漁船乗組員の「金メダル」のようなもので、正月に乗組員全員で大漁カンバンを着て参詣すると、景気のいい船だと宣伝でき乗組員の確保にもつながりました。時代とともに大漁カンバンは作られなくなりましたが、鮮やかな色使いや、鶴亀・魚などの図柄は大漁旗に描かれるようになったのです。
2021.10.29最終回 亮の晴れ舞台 奇跡の大漁カンバン
こんにちは、最後のコラムを担当するライターMです。
「おかえりモネ」も最終回だと思うと、さみしい気持ちでいっぱいです。
第120回(10月29日放送)では、ついに亮(愛称:りょーちん/永瀬 廉)が自分の船で海に出る日を迎えました。
新次(浅野忠信)は息子の晴れ舞台に「大漁カンバン」と呼ばれる長はんてんを手渡します。亮はそれを着て、みんなに見送られながら沖へ出港します。
大漁カンバンとは、大漁だった年に船主から乗組員に送られた祝い衣装のことです。
奇跡的に見つかった大漁カンバン
ドラマで使われた大漁カンバン、よく見ると色がにじんでいます。実は津波で流されたものの、奇跡的に見つかったものなんです。
持ち主は、気仙沼市唐桑町出身のTさん。自宅は東日本大震災の津波で流され、数メートル先の道路の上で逆さまになっていました。
家を解体する際、Tさんは使えそうなものを探しました。しかしすべて塩水に浸ってしまったため、持って帰れそうなものはほとんどなく、写真や五月人形、ランドセルなどを拾いました。
祖父と父が遠洋マグロ漁船の漁師だったというTさん。「神棚にあった宝船の飾りものとかも家族が拾い上げましたね。ずっと漁業に携わってきたので“海に対する思い”があるから拾い上げたと思います。」大漁カンバンもそのひとつでした。
大漁カンバンの歴史
大漁カンバンの真ん中に描かれている「鮪立」はTさんの出身地の地名。
鮪立地区には、乗組員が大漁カンバンを着て船主の家に行き「大漁唄い込み」を歌い、海上の安全と大漁を祈願する文化がありました。
「大漁唄い込み」とは、帰りの船から陸に大漁を伝えるために歌われた唄です。
現在も元漁師が中心になり、大漁カンバンを着て、海に関する行事や祝い事で大漁唄い込みを歌っています。Tさんの父も親類から譲り受けた大漁カンバンを着て参加していました。
ドラマと重なった瞬間
衣装提供者として撮影現場に立ち会ったTさん。新次が亮に大漁カンバンを手渡した瞬間、Tさんは自分の体験とドラマのシーンを同時に思い出しました。
それは、津波に流され基礎だけになった自分の家と、流された家の跡地に座り込む新次の姿でした。
「『流された家』というイメージが私の中にあって、勝手にドラマのシーンと重ねていたと思うんですが。あの家から流されたものを渡すんだ、拾い上げたものを今渡したんだなって。」
それはドラマと現実が重なりあった瞬間でした。このシーンを見返す際には、ぜひ大漁カンバンにも注目してご覧ください。
さて、「おかえりモネ」の放送に合わせてお送りしてきたこのコラム「ほれぼれ宮城」も今回が最終回です。
「おかえりモネ」ファンになっていただいたみなさんに、舞台地・宮城のことを知っていただき、そしてほれてほしい、好きになってほしいと思い連載してきました。
宮城はここでは書けなかった魅力が、まだまだたくさんある場所です。宮城に来ることがありましたら、あなた自身がほれぼれする部分を探してみてください。
半年間ありがとうございました!