北陸六味
桜の季節は日本人に年度初め、まさにスタートって気分を喚起させますよね。最近、東大が秋入学を提唱しましたが、季節感としてみんながしっくりなじむまでには相当な時間がかかるのでは? と予想されます。なんでもグローバル・スタンダードだって言われりゃ反論しにくい今日このごろではあるけれど……。
今回は始まりにちなんで、私の哲学原初体験のお話をさせていただきます。学年の中で4月生まれという立場はけっこう恵まれています。子どもの頃の私は身体も大きくガキ大将、マセてました。誕生日はなんと厚かましくも4月8日、お釈迦様の生まれた日と同じ。ヤスヒロ=お寺さんで名づけていただいた「泰啓」。つまり「泰(やす)らかに啓(ひろ)める」という完全名前負け。でもそもそも啓蒙(けい・もう)しろ、と思想家的ふるまいを運命づけられ? この世に存在させられたかのようです。まったく期待はずれに成長したのですが、早熟で生意気、小学5年生の時にフォークシンガー吉田拓郎にハマリました。
さて本題です。彼のデビュー初期の歌「イメージの詩」。今思えば、この歌詞がとっても哲学チック。例えば……「いったい俺たちの魂の故郷ってのは、どこにあるんだろうか? 自然に帰れっていうことは、どういうことなんだろうか?」。存在論の基本的問いですが、この言葉がガキの心にヒットしたわけです。
「自然に帰れ」はフランスの思想家ルソーの言葉。人間は自由な存在として生まれたのに、現実はいたるところで鉄の鎖につながれている。文明や社会の変化が人間をゆがませてしまったという近代批判です。
ルソーは肖像画で見る限りイケメンで賢明そうな男性ですが、幼い頃から苦労して育ち、家出から浮浪者同然の時期もありました。でも上流階級有閑マダム、ヴァラン夫人の恋人となってから、広範な学問を独学で学ぶという人生が開けていきました。不倫はダメなんて道徳にとらわれず、自然のままに生きた結果でしょうか……(冗談半分でご理解ください)。
このフレーズはさらに「誰かが言ってたぜ、俺は人間として、自然に生きてるんだと、自然に生きてるってわかるなんて、なんて不自然なんだろう」と続きます。ガキには超~かっこいい! と思わせる言葉の力でした。
もうひとつ「きどったしぐさがしたかったアンタ、鏡を見てごらん、きどったアンタが映ってるじゃないか、アンタは立派な人サ」。
こういう歌詞を聴いているときは、身近な誰かを思い浮かべてスカッとしていたんだけど、そんな想像をしている自分がまさに、鏡を見ながらスカしてる恥ずかしいその張本人だってことに思いが及ばない。もうガキ丸出し。でもこういう歌詞に親和性を感じていたこと自体、思想的なもの・メッセージ性が強いものへの興味・関心が高いキャラだったということですよね。
1970年、11歳。私は思いっきり背伸びをしているマセた哲学少年でした。
(福井県立高校教諭 カウンセラー)
※歌詞はJASRAC許諾(1204656・201)
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