日記
ぼくはナニを聴いてたんだ?
皆さん、こんばんは。
スピーカーセッティングやルームチューンをすると、音が良くなる場合もあるが、良くならない場合もある。しかし別の聞こえ方になるので、精神の麻痺を打破して、悪いものをちゃんと悪いのだと示してくれることもある。わざわざ尋常じゃない金を払ってオーディオ装置を用意しても聴く側は、いかんせん、凡人である。誰しも惰性で生きている。よろしくない変化に耳が慣らされることもあれば、ノイズの中で音をだして壁やユニットに音が張りついているのに、どうだ素晴らしかろう!と強弁されて困ることもある。セッティングの見直しはこうした精神の麻痺による自己陶酔を打破するきっかけとしては、オフ会をするよりは恥が少ない。

CSO RESOUNDから出ている、ハイティンク&シカゴ響のマーラー交響曲3番の2枚組のCDが一週間くらい前に届いた。すぐに聴いてみて、一聴して驚くほど鮮度が高く、低域の拾い方も見事である。しかしまったく定位していない。
それで一週間ぶりに、また再生してみた。驚くほど音質が良く、定位していない。(^^) 音がユニットに張りついているのである。私はこれまで割と上手くスピーカーを消してきた。しかしこのハイティンクはダメである。グランカッサなのかティンパニなのかが一発打ち鳴らされる箇所など、定位もなにもあったものでなく、ドカンっ!と、かなり鋭い低音がウーファーユニットを突き破りそうな勢いで出てきて、唐突にスピーカーが鳴るものだから、逆にわっとびっくりする始末である。凄まじいダイナミックレンジで、弦も管楽器もポリフォニックに吼えまくるのだが、クリアーでありながら、おどろおどろしく、マイケル・ティルソン・トーマス&サンフランシスコ響や、ゲルギエフ&LSOなどのSACDとは、ちょっと次元が違う(ように思える)。2006年10月のハイティンク首席指揮者就任記念コンサートにおけるライブレコーディングである。当時、ハイティンクは77才。ハイティンクってこんなに凄かったの?という感じ。
アルバムを聴いて初めて相対化された。まったく定位しないので、他の音源を聴き直したら、おやおや、他の作品も定位が崩れているように思えてきた。この一週間、いったい何を聴いていたのだろう?色々と聴いて素晴らしいとか思っていたのだが。
たしかに思い当たることが2つある。(^^)
(注) 私はSACDだと思い込んでいましたが、本盤はなんと普通のCDでした。本文を一部訂正しました。何を聴いてたんだ?
レス一覧
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こんばんは。
迷い言ネタ しか思いつきません。
スピーカーから出る音を聞く時人は出ない音を聞こうとする。
出せないから出ないのではなく出ないから出せないのだ。
スピーカーが消えたという人は目が悪くスピーカーが見えるという人は耳が悪い。
ナニを聴いてたんだ?となるほどナニをいじってたんだ!?
