロ波中継装置)
演奏所設備をスタジオ機器と言うこともある。この場合撮影スタジオに置かれる機器だけを指すのではなく局舎内の放送関連機器全般を指す。主な物を以下に示す。
- 主調整室(マスター)
- マトリクススイッチャー(ルーティングスッチャー)
- 多重化装置(MUX)
- 限定受信システム
- データ放送システム
- CMバンクシステム
- 自動番組制御装置(APS, APC)
- 番組バンクシステム
- ビデオサーバ
- ビデオテープレコーダ
- 緊急警報放送システム
- 回線システム
- 副調整室(サブ)
- 営業放送システム
- FPU(Field Pickup Unit/マイクロ波中継装置)
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