そこには、「これが、どれだけ叩かれてもネットリンチをやめることがなく(中略)俺を『低能先生です』の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ」などと書かれている。また、「東京までいってはてな本社にこんにちはするつもりだった」ともあることから、はてなブログ運営までもターゲットにしようと考えていたのが分かる。
ここで着目すべきは、ユーザ個人のみならず運営も敵視していたことと、「通報&封殺してきた」という表現だ。つまり、特定の個人への怨恨というよりは、自分の発言の機会を一方的に奪われたことへの怒りこそが、容疑者の主たる動機と考えられる。
他のネットユーザから見れば、悪質な迷惑ユーザのアカウントを凍結したにすぎない。しかし容疑者にとっては、それは残された数少ない――もしくは唯一の――居場所において、自分を表現する機会を奪われるのと同じだった。
そのような状況で、有名ブロガーであるHagex氏は、「低能先生」のアカウントをいとも簡単に凍結できることを、その影響力ゆえに広範囲に拡散することとなった。そのうえで、氏が容疑者の生活圏内に、ハンドルネームとはいえ個人が特定される形で、なおかつ予告して訪れたことが、凶行を決断させる理由になったと思われる。
「たった1人」で言論は潰せる
ここで重要なのは、容疑者が他のユーザに対して、何度もIDを変えてまで「低能」などと中傷し続けていた動機は、「悪ふざけ」ではなかったであろうということである。彼にとってそれは真っ当な行為であり、あくまでも本気だったと考えられる。
主観的には自分が正しく、正当な「表現」をしていると思っているからこそ、それを封殺しようとしたり、議論もせずに馬鹿にしたりする不特定多数のネットユーザを許せない。だから容疑者は「ネットリンチをされている」と感じたのである。
実は、ネット上でそのような批判的・中傷的書き込みをしている人の大半が、「相手に失望したから」や「許せなかったから」といった「正義感」を動機としていることが、私が過去に行った4万人を対象とする実証分析から明らかになっている。
この調査では、「炎上に書き込む動機」を聞いているので、厳密には本件のような「荒らし」とは一致しない。しかし、少なくとも「炎上」については、実に60~70%の参加者が「正義感」から書き込んでいることが示された。また、そのような人は、それ以外の動機で書き込んでいる人に比べて、書き込む回数がはるかに多いことも分かっている。
さらにもうひとつ指摘できるのは、一億総メディア時代には「誰もが自由に平等に発信し、議論できる」ことが期待されていたが、実際には、あまりにも「少数の力」が強くなりすぎているということである。情報発信の民主化が起こった結果、情報発信力の偏りと濫用も起こってしまったのだ。
前述した「炎上」に関する実証分析では、「炎上に過去1年間に1回でも書き込んだことのある人」は、全ネットユーザのわずか0.5%しかいないことが分かっている。これをさらに、炎上1件あたりの参加率に換算すると、0.0014%程度(7万人に1人)に留まる。
容疑者が行っていた「荒らし」も、構図は同じである。荒らし行為に没頭するユーザはごく少数であり、特に何度も通報されてアカウント停止に至るユーザなど、さらにごくごく一部である。
しかしいまや、彼らが及ぼす社会的影響は計り知れない。このような「荒らし」や中傷から完全に逃れるには、情報発信を停止し沈黙するしかない。たとえ強い心を持って反論しても、多くの場合はほとんど意味をなさず、有効な対処法はせいぜい無視するか、通報してアカウントを凍結させることくらいしか存在しない。
つまり皮肉なことに、ネットによって「誰もが自由に全世界に向けて表現することが可能になった」にもかかわらず、あるいはそうであるからこそ、ごく一部の人の手で、表現の萎縮が起こってしまう現実が生まれている。
そこに来て、この刺殺事件である。
ごく少数の「荒らし」の中の、さらにごく少数の過激な人物――現時点では1億人の日本のネットユーザのうち「わずか1人」――の凶行によって、「ネットで情報発信を行い、かつ個人情報(行動)を少しでも特定される状態で活動しているならば、常に生命のリスクが付きまとう」という前例が作り上げられてしまった。
単なるネットユーザ同士の諍いから発展した事件「ではない」からこそ、ネット上の表現者全てが、今回のような暴力の標的となり得ることが浮き彫りにされた。ネットは、「自由で平等な言論空間」という理想から、さらに大きく遠ざかってしまったのである。