とか、、
byぺぶるす at2022-01-26 23:30
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ぺぶるすさん、こんばんは。ネタを出していただいてありがとうございます。しかしナニをいじったか分からないくらいいじっています。(^^)
スピーカーが消えない強烈な音源だったという趣旨のことを書いたわけですが、必ずスピーカーは消してください。スピーカーが消えない人たちこそが、ナマがいいとか、いや、そうじゃないとかいう、愚にもつかない比較をするのです。スピーカーが消えるならば、ハードセンターより、フロントが消えたほうが天使は歌うのです。その方が音が良いのはご存知でしょう?天井にも同じことが言えますね。天井スピーカーよりもリアスピーカーが消えるならば、頭上の星の音が聞こえるのです。
八木重吉の『素朴な琴』はご存知ですね。
素朴な琴
「この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだらう」
この素朴な琴がスピーカーであるとするのは想像力が足りません。むしろスピーカーは「秋の明るさ」となって、その静謐さでチェンバロが自ずと鳴りいだすようにすべきなのです。
byベルイマン at2022-01-27 00:36
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ベルイマンさん
このCDは、どなたが広めたのかは定かではありませんが、オーディオファイルにはけっこう有名なディスクです。シカゴ響(CSO)の自主レーベル“CSO Resound”の記念すべき第一弾でした。
演奏は素晴らしいものですが、ある意味では「酷い」録音ですね。
というのも、冒頭のあのティンパニとグランカッサの打撃は、まるで現実離れしたもので、いかにも生音知らずの爆音オーディオ好みのバランスです。
このCDばかりで聴いて、いきなりコンサートホールでこの曲の実際の演奏を聴くと、「え?」とがっかりしてしまうことになるでしょう。いつぞやAuro3Dさんが書いていたように「ホンモノよりもうちのオーディオの方が良い」ということになります。実際の演奏では、あんな音量バランスでは聞こえてきません。
あの2音の打撃音が3回鳴らされるわけですが、マーラーはかなり細かく書き分けています。
(1)7小節目: ティンパニ(1)ff + グランカッサ f
(2)8小節目: ティンパニ(1)ff + グランカッサ ff
(3)9小節目: ティンパニ(2)ff + グランカッサ ff
という風に。
徐々に音が厚めになっていくように書き分けられているわけです。最初の衝撃が大きいので2発目はその心理的な衝撃を弱めないように徐々に強めたのだと思います。それでも3発目はティンパニがさらに1台加わって2台になるので効果は大きくなります。
しかも、「ダン、ドン」という2音の第一音はティンパニのみ。第二音にグランカッサが加わります。こういう書き分けや、2段仕掛けが再生でどこまで聞こえるかがオーディオの醍醐味なんでしょうね。
byベルウッド at2022-01-28 17:26
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(続きです)
定位がないとのことですが、それは2音の2打目のグランカッサの音のことだと思います。低音が出れば出るほど、このコンロトールは難しいでしょうね。よりナチュラルなバランスで鳴っていれば、ティンパニ2台との並びで、左手スピーカー内側に定位するはずです。
この部分が一段落すると(1:50)、続いてグランカッサのピアニッシモの細かいリズム、トレモロが入ります。この定位がはっきりせずスピーカーに貼り付いたり、音が膨らんで細かいリズムが聴きとれないようだと低音再生としてはかなり重症ということになってしまいます。
低音はド迫力でブンブン出ればそれが良いというものではなく、システムやルームアコースティックが暴れやすいので落とし穴のようなものがあります。オレんちは、シカゴのオーケストラホールよりもいい音だぁ!なんて喜んでいると、真逆だったりしますね。
この録音は、冒頭に登場する8台のホルンが左半分、打楽器群も左手、チェロやコントラバスの低音弦が右手と、比較的明瞭に左右に定位が分かれています。後半で合唱が入るので中央後方のスペースを合唱団のために空ける必要があったからだと思います。だからライブ収録にもかかわらず左右定位が明瞭でわかりやすくなっています。後半(CD2枚目)のアルト独唱、あるいは「ビムバム、ビムバム」という児童合唱など、オーディオ的にも聴きどころ満載です。
byベルウッド at2022-01-28 17:28
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ベルウッドさん、おはようございます。
色々と取り込んでいましたら、遅くなりましたが、日記本文よりも情報価値の高いレスをありがとうございます。(^^) CSOの第1作で録音バランスが良くないとのこと。
本盤について、定位しない、と書きました。これはまずもって再生した時に、ステージがあまり大きすぎて、両スピーカーの間に収まらないような具合に感じられました。録音されたオケの全貌が、システムの枠に収まっていない印象です。はみ出さんばかりだが、スピーカーの外回りには描かれない。つまり、定位していない、わけです。音のコントロールができず、まるで指揮者不在のようです。
しかし、そのことで他の音との調和を無くした音が散発的に、独立して聴こえてきて、良い音だと錯覚したのかもしれません。
すいません。夜にまた続けます。
byベルイマン at2022-01-29 07:22
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ベルイマンさん こんにちは 2マス場所をお借りします
ここに書きますのは ベルウッドさん の下記レスについてです。
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>> Auro3Dさんが書いていたように
>> 「ホンモノよりもうちのオーディオの方が良い」
>> ということになります。
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まず、
Auro3Dさんが そう 書いていたのかどうか?
わたしの記憶では「生演奏」と「オーディオ」の対比を行い、
自宅の「オーディオ再生」の方がマシな事あるという内容。
しかし、「ホンモノ」を超える という 傲慢?な 内容でなかったと記憶。
いいえ、私が見逃していただけかもしれないので、
ベルウッドさんには 「ホンモノ」 の 1次ソースの提示をお願いしたい。
「ホンモノ」 と「生演奏」 と書くのとでは 余りにも
読み手の 解釈 が かけ離れたものになるから。
※意図的に「生演奏」の記述を「ホンモノ」に改竄した?
※Auro3Dさんに対する印象操作が狙いなのかと疑いたくなります。
生演奏には、オーディオ再生で得られるような楽器の定位はありません。それは演奏会場で、 目を瞑ってみれば 分かりますよね?
耳に入る約8割の音が床含めた付随音、反射音・残響音で、そこに オーディオのような 明確な楽器定位は ありません。(Phile-webコミュニティでは、小澤征爾さんの、マニアは音を分けようとする・・・という内容のお話で良く知られていたかな?)
もう、その時点で、生演奏とオーディオ再生は乖離しているのですよね。 生演奏にも、オーディオ再生にもどちらにも良い点があります。どっちも楽しめば良いだけというのは私の個人的な意見です。
誰とは言いませんが、自身が録音技師やマスタリングエンジニアでもないのに、録音にケチをつけるのは少々『傲慢』ではなかろうかと感じました。(マーラーの意図を明確に上塗りして、消し去ってしまうエンジアリングがそのCDに施されていたならば問題ですが、そのような 『事実』 は 確認されていません。それを臭わせている文章がレスに書かれているだけ。これも事実を誤認させるための、印象操作に見えます。)
続きます
bynightwish_daisu at2022-01-29 10:52
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生演奏では目の前に奏者と楽器があるので、視覚情報から『そこにある』ことを 脳 が 認識できますが、目を瞑ると それが出来なくなります。 だからかどうか知りませんが、 映像という視覚情報が無い音楽媒体に残す場合には、楽器の位置を ”耳だけで” 脳が 認識できるようにマルチマイクで収録してトラックダウンするものと私は理解しています。それは演奏会場で実際に耳が捉えたものとは異質なカタチになってしまいますが、目が(脳が)観ていたものとは似たものになりますね? より、ホンモノらしい。
生演奏では、生半可 な 「演奏」 や 「演奏会場」(の音響)、
そして何より「座席」 。足を運んではみたものの、ガッカリするような演奏会も中にはあるでしょう。ある意味でギャンブル。
足を運ぶ演奏会のどれもこれもが素晴らしい!!というのは、ある意味で幸せな事かもしれません。
話を戻すと、 Auro3Dさんは本当に
「ホンモノよりもうちのオーディオの方が良い」
と書いていたのでしょうか?
演奏会に足を運ぶより、名演奏を何度でも再現できる
オーディオ再生の方が "間違いがないところ" が 良いなぁ・・・
みたいな事を Auro3Dさんは書いていたのではなかったでしょうか?
「ホンモノよりもうちのオーディオの方が良い」と書かれていた
とするベルウッドさんには、これの1次ソースの提示をお願いします。
(私が日記を見逃しているかもしれないから)
ベルイマンさん 場所の提供ありがとうございました m(_ _)m
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bynightwish_daisu at2022-01-29 10:58
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補足:
「ホンモノ」とは?
→ 音楽媒体(例えばCD)と対比すれば・・・
当該CDの 録音が行われた その時 その場 の 実演奏のこと。
「生演奏」とは?
→その名の通り有名・無名問わず地球のどこかで行われている
演奏のこと。ジャズ・クラッシク・ロック問わず任意の演奏。
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bynightwish_daisu at2022-01-29 11:24
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